千四百四十五 石原莞爾「戦争史大観」精読記
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
六月二十日(土)戦争史大観
石原莞爾の著書のうち、戦争に関するものには興味がなかった。しかし今回、石原莞爾が予言について言及したことを調べるうちに、戦争に関するものもきちんと読まないといけないことに気付いた。斜め読みなら過去にあるが、今回は精読した。
戦争の絶滅は人類共通の理想なり。しかれども道義的立場のみよりこれを実現するの至難たることは、数千年の歴史の証明するところなり。
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石原は、決して好戦ではない。
決戦戦争に在りては(以下略)
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決戦戦争と持久戦争が交互に現れることについて、理論の裏付けが必要と思ってきたが、きちんと理論が書いてあった。
会戦指揮の要領は、最初より会戦指導の方針を確立し、その方針の下に一挙に迅速に決戦を行なうと、最初はまずなるべく敵に損害を与えつつ、わが兵力を愛惜し、機を見て決戦を行なうとの二種に分かつを得べし。
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ギリシャは前者、ローマは後者だと云ふ。それは
ギリシャ民族に近きドイツと、ローマ民族に近きフランスが、(中略)ドイツ民族より前者の達人たるフリードリヒ大王を生じ、ラテン民族より後者の名手たるナポレオンを生じたるは(以下略)
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一機に決戦と、序盤戦のあと決戦と云ふ分類法は、いろいろなところに使へる。日本はどっちか。
欧州戦争は、欧州諸民族最後の決勝戦なり。『世界大戦』と称するに当たらず。
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我々は世界史の授業で、第一次世界大戦と洗脳されてきた。欧州間で戦争してどうして世界大戦なのか。平和に暮らす国々を無視した。

六月二十一日(日)戦争史大観の序説
日本陸軍はドイツ陸軍に、その最も多くを学んだ。(中略)服装が洋式になったのは、よいとしても、兵営がなお純洋式となっているのは果して適当であろうか。脱靴だけは日本式であるが、田舎出身の兵隊に、慣れない腰掛を強制し、また窮屈な寝台に押し込んで(以下略)
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これは今でも日本は、学校が小学校から大学まで西洋式だ。
ロシヤは崩壊したが同時に米国の東亜に対する関心は増大した。日米抗争の重苦しい空気は日に月に甚だしくなり(以下略)
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日本が韓国、中国に進出したから、アメリカがそれに反対した訳ではない。このとき、非欧米のほとんどは植民地だった。ロシア帝国が崩壊の後、アメリカは東亜を狙ったのだった。
ドイツに赴く途中、シンガポールに上陸の際、 国柱会の人々から歓迎された席上に於て(以下略)
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国柱会は上野公園などで華々しく活動をしたものの、会員数はそれほど多くなかったと云はれる。しかし海外で日本人の進出する地域は、国柱会会員がゐたことが判る。
ドイツ留学の二年間は、主として欧州大戦が殲滅戦略から消耗戦略に変転するところに興味を持って研究したのであるが、語学力の不充分と(以下略)
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外国語を学ぶことは、膨大な時間を要する。人には適材適所があるやうに、語学が得意な人はゐる。さう云ふ人たちには通訳として活躍していただき、別の分野が得意な人は業務や生き甲斐で必要ならその範囲で学ぶべきだ。
それ以上に努力して、英語公用語を言ひ出すなど人生の敗北者になってはいけない。
この猛訓練によって養われて来たものは兵に対する敬愛の念であり、心を悩ますものは、この一身を真に君国に捧げている神の如き兵に、いかにしてその精神の原動力たるべき国体に関する信念感激をたたき込むかであった。(中略)兵に、世人に、更に外国人にまで納得させる自信を得るまでは安心できないのである。(中略)遂に私は僧X聖人に到達して真の安心を得、大正九年、漢口に赴任する前、国柱会の信行員となったのであった。
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僧X信仰が広まるのは国難の時のみと思ってきたが、石原莞爾が国柱会に入ったのは、やはりその時代背景だった。
昭和二年の晩秋、伊勢神宮に参拝のとき、国威西方に燦然として輝く霊威をうけて帰来。私の最も尊敬する佐伯中佐にお話したところ余り良い顔をされなかったので、こんなことは他言すべきでないと(以下略)
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これは一歩間違へると、新興宗教の教祖に見られる精神異常である。石原莞爾にそのやうなことはなく、戦雲急を告げる時期に於ける国威の霊威と受け止めた。さて「戦争史大観の序説」を書いた昭和十五年は
今日は既に記憶力が甚だしく衰え且つドイツ語の読書力がほとんどゼロとなって(以下略)
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健康を害したことが影響したのだらう。
支那事変勃発当時、作戦部長の重職にあった私は、到底その重責に堪えず十月、関東軍に転任することとなった。文官ならこのときに当然辞職するところであるが軍人にはその自由がない。
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作戦部長解任をどう考へてゐたか、よく判る。
僧X聖人が末法の最初の五百年に生まれたものと信じられているのであるが、実は末法以前の像法に生まれられたことが今日の歴史ではどうも正確らしい。
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これは枝葉の議論に迷ひ込んだ石原が筆を過った。釈尊に限らずその時代から遠ざかるにつれて、教へは劣化する。それを像法、末法と分けただけで、しかも世相を反映する。世の中が平和なら、末法と書いてある経典があっても、誰も見向きもしない。日本では平安時代の末期から武士の世の中になり、末法思想が流行した。
その一方で、釈尊の時代から遠ざかっても、改革や復興もある。日本以外の東アジアと東南アジアでは、大乗僧も具足戒を保つから、大乗は改革運動と考へることができる。
ある日ジュネーブで伊藤述史公使が私に、「日本には日本独特の軍事学があるでしょうか」と質問されたが、私は「いや、伊藤さん、どうも遺憾ながら明治以後には、さようなものは未だできていない」と答えると伊藤氏は青くなって(以下略)
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これが、日本の敗因になった。

