千四百六十三 (和歌)柏崎寺泊仮想訪問記
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
九月五日(土)
四年前に寺泊を旅行した。あのときは、高田、寺泊に寄ったが、荷物が重く魚の市場通りには寄らなかった。さう記憶するので、インターネットで寺泊の風景を調べて、和歌で仮想旅行をしよう。さう思ひ立った。
過去のホームページを調べると、行ったのは高田と柏崎だ。帰宅後に青春18切符が二回分余ったので、再度新潟を往復し、そのとき寺泊に行ったらしい。四年間で記憶が薄れてしまった。
あと、四年前は執筆日を書くため、四月十二日に「有効期限は10日までだから、今度の土曜と日曜でぎりぎりとなる。」と、今なら矛盾した記述になる。今は、旅行した日を書く。
今は小型のノートPCを持って行くためだ。あと日付の明記方法を変更し、今は土曜に三日分書いたときは、木、金、土と日付を遡るやうにした。当時は執筆日の正確性、今は読むときの利便性を重視する。
寺泊駅から浜へ競歩にて 佐渡への船は休航日 更に歩きて日蓮の遺跡見たのち 駅へと戻る
(反歌)日蓮の佐渡の苦難の共有を今の信者で持つ人ゐるか
もう一首作った。
時間なく魚(さかな)の市場寄らずともインターネットで見ればよい 心に叫び駅へと急ぐ
(反歌)食べられる魚介の身になり市場には行かず見るだけ写真と動画
魚の市場は、インターネットで見て、行ったのと同じくらい理解した。既に死んで調理された魚介は、私も時間があれば食したことだらう。
九月六日(日)
高田と柏崎の旅行については
親鸞の井戸を観たのち 柏崎駅前通りをパソコンで見ると景色に覚へなく 調べるうちにすぐ左折二・八キロ 海の先小さな岩が着岸の長い伝承今へと至る
(反歌)日蓮が赦免ののちに漂流し着くの所に今は岩のみ
当時は海岸で、今は岩が残ったと信じたい。もし当時も岩なら、伊豆半島の俎(まないた)岩の伝説と同じになってしまふ。
着岸の地の背後には丘があり番神堂が上に建つ しかしそこへは道がなく行きたくもなく雨が降り かばんが重く 寄らずに戻る
(反歌)四年前蓮鸞両祖の遺跡寄るその関心が今は消滅
これは僧Xや親鸞が悪いのではない。後継者たちが悪かった。(終)
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