千四百三十 排水路、中央排水路、見沼代用水の話題
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
五月九日(土)
排水路が中央排水路に合流するところは、鯉が集まる。排水路は、土手から見ても中央排水路より水質がきれいだ。ところが、本日の朝は排水路から茶色の水が中央排水路に流れ込む。排水路は排水場との合流部分に土が盛り上がり、それが少しづつ流れ出す。土の上に鴨の親1羽と雛7羽がゐた。

排水路を上流に向かふと、いつもより少し濁ってゐるが、土色ではない。土は昨夜の強雨により排水場からのものだらう。
外環道路の歩道橋を上ると、排水場の敷地がよく見える。すぐ後ろが水深団地だ。浦和郷土文化会会員一ノ瀬昌純さんが、水深団地の地下に下水処理場があり近くの工場から排水が流れると語ったのはこれのことかと納得した。処理場ではなくポンプ場のことだらうと(その一)には書かなかった。

五月十日(日)
辻用水を、東北本線鉄橋から六辻交差点手前の暗渠まで歩いた。鉄橋と道路との間のわずかな開口部に、コイらしき魚が1匹ゐた。かつて排水路と連絡する水路が分岐する部分は地下化され、鉄柵から微かに下が見える。しかし水流は見えない。
水辺公園の開口部は、ゴミを留めるための網がある。その先にもコイと思はれる魚が数匹ゐた。網の両側に棲息するのは不思議だ。
水路を下流に向かふと、水深が2cmくらいで石がごつごつと露出する。その先で再び水が復活する。しかしアメンボしか目立たない。

五月十一日(月)
今朝は朝食後に再度、東北本線鉄橋まで歩いた。往路の石がごつごつする手前で、川底の泥が舞い上がったので水面に目をやると、泥しか見えない。そっと視線を1mずらすと、コイらしき魚がゐた。
石がごつごつするところを過ぎて、地下化される手前はコイらしき魚が三匹ゐた。しかし一匹はうろこが二箇所剥がれてゐる。寄生虫かそれとも怪我か。

五月十二日(火)
気になる水路跡が幾つかある。一つはさいたま市立文化センターの南東端から国道17号までのバス通りの西側歩道の部分が、昭和40年代前半までは排水路だった。

二つ目は、そのバス通りが辻用水を橋で超える手前から、六辻交差点を経由し、昔の埼玉銀行支店(今は信金)まで、今でも水路跡の空地がある。辻用水から分流する用水路だらうと長年思ってきた。その一方で排水路と思はれる光景もあり、それは六辻交差点の角に2m四方くらいで標高が周囲より2mくらい低い部分があった。
今回、この水路は辻用水から斜めに分水するのではなく、その少し手前のバス通りの排水路が曲がったのではないかと気付いた。
この水路は信金の前で国道を渡り、反対側を1区画過ぎたところで、左折する道路の片側が歩道で、ここが水路跡だらう。しかし中央排水路に、合流口がない。

三つ目は、今の辻郵便局の前が昔は中古自転車屋で、店の前に排水路と思はれる水路があった。六辻交差点から国道から別れる裏道の歩道が不釣り合ひに広い。これがこの水路に続く。その先は、辻用水と合流するやうな空き地だ。

五月十三日(水)
昨日書いた二つ目の水路が中央排水路と合流するはずの部分から数10m上流に、60度の角度で小さな水流が合流する。下水道課が管理するので雨水管だらう。かすかに清流があるのは、湧き水か。清流を上流に向かひ、流れの切れたところを右折すると、片側のみ歩道のある二車線道路と交差する。ここで途切れる。
Yahooの地図で見ると、この水路など三本が中央排水路に合流する。実際に歩いて、三本とも確認した。そしてそれ以外にもう一本、昨日の二番目があったはずだ。四本を並べると、昨日の二番目が用水、残りは排水路か。
明治三十年頃の地図を見ると、一昨日の三番目で、排水路と思った水路は辻用水が二つに分かれた一つで、600m先で再び合流し一つに戻る。なぜこの区間だけ二つに分かれるのかは不明だ。合流地点から今は南西に流れるが、昭和30年代辺りまでは西に向かひ、中央排水路が無かった時代はロッテ浦和工場の南に続いた。今は中央排水路で分断され、ロッテ側は逆に流れ中央排水路に流れる。
白幡に現存する三つの水路は、元の辻用水とは方角が45度くらい異なる。排水路は区画整理し宅地化するときに雨水用に設置したのだらう。
昼休みに、自転車で白幡に行き、生産緑地で農作業をする古老にお話を伺った。
鉄塔から斜めに中央排水路まで。
六辻から埼玉銀行、その裏の田へ。国道のこちら側には来なかった。
辻用水から北に用水はなかったが、田んぼが続いたから水路で流れた。


五月十四日(木)
白幡沼まで往復した。信金の横に水路跡は見当たらず、白幡沼に地下水揚水用の電動ポンプはあった。このポンプは渇水期に沼へ放水するものだ。付近に田はなく、今では市による公園維持用か。
沼からの用水路跡と思われる水路が二つあり、今は排水路だ。このうちの一つは長く、白幡公園で今は暗渠化するものの右に曲がり国道まで続く。国道の歩道も幅が広く、白幡観音の向かひまで続く。観音の裏は今でも水路があるから、或いは繋がってゐるのか。

五月十五日(金)
白幡観音裏の水路は、平成10年くらいの地図では、中央水路の手前で直角に曲がり、二区画過ぎて合流する。今は直進して合流する。ここを見に行った。

五月十六日(土)
一週間ほど雨が降らず、流れの途絶へた辻用水に、或る程度の流れが復活した。或いは田植ゑの時季の当来か。その足で、蕨との市境の排水路にも寄ったが、こちらは僅かな水量で川底にはぬるぬるした生物(葉緑素のない植物?)が繁殖したままだった。
鯉が回遊した数週間前とは大違ひだ。しかし辻用水と連動しないことは、大発見だった。かつて排水路の水の一部が辻用水に流れ、田植ゑの時は辻用水の水の一部が排水路に流れた。今でも地下の建築物はさうなのかと思ったが、分離したやうだ。

五月十七日(日)
今朝辻用水を歩くと、川底の石が露出した区間も、水深が浅いものの水流が復活した。この区間の上流と下流に数匹づつコイがゐることも、今までと同じだ。水流があるので、コイは常に泳いで定位置を保つ。(終)

メニューへ戻る (見沼代用水、十三の一)へ (見沼代用水、十三の三)へ