千四百四十五 石原莞爾「最終戦争論」精読記
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
六月二十七日(土)戦争史大観
今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を脅迫しております。どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。
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日本ではマッカーサの洗脳のせいで、日本が突然真珠湾を攻撃したやうに思ってゐる人が多いが、実態はアメリカの脅迫が続いたのだった。アメリカは、中国のために日本を脅迫したのではない。当時はアジアアフリカのほとんどが植民地だった世界情勢で、アメリカの利益のためだった。
西洋は、国民皆兵になる前は、傭兵だった。
その形式が今でも日本の軍隊にも残っております。日本の軍隊は西洋流を学んだのですから自然の結果であります。たとえば号令をかけるときに剣を抜いて「気を付け」とやります。「言うことを聞かないと切るぞ」と、おどしをかける。もちろん誰もそんな考えで剣を抜いているのではありませんが(以下略)
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日本は、西洋の猿真似で大戦争になった。それなのに西洋の猿真似を反省せず、西洋は正しく日本は間違ってゐたと奇妙な考への人間が多くなったので、注意が必要だ。
プロイセン軍はフリードリヒ大王の偉業にうぬぼれていたのでしたが、一八○六年、イエーナでナポレオンに徹底的にやられてから、はじめて夢からさめ、科学的性格を活かしてナポレオンの用兵を研究し、ナポレオンの戦術をまねし出しました。さあそうなると、殊にモスコー敗戦後は、遺憾ながらナポレオンはドイツの兵隊に容易には勝てなくなってしまいました。
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ナポレオンが後期に勝てなくなったのは、さういふ理由があった。
戦国時代の終りに日本が統一したのは軍事、主として兵器の進歩の結果であります。(中略)いくら信長や秀吉が偉くても鉄砲がなくて、槍と弓だけであったならば旨く行きません。
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ここは石原莞爾と意見が異なる。西洋から入ったもののうち、唯物論が日本を統一したのではないか。勿論、西洋から入ったのは唯物論ではなくカトリックだ。二つの宗教が混在すると、織田信長みたいに唯物論になるのではないか。それまでは上杉謙信、武田信玄、今川義元など仏道と関係が深かった。
事情は幕末も同じで、プロテスタントが入ったため、唯物論になって、神仏分離、僧侶肉食妻帯となった。
第一はソビエト連邦。これは社会主義国家の連合体であります。マルクス主義に対する世界の魅力は失われましたが(以下略)
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この時期既に魅力が失はれたとする情報は貴重だ。
トルコ駐在のドイツ大使フォン・パーペンがドイツに帰る途中、イスタンブールで新聞記者にドイツの戦争目的如何という質問を受けた。ナチでないのでありますから、比較的慎重な態度を採らなければならぬパーペンが、言下に「ドイツが勝ったならばヨーロッパ連盟を作るのだ」と申しました。
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決してドイツがヨーロッパすべてを占領するのではなく、ヨーロッパ連盟を作る。この発言は立派だ。
悠久の昔から東方道義の道統を伝持遊ばされた天皇が、間もなく東亜連盟の盟主、次いで世界の天皇と仰がれることは、われわれの堅い信仰であります。今日、特に日本人に注意して頂きたいのは、日本の国力が増進するにつれ、国民は特に謙譲の徳を守り(以下略)
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天皇が世界の盟主になるなんて不可能だと多くの人が思ふ。しかし世界でこれだけ長く続く皇室、王室は類を見ない。昨年の即位礼に世界中から来賓が来る様子を見て、戦前ならあり得たのかも知れないが、その前提として国民は特に謙譲の徳を守ることだ。
世界の天皇と仰がれるに至っても日本国は盟主ではありません。
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天皇が盟主となられたら、その役割は名誉職に近いものになる。だとすれば最終戦争をしてまで、世界の天皇にすべきだらうか。本当の目的が、物質文明から道義文明への転換だとすれば、これは納得できる。
とても今のような地下資源を使ってやるところの文明の方式では、二十年後には完全に行き詰まります。この見地からも産業革命は間もなく不可避であり、「人類の前史将に終らんとす」るという観察は極めて合理的であると思われるのであります。
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石原の試算では二十年後の昭和35(1965)年頃行き詰まるはずだった。実際には新しい油田や鉱脈の発見や、資源の有効利用率の向上で、六十五年後の2010年辺りに、地球温暖化でいよいよ駄目だと云ふことが明らかになった。石原の予想は正しかった。
このあと九ページに亘り、正法、像法、末法と僧Xの話が入る。これについて石原は
「最終戦争論」が決して宗教的説明を主とするものでないことは、少しく丁寧に読まれた人々には直ちに理解されることと信ずる。(中略)私の軍事研究を傍証するために挙げた一例に過ぎない。
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と書いてゐるので、傍証としてこのまま素通りしたい。

