千四百二十九 現世利益の暴走、既得権の暴走
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
五月二十七日(水)1.(現世利益の暴走)編
僧X信仰に、現世利益はあるだらうか。小松原法難で鏡忍房と工藤吉隆が殺されたことで判るやうに、現世利益は無い。
あの当時は、飢饉疫癘が続き、内乱や元寇もあった。だから国全体がX経を信じれば、立正安国となると僧Xは考へた。
これを現世利益だと考へるなら、現世利益はある。しかし自分たちだけ信じてご利益があるなんてことはない。そして昭和四十五年に、布教完成はもはや不可能になった。だから、現世利益はないし、布教完成の当てがないのに布教をしてはいけない。
五月二十八日(木)2.(既得権の暴走)編
布教隊長Xさんが会長になって以来、組織の多重化、役職の多重化、多数の議員の出現があった。布教完成を目指す目標があるうちは、それでよかった。しかし目標がなくなると、膨大な既得権が残った。専従職員や議員のやうに経済利益がなくても、組織内で役職を持つことも一種の既得権だ。
しかしそれより大きいのは、政党を持つことによる既得権だ。西洋式議会主義の欠点は、当選した人と応援した圧力団体が、すべての選挙民が本来は平等に持つはずの議会的利益を総取りすることだ。つまりXX会員は、通常の選挙民より利益を多く受ける。ほとんどの会員は利益を受けないが、公明党の議員を通して行政に依頼をした人と、それよりはるかに大きいのはXX会そのものが膨大な利益を受ける。
五月三十日(土)3.(短期間現世利益の暴走)編
僧X系各団体は、他の団体の信者に不幸があると、罰だ罰だと騒ぐ。その言動は不快だから、昭和45年以降僧Xを信仰すると性格が悪くなる、と主張するに至った。
現世利益は、僧X信仰に限らずすべての宗派にある。しかし現世利益を目的にしてはいけない。一例を挙げると、上座の仏道は、信徒だったら来世は天上界に生まれるやうに、だとか更にその先何世代が後は阿羅漢に達しますやうに、と考へる。これが目的だ。と同時に、現世にもご利益はあるだらうと期待することはあるが、これは目的ではない。
ところが僧X系は、現世利益を目的とする上に、期待期間が極めて短い。XX会だと、次の選挙で地元議員が当選しますやうに、と云ふ唱題会はその典型で、これなんかは期間が数週間だ。
六月一日(月)4.(予言の暴走)編
予言をする人間を信用してはいけない。なぜならその人の予言が正しいなら、文化勲章なり、西洋野蛮人が毎年大騒ぎする賞(ノーベル賞?)を、既に受賞したはずだ。この論旨から、布教隊長Xさんの「七つの鐘」を批判するはずだった。
牧口さんは、学者肌の人だった。その価値論「美利善」は、我々の生活実態によく合ったものだ。「真善美」と云ってみたところで、真理を求めようとする人は、特に科学が細分化した現代では、皆無に等しい。学者が最先端を研究する目的でさへ、「美利善」の範疇に収まってしまふ。「美利善」は、価値論のアジア化であり、偉大な業績だった。
戸田さんは、布教方法の天才だ。しかし信仰を続けたことによる功徳を人に勧めるのではなく、人に勧めることで功徳があるとするやり方は、ネズミ講と同じで禁じ手だ。それが許されたのは、ネズミ講みたいにカネ儲けが目的ではなく、戦後の貧しい時代であり、布教完成が見えてのことだった。
以上の二人は、学者肌、布教方法の天才ではあっても、普通の人だった。それに対し、布教隊長Xさんは戸田さんに指名されたことで権威付けた。戸田さんが布教隊長Xさんを指名したかどうか不明だが、指名したとしたら行動隊長としてだ。
