千四百十八(モリカケ疑獄百九十二の八) 1.安倍の一斉休校はどこが誤りか、2.重なる「インパール作戦」
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
三月二十日(金)
毎日新聞によると、昨日の政府専門家会議で
感染が確認されていない地域では学校活動や屋外スポーツなどの再開も奨励した。政府は、臨時休校などの自粛要請の一部を解除する方針だ。

まづ、安倍が全国の学校を一斉休校にした。その問題点は二つある。(1)専門家の意見を聞かずに独断で決めたことと、(2)感染が確認されてゐない地域まで巻き込んだことだ。
政府専門家会議が安倍を批判することはできない。だから安倍の間違ひを、やんわりと修正した。そんな内容になった。

三月二十一日(土)
太平洋の広範囲に点在する軍艦が、それぞれミサイルを1発づつ装備してゐるとしよう。或る軍艦に敵が近付いたときに、点在するすべての軍艦がミサイルを発射したりはしない。遠くの目標に発射しても無意味だからだ。
これと同じことをやったのが安倍だ。感染が確認されてゐない地域まで休校にしたことは、目標がない海域まで発射したのと同じだ。その地域に新型コロナウィルスが出て来たとき、どうするつもりか。もう予備は無い。

三月二十二日(日)
今回の騒ぎで一番悪いのは、安倍が突出したことだ。突出の副作用は、反対意見を述べる者を排除することだ。JIJI.comによると
4日夕刻、国会内で行われた与野党党首会談で、立憲民主党の枝野幸男代表は(中略)目線すら合わせない首相の一方、眠たげでも話の要所でうなずく自民党の二階俊博幹事長の姿に、(中略)もう一つの思いを強くした。
「やはり、菅がいないな」

かうなった原因は
官邸内の異変が広く浸透することとなったのは、折しも新型ウイルスの感染拡大のさなか。文部科学省との調整が付かないまま、2月27日に首相は電撃的に全国小中学校などに対する休校措置を要請したが、政府関係者によると今井氏は菅氏不在の内部会議でこの対応を発案。国民行動を左右する重要政策の判断にも関わらず、「危機管理の要」には事後承諾で済まされたという。


三月二十三日(月)
記事は続く。
安倍政権の運営には特徴がある。(中略)内政分野全般は菅長官や首相側近の今井氏による総合調整に任せることが多かった。菅氏もかつて「この内閣で本当のことを知っているのは、総理以外は俺と今井だけだ」と語っていた。

それなのに
振りかえれば、「桜を見る会」をめぐっても、鉄壁とも言われた菅氏の説明ぶりはいつになくたどたどしい印象を与えていた。先の政府関係者は「桜関連の対応は安倍事務所と今井補佐官で仕切っている。菅氏はそこでの決定事項を伝えられている形」と明かす。

その原因について
別の政府関係者は、「決定的だったのは官邸での小泉進次郎氏の結婚発表だった」と指摘する。(中略)当時、菅氏は「令和おじさん」として知名度が高まり、「次期首相」にも擬されるように。自民党内では事実上の「菅派」と位置付けられる若手グループの活動が活発化した。(中略)「首相と心中する」と公言する今井氏は「黒子としての立場を離れ、『ポスト安倍』を見据えた菅氏の変化を見て取った」(政府関係者)という。


三月二十四日(火)
菅氏はかねて「岸田さんで選挙は乗り切れない」との立場。首相は後継として岸田氏への傾倒を強めており、取り巻く状況は厳しさを増すようにも見えるが、与党幹部は「首を切られる前に自ら辞めれば話は違う。新型コロナの収束めどが立った辺りで、政府対応の責任を取って辞任すると言えば、一気に政局の中心になる」と指摘する。
2004年には当時の在任最長記録を更新する中、年金未納問題の責任を取り官房長官を突如として辞任し、後に首相となった福田康夫氏の例もある。福田氏辞任も、北朝鮮の拉致問題をめぐり、小泉純一郎首相や安倍幹事長(いずれも当時)との対立が顕在化したタイミングだった。

ここは菅さんにも期待したい。

三月二十五日(水)
次はJBpressに載った
突然の一斉休校、重なる大戦時の「インパール作戦」

と云ふ、作家でジャーナリスト青沼陽一郎さんの記事だ。前文は
3月から一部の自治体を除く全国の小中学校と高校、特別支援学校が休校に入って、社会は混乱している。
経緯を振り返ると、2月25日に専門家会議を経て政府の基本方針を策定。翌26日に開かれた新型コロナウイルス対策会議で、安倍晋三首相が、この1〜2週間が感染拡大防止に極めて重要として、大規模なスポーツや文化イベントなどの今後2週間程度の中止か延期、もしくは規模の縮小を要請する。さらに27日になって、週明け3月2日からの全国一斉の休校を要請した。これには政府内でも慎重論があったというが、首相のいわば政治判断で踏み切った。
ここから、各自治体が対応を巡って混乱する。(中略)休校となった場合の授業の埋め合わせや卒業式など、どのような対応をとるのか、学校現場が混乱する。さらには、共働きやひとり親家庭は子どもをどこに預けたらいいのか、混乱はさらに深まった。