六月二十八日(日)1.石原六郎の用語説明、2.質疑回答
まづ石原六郎の用語説明で
石原の文章には「統制」あるいは「統制主義」という言葉が、しばしば出て来る。(中略)石原は「社会の指導理念」が「専制」から「自由」へ、そして今や「統制」に変わるものと考えた。「統制」とは「専制」と「自由」を総合発展(社会学の用語では「止揚」というのに当たるだろう)したものを意味するのである。これは「官僚統制」の「統制」とまぎらわしいので、本人も適当な用語があれば改めたい希望を持っていた。
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これと似たことを、最近考へた。JIN-仁と云ふテレビドラマを観たときに、幕末の討幕運動や佐幕運動で原始的なやり方は「命令」、その停滞を改良したものが「自由」、有志間の逆ベクトルを防ぐものが「教育された自発」。
例へば、薩摩藩が幕府を挑発して江戸に放火をしたとき、一番良いのは、犯人を捕まへることだ。一番悪いのは、薩摩屋敷を攻撃することだ。ところが激高した幕臣たちは、薩摩屋敷を攻撃した。これは「自由」の限界で、「教育された自発」でなくてはいけないと思った。石原莞爾の「専制」「自由」「統制」と同じ発想だ。
次に質疑回答で
問題になるのは、たとい未曽有の大戦争があって世界が一度は統一されても、間もなくその支配力に反抗する力が生じて戦争が起り、再び国家の対立を(以下略)
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これに対し石原は「数時間で世界の一週は可能となり」「最終戦争により思想、信仰の統一を来たし」「文明の進歩は生活資材を充足し、戦争までして物資の取得を争う時代は過ぎ去り」と述べる。
一番意見が相違するのは「最終戦争により思想、信仰の統一を来たし」だが、アメリカ式ではなく天皇を名誉職として頂く一方で、日本国は盟主ではないことを自覚するなら、不可能な話ではない。「文明の進歩は生活資材を充足し」について、アメリカ式の多資源消費では幾ら資源があっても足りないし、現在は地球温暖化で滅亡寸前だ。アジア式の非物質主義のほうがよかった。
とは云へ、これらは空想だ。石原も
以上はしかし理論的考察で半ば空想に過ぎない。しかし、日本国体を信仰するものには戦争の絶滅は確乎たる信念でなければならぬ。
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と前半で認める。後半で絶対平和に言及するところは見事だ。
近い将来に最終戦争の来ることは私の確信である(三二―三五頁)。最終戦争が主として東亜と米州との間に行なわれるであろうということは私の想像である(四四頁)。最終戦争が三十年内外に起るであろうことは占いに過ぎない(四六頁)。
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最終戦争は、実戦では米越、冷戦では米ソで行はれた。実戦は三十年以内だった。その前に、最終戦争で使はれるはずの核兵器が広島と長崎で使はれ、その後は水爆まで現れたため、米ソは冷戦になった。石原の予想は、ほとんど当たった。
統制主義を人類文化の最高方式の如く思う人も少なくないようであるが、私はそれには賛成ができない。元来、統制主義は余りに窮屈で過度の緊張を要求し、安全弁を欠く結果となる。ソ連に於ける毎度の粛清工作はもちろん、ドイツに於ける突撃隊長の銃殺、副総統の脱走等の事件も、その傾向を示すものと見るべきである。統制主義の時代は、決して永く継続すべきものではないと確信する。
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これは同意見で、だから私は「教育された自発」と呼んだ。
東洋文明は王道であり、西洋文明は覇道であると言うが、その説明をしてほしい。
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の質問に、白柳秀湖、清水芳太郎の意見を用ゐて
北種は元来、住みよい熱帯や亜熱帯から追い出された劣等種であったろうが、逆境と寒冷な風土に鍛錬されて、自然に科学的方面の発達を来たした。(中略)世界に雄飛している民族は、すべて北種に属する。(中略).アジアの北種を主体とする日本民族の歴史と、アジアの南種に属する漢民族を主体とする支那の歴史に、相当大きな相違のあるのも当然である。
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ここは、私と石原莞爾で、極めて意見が相違する部分だ。せっかく東洋と西洋に分けたのに、西洋列強と日本を北種、中国と東南アジアを南種に分類してはいけない。それでは日本名誉白人説になってしまふ。
熱帯文明の方が宗教的、芸術的であって、人間の目的生活にそうものである。寒帯文明は結局、人間の経済生活に役立つものであって、これは人間にとって手段生活である。寒帯文明が中心となってでき上がった人間の生活状態というものは、やはり主客転倒したものである。
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このあと第三文明なる言葉が出てくるが、寒帯文明の日本からどうして第三文明が出てくるのか。
経済はどこまでも人生の目的ではなく、手段に過ぎない。
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同感だが、世界最終戦争は冷戦にアメリカが勝利したので、経済が目的となり、今や地球は滅亡寸前だ。世界はどうやってアメリカに勝利するか。もちろん今度は平和的にだ。
東亜に於いては西洋の如く民族意識が強烈でなく、今日の研究でも、いかなる民種に属するかさえ不明な民族が、歴史上に存在するのである。
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西洋も中世まではさうだった。西洋近代思想が、西洋を野蛮人にした。(終)

追記六月二十九日(月)石原莞爾の評価が変はるか
東亜を南北に分けて、日本を北種、中国を南種とすることは、絶対に不賛成だ。それでは日本が東亜で優位性を持つことになる。世界中のすべての人に優劣がないとするのが私の立場だ。私は民族といふ言葉さへ、あれは西洋野蛮人の作り出したものだから、ほとんど使用しない。
残念なことに、日本には欧米優位の偏見がある。それを平衡させるために西洋野蛮人とは呼んでも、個々の西洋人が野蛮だとは思はない。
石原莞爾の思想は、これまで尊重してきたが、今後どうするかは私にも判らない。石原莞爾を擁護するとすれば
1.本文ではなく質疑回答に書かれてゐる。
2.二人の学者の意見を借用した。
3.中国では清朝滅亡のあと、軍閥の内紛が絶えなかった。
4.東亜では、日本の経済力と軍事力が周囲を圧倒してゐた。
今でもさうだが、日本の経済力が高いのは西洋猿真似の結果であり、まったく自慢にならない。

追記七月一日(火)予備役
石原は昭和十六年三月現役を免職になり予備役に編入。十一月に質疑回答を脱稿した。現役免職は本人の希望ではあったが、この影響は大きいだらう。

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