千四百七十一 (和歌)信州珠算三位と交通機関二位
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月二十五日(金)
牛久に住む叔母は昔、珠算の長野県大会で二位になった。高校或いは就職してすぐのことだらう。叔母が算盤を使ふところを、私は小学生のときに一回見たことがある。普通の人は、数字を一組(18300円など)加算(または減算)のあと、引き続き次の一組を入れるが、叔母は数字を一組入れたあと、一円未満を三桁くらい指で線を引いたあと、次を入れる。
そのときは判らなかったが、一円未満で線を引くと指の位置を固定できる。これが早さの秘訣だ。
昔の事務職は、算盤が必須だった。あと、指にペンだこが5mmから1cmほどある人が多かった。
算盤は 四十年前
事務職の 貴重な技能だ
そののちは 電卓が出て 今はパソコン
(反歌)電卓は 手を広げたほど 大きくて 零が二つの ボタンもあった
昔の電卓はかなり大きくて、「0」のほかに「00」もあった。四捨五入切り捨て切り上げを指定するスヰッチもあった。
九月二十六日(土)
今回聞いた話だが、母は松本電鉄に入社して二年目くらいに、長野県内の交通機関大会で二位になった。ホイールベースや接客などで採点した。一位は長野電鉄だった。教育を担当した課長が喜んだ。
ベテランのバス車掌が出場したら敵はない。当時はバス車掌が男だったのかも知れない。
終戦後 食糧不足は
深刻で しかし社会に
新しい 息吹も生まれ
二重性 やがて行き過ぎ 堕落も発生
(反歌)いつの世も 新しい世は 輝くが 賞味期限が 隣の駅まで
九月二十七日(日)
母が結婚で松本電鉄を退職するときに、社長の男性秘書が「社長には云ったのか」と聞くので、云ってゐないと答へると、書を書いてくださった。唐の詩人孫逖の漢詩だ。
戦前生まれの人は、書道に親しんだり、漢詩に親しんだりした。これは我々戦後生まれが見習ふべきことだ。
次に、母が頂いた表彰状も掲載したい。
和歌のほかに、漢詩もやってみたいものだ。田中角栄さんは日中国交回復で中国に行き、向かうで漢詩を創った。私には、漢詩を創るまでは無理だ。しかし鑑賞はしたいものだ。
戦前の 人は漢詩を
創ったり 観賞したり
字に書いた 先人の智慧 受け継ぐべきだ
(反歌)漢詩には 日本で長い実績が そこに有益 無害の文化
日本人が、漢字を使ったり、和歌や漢詩に親しむことは、有益無害だ。そこには長年の順応がある。それに対し、西洋文明に十分な順応が無いことは、先の戦争に於ける、陸軍、マスコミ、熱狂国民の暴走で明らかだ。
私が、アジアの一員を強調する理由はここにある。近年は、地球温暖化防止のため、ますますこの思ひを強くした。(終)
追記九月二十九日(火)
昨夜新たに下記の話を聞いた。
上高地では、女子職員は白樺荘、男子職員は五千尺を宿舎とした。調理場を造り、繁忙期は白樺荘だと二名雇った。それ以外は交代で作った。
交通機関のコンクール対策で、辰野の路線なども説明を聞いた。他の路線を案内することもあるため。三位は諏訪自動車。
車掌は女子だった。路線バスと観光バスがあり、上高地路線は観光バスだった。
アメリカ人は貸し切りで乗ることが多かった。皇族も来たが、下々の人とは話したくないみたいだった。中には案内に興味を示される方もゐた。
中の湯でバスを乗り換へた。後に島々や松本から上高地まで直通するやうになったが、そのころは本社の経理だったので、さう聞いた。
上高地 白樺荘と
五千尺 当時は勤務の
宿舎でも 今では高額 高級旅館
(反歌)上高地 悪路急坂 急カーブ やっと到着 美景が広がる
小学校低学年のころに、一家四人で上高地に行き、魔法瓶の水筒が壊れて網棚から水がポタポタ落ちた。当時は魔法瓶の水筒が流行ったが、振動に弱かった。
追記九月三十日(水)
母の後にも、全体の仕事ができる女子を三名採用したが、一名は辞め、もう一名は男女関係のもつれか自殺したさうだ。(つづきへ)
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