千五百十三 (和歌)明治42年以前に刊行された歌集十六を鑑賞
庚子西暦元日後(2021)
閏十一月二十八日(木)(2021.1.28)
「現代短歌全集第一巻」を読んだ。これは明治42年以前に刊行された個人の歌集十六だ。刊行順に並ぶため、一番目は與謝野鉄幹の「東西南北」だ。現代に知られる與謝野鉄幹と異なり、悪くない。
世間で云はれるやうに、そのますら夫ぶりを評価するのではない。読み続けて飽きが来ない、嫌悪感が起きない。だからどの歌が良いか訊かれても返答に困る。
十人と本人が、十一の序や題を寄せる。そこには直文、鴎外、鱒二、子規、佐々木信綱が含まれる。漢詩を寄せた人もゐる。明治時代の風が伝はるではないか。 「東西南北」は古今集から抜けきってゐないと云ふ評価があり、これは正しい。しかし古今集の悪いところは序詞、掛詞、縁語で、説明を受けないと気付かないし、現代人は使はない。これらを除いた古今集は、悪くない。

閏十一月二十九日(金)
二番目は金子薫園の「かたわれ月」。お勧めが、たくさんある。
あけがたのそゞろありきにうぐひすのはつ音きゝたり藪かげの道
花ぐもり志ばしははなれてのどやかに日影さすなり嵯峨の山里
ゆふ月に遠山ばたけほの見えて梅さくあたりふえの音ぞする
まる窓に老木の梅のかげ痩せてすみ絵のまゝのうす月夜かな

三番目は與謝野鉄幹の「紫」で、ここから序がなくなる。明治が深まるにつれ、江戸時代生まれが少数派になったことを感じる。私と感性の共通点が無い。鉄幹四番目の詩歌集にして、「東西南北」の五年後。
和歌は短いからたくさん作れるが、作る度に能力が減少する。そんな仮説を立ててみた。窪田空穂は、生活密着日記風の和歌で乗り切った。正岡子規は、闘病日記風で乗り切った。
四番目は服部躬治の「迦具土」。これも感性の共通点が無い。しかし特筆すべきは安房の方言を入れた明治三十三年八月「安房歌」だ。一首紹介すると
ただフトリ夕のノワにせこ待てばシノベさやぎて雨ふりいでぬ(フトリは一人。ノワは庭。シノベは篠竹)

五番目は「みだれ髪」で、作者は鳳晶子。鳳啓助ではない、と冗談を書くしかないほど、書くことが無い。「みだれ髪」が発表されたときに、その恋愛感情に賛否両論があった。恋愛感情を抜きにしても、読んで美しさをまったく感じない。

閏十一月三十日(土)
六番目はみずほのやの「つゆ艸」。みずほのやは太田水穂の別名だ。お勧めがたくさんある。
木枯のふきのすさみに声たてて山の尾上を木の葉とびゆく
あし引の山田の案山子さよばひに野辺のうさぎの月にたちくる
ゆふばえの海の歌かく真砂路をあらひて去りしさざれ波かな
ふもとゆくいさら川水たまたまに名もなき草の花にふれゆく

語彙の豊かさが特長で、かう云ふ和歌は私には作れない。
七番目は佐々木信綱の「思草」。三名が序を寄せて、うち二名は漢文だ。和文の一名は源高湛。森鴎外の諱だ。「思草」も感性が共通だが、お勧めがない。苦し紛れに一番目の
鳥の声水のひゞきに夜はあけて神代に似たり山中の村

を挙げた。神代が大袈裟だから苦し紛れだった。歌集の最後に漢文があるところに、明治の風を感じる。

閏十一月三十一日(日)
尾上柴舟の「銀鈴」は、感性の共通点が無い訳ではないのだが、少し異なるところがあって、お勧めはなかった。正岡子規は前に特集を書いた。女性三名による恋衣は、共通点が無い。窪田通治は前に特集を書いた。相馬御風と落合直文はお勧めの歌を発見できなかった。落合直文のあさ香社は有名なので、意外だった。
草山隠者と平野万里は、特に書くことがなく、若山牧水は多くの人が挙げる二首だけは、私も名作だと思ふ。
たくさんの 歌人が登場 する舞台 私の和歌は 遠慮省略
(終)

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