千四百五十四 平衡機関、安定機関としての左翼(なぜ1970年代は全国に革新知事が誕生したか)
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
八月九日(日)
かつて、社会党と共産党は、革新勢力と呼ばれた。革新勢力は1970年代に、都市部を中心に人気が高かった。そして全国に革新系知事を誕生させた。これは、1945年以降、世の中が急激にアメリカ化することへの反感が、平衡機関、安定機関としての左翼に国民が期待したためだった。
翻って現在を見ると、かつての革新勢力はほとんど壊滅した。一つは、マッカーサによる洗脳政策が、平成元年辺りから効き過ぎた。

八月十日(月)
日本では、ベトナム戦争が終はる前まで反米親ベトナムの空気が圧倒的だった。西欧にもベトナム戦争反対の運動はあったが、圧倒的ではなかった。西欧の左翼政党が社会民主主義なのに対し、日本の社会党と共産党は共産主義だったことは、その影響である。
ベトナム解放戦線側は、土の香りがする農民だった。これが日本の反米親ベトナムの理由である。当時の日本は、工場労働者と農民の国だった。しかし農民は農地改革の後だったので、左派ではなく自民党支持だった。

八月十一日(火)
全ての組織は堕落する。自民党は最もひどいが、社会党、共産党、新左翼にもあった。
それとは別に、社会党と共産党は戦前に成人になった人がほとんどだったが、新左翼は戦後に成人になった人が多い。その差がまづ現れた。
後に社会党から分裂した民社党は、自民党以上にタカ派と云はれた。社会党の左派は、独立と社会主義を同時に進めるのかそれとも独立を先にするのかで論争があったやうに、独立は必須だった。共産党は、もちろん民族独立だった。
それに対し、新左翼は幅が広いものの、反日や反社会の傾向を持つ団体も多かった。
各団体とも組織が堕落の後は、反日になった。マッカーサの洗脳が効いてきたこともあるが、堕落の影響が大きい。堕落すると、平衡機関、安定機関としての機能が見えなくなる。国民の生活が見えなくなる。(終)

追記八月十五日(土)
欧米猿真似を叫ぶ。反日を叫ぶ。護憲を叫ぶ。実に楽だし、損をしない。損をするとは、何かの主張をしたが、それが叶はなかったときだ。精神が落ち込むから、損をする。それに対し、欧米猿真似、反日、護憲は、絶対に損をしない。負けがないからだ。
これらを叫ぶ人たちは、平衡機関、安定機関の堕落であることに、早く気づいてほしい。

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