六月二十七日(土)戦争史大観の説明(前半)
世界統一の条件として考えられるものは大体次の三つである。
1 思想信仰の統一。
2 全世界を支配し得る政治力。
3 全人類を生活せしむるに足る物資の充足。
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ここは、石原に最も不同意の部分だ。まづ思想信仰の統一なんて、絶対にやってはいけない。それなのに欧米が今でもやらうとするから、世界で騒動が起きる。
そもそも僧Xは、月氏国(インド)から日本に広まった仏道が、今度は日本からインドに広まると予言した。それ以外の国々に、僧Xの仏道を押し付けてはいけない。
僧Xは、月氏国から日本まで以外に多数の国があることを知らなかったとも考へられる。この場合、これらの国々に仏道を広めてよいのかは未解決の問題だ。個人で信仰したい人は、昔も今も自由だ。さうではなく、国内の多くが信仰するまで広めてもよいのか。
私は、駄目だと考へる。一つはXX会の失敗がある。国内は変へず、海外はその国の人たちに任せればいいのに、国内を変へたため、昔から伝はる美しさが消滅して、布教に失敗した。布教隊長Xさんが会長と宗内信徒代表を辞任せざるを得なくなったときに、名誉会長、名誉信徒代表を名乗ったが、後に世界の指導者になったと取り繕った。国際化は、国内の失敗を取り繕ふためにも使用される。
私と石原の相違は、XX会の失敗を見たか見ないかの違ひが一つだ。もう一つは、昭和二十年以降急速な西洋化による国内の混乱と、イスラム諸国での西洋化の混乱とそれへの反発を見たか見ないかの違ひだ。これらを見た結論として、思想信仰の統一なんて絶対にやっては駄目だ。
今日文明の王座は西洋人が占めており、世界歴史はすなわち西洋史のように信ぜられている。しかしこれは余りにも一方に偏した観察である。西洋文明は物質中心の文明で、この点に於て最近数世紀の間西洋文明が世界を風靡しつつあるは現実であるが、私どもは人類の綜合的文明はこれから大成せらるべくその中心は必ずしも西洋文明でないと確信する。
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私は地球温暖化とプラスチック問題で、西洋野蛮人の文明では駄目だと確信するに至った。石原莞爾は、産業革命以降の戦争と世界植民地化を見た。
東洋文明は天意を尊重し、これに恭従である事をもって根本とする。すなわち道が文明の中心である。(中略)西洋文明は自然と戦いこれを克服する事に何時しか重点を置く事となり、道より力を重んずる結果となり(中略)道徳は天地の大道に従わん事よりもその社会統制の手段として考えられるようになってきた
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ここで、私と石原莞爾は、考へが再び一致した。
近時の日本人は全力を傾注して西洋文明を学び取り摂取し、既にその能力を示した。しかし反面西洋覇道文明の影響甚だしく、今日の日本知識人は西洋人以上に功利主義に 趨(はし)り、日本固有の道徳を放棄し、しかも西洋の社会道徳の体得すらも無く道徳的に最も危険なる状態にあるのではないか。
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猿真似の悪い理由はここにある。真似をすると、元の悪人より更に悪くなる。
世界各国、特に兄弟たるべき東亜の諸民族からも 蛇蝎 ( だかつ ) の如く嫌われておるのは必ずしも彼らの誤解のためのみでは無い。
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日本の敗因はここにある。そしてかうなった原因は、ジュネーブで公使が真っ青になったやうに、日本独自の軍事学、今で云へば思想がないためだった。それでゐて
しかしこれ程に西洋化した日本人も真底の本性を換える事は出来ない。外交について見れば最もよく示している。覇(中略)日本人の一部は日本が南洋進出のため今日の如き対ソ国防不完全のままソ連と握手しようと主張している。 誠に滑稽であるが、しかもこれは日本人の本質はお人好しである事を示しているのである。
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今の日本外交にも当てはまる。
東亜大陸に於ても民族意識は到底西洋に於ける如く明瞭でなかった。(中略)今日東亜の大陸に歴史上何民族か判明しない種族の多いのを見ても民族間の対立感情が到底西洋の如くでなかったことを示している。かく東洋は王道文明発育の素地が西洋に比し遥かに優れている。
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東亜に対してはまったく同感だが、西洋に対しては石原と意見が異なる。西洋も昔は民族意識がなかった。近代西洋思想が悪い。
決戦戦争に於ては統帥権の独立が有利であり、持久戦争に於てはその不利が多く現われる。
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戦前の統帥権独立が諸悪の根源だったと、戦後は云はれてきた。しかし戦後は、教育委員会、公安委員会、検察庁が政治から独立し、それを原因とする不都合は起きないから、統帥権の独立ではなく、陸海軍大臣現役武官制が問題だった。
石原は、天皇が総合掌握されるから統帥権の独立ではないとする。その場合は、天皇を補佐する枢密院が重大な責務を担ふが、世界大恐慌のときは君側の奸と呼ばれ5・15事件や2・26事件が起きる。国民の生活安定が第一だ。ここで小沢一郎さんと、意見が一致した。