だから昭和45年辺りまでは、布教隊長Xさん以外にも、石田先生、北条先生、和泉先生、柏原先生など、先生と呼ばれるのは布教隊長Xさんだけではなかった。
つまり普通の人であるはずの布教隊長Xさんが、「七つの鐘」を演説したことで、宗教の権威者になってしまった。七つの鐘とは、七年ごとに鐘を鳴らし七つ目が鳴る昭和五十四(1974)年に布教を完成させようと云ふ、士気を高めるための発言だが、組織内では予言になってしまった。そして昭和四十五年の布教停止で、実現はできなかった。
予言を全面批判するはずだったのにそれを変更した理由は、石原莞爾が宗教の定義に、予言があるかどうかだと云ったことがある。石原莞爾の主張はほとんどが正しい。しかしこの部分だけは長い間、不賛成だった。
石原莞爾の主張をインターネットで読むと、石原の主張自体を予言と捉へる人が多い。そして予言はほとんど的中したとする。
ここでまづ頭に浮かんだことは石原の、電撃戦と総力戦が交互に来る理論だ。予言についても、必要とされる時代と不要な時代が、交互に来るのではないか。布教隊長Xさんが発言したときは、戸田さんの布教方法が確立し、予言は不要な時代だった。
六月二日(火)4.(予言の短期が暴走)編
一日経過して、予言について新しいことに気付いた。長期の大まかな予言は正しいが、短期の詳細な予言は信用してはいけない。例へば、五十年後はかうなるといふ予言ならよい。今年の七月一日に大地震があるとか云ふのは、根拠がない限り、信用しては駄目だ。布教隊長Xさんの「七つの鐘」は、短期の詳細だから駄目だ。
昨日書いたことと併せて、長期の大まかな予言について、必要な時代と、必要ない時代がある。しかしどちらの時代でも、短期の詳細な予言は駄目だ。
六月三日(水)5.(批判力消滅が暴走)編
昭和45年にXX会が布教を停止したあとは、(1)XX会、同会が所属した(2)旧本門宗X寺派、(3)X宗、の三つが早速堕落した。X宗はそれまで、XX会の急激な膨張に危機感を抱き、戦時中に合同した本門宗の北山本門寺貫首を宗務総長に任命しXX会対策の責任者だったたが、まもなく些細な理由で宗務総長を追はれた。
昭和五十年頃に布教隊長Xさんが、今後は今の人数でやって行く、布教して入会した人に反乱を起こされたら大変だ、と発言した。
こののち、布教隊長Xさんのことを本仏だ、僧X大聖人だとする発言が会内に浸透し、X寺派の貫首、活動僧侶から批判が強まった。布教隊長Xさんは釈明せざるを得なくなり「これまでも注意してきたが、迷惑した」と発言した。
この二つのどこが問題なのかは触れない。問題なのは、こんな発言があっても会員から批判が起きなかったことだ。普通の組織なら、理事会で紛糾するはずだ。
六月五日(金)まとめ、僧X信仰を止めたあとの注意
僧X信仰を止めたあとは、急に宗教から離れてはいけない。航空機が飛行中にエンジンを停止するのと同じだ。心身のバランスを崩してしまふ。
お勧めは、曹洞宗の座禅会だ。全国に末寺があるから、相談するとよい。臨済宗や天台宗でも座禅会を開催するお寺があるから、これらもお薦めだ。
僧Xを信仰してきた人は、他宗に抵抗があるだらう。禅天魔と云ふ僧Xの言葉もある。しかしあの時代は、飢饉疫癘戦乱元寇の時代だった。釈尊を嘘つきにしないために、X経を信じないと駄目だと主張した。
しかし皆が平和に暮らす今の時代に、禅天魔は絶対にない。禅宗は、坐禅だけではない。曹洞宗と臨済宗に分かれる理由や、天台宗の止観との違ひ、曹洞宗はなぜ道元と瑩山を祭るのか、懐奘や義介が元は達磨宗だったなど興味は尽きない。(終)
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