千五百四(和歌)(モリカケ桜疑獄百九十九の五) 岸信介の敗戦責任を問ふ
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
十二月二十九日(火)
先の敗戦について、陸軍が原因なら陸軍大臣の責任だ。海軍が原因なら海軍大臣の責任だ。しかしあの戦争は工業力の差が敗因だから、商工大臣岸信介の責任だ。
米ソ冷戦が終結して以降、先の戦争は米英が正しくて日本は間違ってゐたと云ふ悪質な主張に変質した。それでは欧米列強の植民地支配を正当化してしまふ。
平和運動も悲惨を並べるだけなので、両者が結びつき、米英は正しくそれに逆らったため悲惨な目に遭ったとする悪質なものばかりになった。
これらを正すには、敗戦責任が岸信介にあることを示すのがよい。
敗戦は 商工相の
責任だ しかしこれまで
穏便に 七十五年後
起きたのが モリカケ桜
原状の 復帰をするまで
追及を すべきだ岸の 敗戦の責


十二月三十日(水)
昨日敗戦責任は、陸軍が原因なら陸軍大臣、海軍が原因なら海軍大臣と述べた。参謀総長や軍令部総長は責任がないのか、と云ふ意見が出ることでせう。参謀総長や軍令部総長の任免は陸軍大臣と海軍大臣の権限だ。陸軍が勝手に、三長官の合議が必要と決めたのは、陸軍の堕落を示す。敗戦責任は陸軍の堕落にあるとするのなら、それは正しい。
しかし先の戦争は、工業資源を含む工業力の大差が敗因だから、悪いのは商工大臣だ。今後、悲惨な場面が記事になった時は、その原因は商工大臣の岸信介だと思ひ起こさう。
勿論首相兼陸相の東條英機には、重大な責任がある。しかし当時は、首相に閣僚の解任権がなかった。岸が工業責任者として戦争に反対すれば、戦争を避けるか内閣総辞職になった。
敗戦の 責任所在を 明らかに そののち進む 平和運動


十二月三十一日(木)
具体例を見よう。次のやうな題の記事があった。
語り継ごう戦争の悲惨さを

記事自体は何の問題もないし、多くの記事に見られる題だ。総評と社会党が存在した時代は、多くの人が正しい意味を理解できた。ところが今は「だから日本は悪く米英仏は正しい」と云ふ変な意見になってしまふ。
まづ、悲惨なのは敗戦したからだ。そして敗戦は工業力の大差を閣議で主張しなかった商工大臣の責任だ。

西暦元日後閏十一月一日(金)
もっと具体的な例を見よう、朝日新聞のホームページに
右目ない顔「見苦しい」と就活で差別 報われぬ戦争の傷

と云ふ記事が載った。
自分の顔を見た面接担当者たちは、一目で視線をそらした。(中略)岐阜県大垣市のT(具体名略)さん(91)は16歳のとき、全身にやけどを負い、右目を失った。(中略)1945年7月29日未明、大垣の市街地を米軍機が襲った。(中略)体に衝撃が走り、体が燃え上がった。必死に川に飛び込んだ。
気づいたときには、救護所のベッドに寝かされていた。(中略)岐阜県の教員採用試験のほかに、地方銀行など民間企業も受けた。どれも、筆記は通るのに面接で落とされた。

一番悪いのは戦争で世界中を植民地にした欧米の帝国主義、二番目は米軍機、三番目は米軍機の空襲を許した日本の敗戦だ。ところが読者のほとんどは、日本そのものを憎む。こんな平和運動はない。欧米の帝国主義と当時の米軍機は既にないが、敗戦責任の岸信介は、歴代商工相、歴代首相として、今でもその名を残す。岸信介を尊敬する者さへゐる。
一番に 憎むべきもの 幕末の 黒船以来 帝国主義だ
三番に 憎むべきもの 敗戦の 責任二人 東條と岸


西暦元日後閏十一月二日(土)
現代ビジネスのサイトに、一ノ瀬俊也なる人の
米軍を唖然とさせた日本軍の人命軽視〜重傷病者には「自決」を要求

が五年前に載った。見つけて読んだのは本日だが。
IB1943年10月号「米軍観戦者による日本軍戦法の解説」が報じる戦場の日本軍は、決して兵士を見捨てる冷酷な軍隊ではなかった。この点は日本兵たちの有する死生観とも関係があろう。

ところが
しかし、次の米軍兵士の回想を読むと、日本兵の間に戦友愛なるものは本当に存在したのかとさえ思う。

日本兵はおそらくジャングル内の細菌による手の皮膚病にかかっている。我々もそうだ。彼らは我々ほど野戦の衛生に気を使わない。不潔である。野戦病院を占領すると驚くほど汚れている。どうすれば我慢できるのかわからない。日本兵は死者には丁重だが、急いでいるときは傷病者を置き去りにしてしまう。もし彼らにまだ銃の引き金を引く力が残っていれば、そうすることを強く求められる。((IB1944年9月号「米軍下士官兵、日本軍兵士を語る」以下略)

一ノ瀬なる人は、負け戦や弾薬不足や医薬不足を見逃した。これらが米軍と同等なら、米軍は何も批判しなかっただらう。こんな男が埼玉大学教養学部教授(当時)とは驚く。税金で給料を払ふ必要があるのか。この文章が不快なのは、アメリカは良く日本は悪い、と云ふ結論しか出てこない。
戦勝側 文書は注意が 必要だ 称賛崇拝 誰でもできる
原料と 製品が無く 敗戦に 責任あるは 東條と岸


西暦元日後閏十一月三日(日)
論文は、目的が必要だ。と云っても、特定の目的が最初からあって、それに無理やり合はせた論文では更にいけない。
一ノ瀬俊也なる人の文章を見ると、目的がない。日本はかうすべきだった、今の日本もかう云ふ改善点が当てはまる、と云ふことがないからだ。
それ以外に、情報そのものや情報源を紹介することを目的とすることもあるが、今回は情報の質が低く、到底それらではない。
米兵が指摘した内容の原因は、負け戦や弾薬不足や医薬不足だ。原因が既に判ってゐるから、この論文は価値がない。それだけならまだしも、負け戦や弾薬不足や医薬不足を「日本兵の間に戦友愛なるものは本当に存在したのかとさえ思う」と根拠のない主張に転化したから、極めて有害だ。
かう云ふ悪質な言論の出る原因は東條と岸にある。
冷戦が 終了のあと
現れた 邪悪な主張
拝米と 反日思想の
根源は 先の終戦 東條と岸
(反歌)敗戦を 終戦と呼ぶ 先人の 苦労を無にする 反日思想
(反歌)冷戦時 米側に付くは 悪くない 終了のあと 変化すべきだ

西暦元日後閏十一月四日(月)
岸は、開戦前から商工相で、昭和十八年には国務大臣兼軍需次官に再編された。軍需相は東條の兼任である。岸は国務大臣だから降格されたのではなく、東條の側近になった。これ以降の、弾薬不足は岸の責任だ。弾薬不足は資源と工業力の不足だと云ふのなら、商工相だった岸の責任だ。
弾薬や医薬品があれば、傷病兵を置き去りにすることはなかった。決して野戦の衛生に気を使はないのではなく、戦友愛がなかったためでもない。岸の責任である。(終)

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