このあと本文に入る。最初の章は
兵站軽視で作戦強行、司令官は宴席三昧のインパール作戦

と云ふ題が付く。中身が楽しみだ。安倍は2月26日に「この1〜2週間が感染拡大防止に極めて重要」と言った。それから2週間後に、更に2週間と増え、本日で4週間が経過したのに、感染は収まらない。もはや敗戦確実だ。

三月二十六日(木)
安倍首相は2月29日に会見に臨み、(中略)「率直に申し上げて、政府の力だけでこの闘いに勝利を収めることはできません」(以下略)
確かに、ここまで感染が拡大すると、もはや国を挙げての戦いであることは理解できるが、この首相会見を眺めながら、私の脳裏には、あまりに大胆な連想が思い浮かんだ。
これは大戦中のインパール作戦と同じではないのか――。

青沼さんには『帰還せず 残留日本兵戦後六〇年目の証言』の著書があり、インパール作戦に従軍した元日本兵も登場する。
兵站を無視したこの作戦は悲惨な末路をたどる。(中略)軍内部でも反対や慎重論があったが、決行を強硬に主張し、指揮をとったのが牟田口廉也中将だった。現実的な兵站よりも精神論で作戦遂行を押し通している。
その牟田口中将や陸軍上層部は、作戦遂行中も芸者を呼んで宴会を開いていたと語り継がれるところで、当時を知る世代には怒りを滲ませる人もいる。


三月二十七日(金)
芸者の宴会の話に続き
今回の一斉休校も、その根拠に疑問が残る。(中略)子どもの集団感染は起きていない。
はっきりいってしまえば、いまの日本のような状態を避けるために「水際対策」があったわけで、政府はそれに失敗している。こうした失態を回復するために、政治判断が働いたのだとしたら、戦時中と変わらない。

そして
専門家会議では、濃厚接触を避けるための立食パーティーや飲み会の自粛が呼びかけられたこともあって、飲食店では事前予約のキャンセルが相次ぎ、営業もままならない。
ところが、安倍首相はその日の夜に、佐治信忠サントリーホールディングス会長や岡田裕介東映グループ会長らを公邸に招いて会食している。
一斉休校を要請した翌日の夜にも作家の百田尚樹氏らと会食している。(中略)政府の基本方針が打ち出された25日の夜には、自民党の二階俊博幹事長は世耕弘成参院幹事長や森山裕国対委員長らと、東京都内のステーキ店で会食。LGBTの生産性発言で知られる自民党の杉田水脈衆院議員は、都内で政治資金パーティーを開き、ここに現職の閣僚3人が出席。イベント自粛要請の当日には、秋葉賢也首相補佐官が仙台市内で立食スタイルの出版記念パーティーを開いていた。


三月二十八日(土)
安倍夫人の花見が国会で論争になった。しかし夫人の花見より悪いのが安倍の答弁だ。
安倍「それは公園ではなくて(中略)レストランの敷地内の桜の下で撮っている」
杉尾「レストランならいいのか。(以下略)」
安倍「じゃあレストランに行ってはいけないのか。」

公園は解放された空間だから、空気が入れ替はる。レストランの桜の下は屋外だが、まさか屋外で飲食をしたのではないだらう。レストランで隣や前の人たちと2m以上空間を取ったのか、調査すべきだ。

三月二十九日(日)
私は先週の祝日(金曜)に上野、浅草に行った。先週は不要の外出を控へる指示が出ていなかったし、三つの条件(密閉、過密、近接会話)をすべて避けた。そもそも鉄道に乗るのは、前日までの通勤と同じだし、祝日だから乗客は少ない。しかも、繁華街の混雑具合、コロナ対策を調べる目的があった。
それに比べて安倍夫人は、(1)近接会話で違反した。(2)友人10数人の他に警備関係者もゐただらうから過密も違反した。(3)二つに違反するとレストランは空調が整ってゐたとしても、密閉にも違反したおそれがある。
つまり三条件は、一つでも違反してはいけない。一つに違反すると、連動して他にも違反するからだ。野党は安倍夫人の使ったレストランの換気状況も調べたほうがいい。しかしそれより悪質なのが、昨日紹介した安倍の「じゃあレストランに行ってはいけないのか。」発言だ。(終)

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