六月二十八日(日)戦争史大観の説明(後半)
革命、革新の実体は多くかくの如きものであろう。具体案の持ち合わせもないくせに「革新」「革新」と観念的論議のみを事とする日本の革新論者は冷静にかかる事を考うべきであろう。
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これも現在に当てはまる。改革、変化と叫ぶだけの人が多い。世界の恥さらしもやウィンは、その典型だ。
第一線決戦主義は理想主義的であり、第二線決戦主義は現実主義的である。
蓋(けだ)しギリシャ人は哲学や芸術に秀で、ローマ人は実業に秀でている民族性と会戦方式に相通ずるものが有るを見るであろう。 田中寛博士の『日本民族の将来』に依れば、古代ギリシャ人は今日のギリシャ人と異なり北方民族であった。
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ドイツはギリシャ人に近く、フランスはローマ人に近く、それが第一次欧州大戦に見られるさうだ。
ソ連邦革命は人類歴史上未曽有の事が多い。特にマルクスの理論が百年近くも多数の学者によって研究発展し、その理論は階級闘争として無数の犠牲を払いながら実験せられ(中略)第一次欧州大戦を利用してツアー帝国を崩壊せしめ(以下略)
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皇帝を処刑し、他の党派を弾圧したことが、レーニン最大の悪行だが、石原はそれへは言及しなかった。ソ連の内情が外部に漏れるのはフルシチョフの時代だから仕方がない。
階級闘争として無数の犠牲を払ったことについて、それだけ労働者の生活が悲惨だったのではないか。強敵が現れると、弱敵は優遇される。ソ連が現れたため、社民主義者などは優遇された。ソ連崩壊の後は、新自由主義が現れた。現在の資本主義の経済的繁栄は、地球温暖化と引き換へだから、良いはずがない。
このあとヒトラーに言及するが、ユダヤ人虐殺が明らかになったのはその後だから、これも仕方がない。ヒトラー・ユーゲントの来日など、国内はヒトラーに好意的だった。
昭和十三年夏病気のため辞表を提出した際、上官から辞表は大臣に取次ぐから休暇をとって帰国するよう命ぜられたので軽率な私は予備役編入と信じ、九月一日大洗海岸で暴風雨を聴きながら「昭和維新方略」なる短文を草し(以下略)
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石原の帰国については、無断だった、陸相板垣が後付けで辞表を保留にしたなど、事実と異なる書籍が多いので、ここに紹介した。(終)

七月一日(火)
我らの信仰に依れば、人類の思想信仰の統一は結局人類が日本国体の霊力に目醒めた時初めて達成せられる。更に端的に云えば、 現人神たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。
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ここは北種南種説と並び、絶対に不賛成の部分だ。歴史を振り返れば、安徳天皇が平家とともに海に沈んだり、朝廷側が幕府軍に破れたことは、何回もある。
帰納的であるクラウゼウィッツと演繹的であるジョミニーは独仏両民族の傾向を示すものと云うべきだ。
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これは貴重な情報だ。

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