千四百十九(その一) 経営者人望不要論を批判
庚子(仏歴2563/64年、西暦2020、ヒジュラ歴1441/42年)
二月十四日(金)
東洋経済オンラインに、経営者に人望は不要とする記事が載ったので、これを批判したい。
「人望のないゴーン」逮捕が招いた意外な副作用

と云ふ題で、経営コンサルタントの日沖健さんが書いた。まづ
私を含めて教育関係者の多くは内心「これはまずいことになったぞ」と焦っています。(中略)日本の教育関係者は「リーダーには人望が必要」と説いています。ところが、輝かしい実績を上げたゴーンが逮捕・逃亡によって実は人望がまったくなかったことが明らかになり、「リーダーには人望が必要」という教えが揺らいでいるからです。

本題に入る前に、目を疑った。日沖健さんの経歴を見ると、大学の商学部を卒業し石油会社の社長室、財務部、シンガポール現地法人、IR室に勤務し、2002年より経営コンサルタント。教育関係者ではない。
このことにこだはる理由は、自分より優秀な人に教育はできない。しかし個々の内容を伝授することは可能だ。つまり経営コンサルタントは教育関係者ではない。本当の教育関係者は今でも「リーダーには人望が必要」と思ってゐるはずだ。

二月十五日(土)
まづ
ゴーンが容疑を全面的に否認しているのに、日産の従業員からゴーンを擁護する声がまったく上がっていないことです。/ゴーンによって閑職に追いやられた従業員はもちろんのこと、ゴーンのおかげで経営者に取り立てられた志賀俊之元取締役や西川廣人元社長も、ゴーンを厳しく批判しています。賛否両論ではなく、全否定の状態です。/日産時代のゴーンは、自分にこびへつらう部下を厚遇する一方、車造りなどで意見を異にする部下には「Don’t teach me(俺に説教するな)」と言い放ち、容赦なく閑職に追いやりました。そのため、ゴーンに取り入って出世しようという従業員はいましたが、人柄を慕ってゴーンについていこうとする従業員・関係者はいませんでした。

ここまで同感だ。だから人望は必要だとするのが私の結論だが、日沖さんは逆の結論を出す。
ゴーンの実績を素直に認めるなら、人望がなくてもいい経営はできる、人望は経営者の必要条件ではない、という仮説が成り立ちます。人望がなくても、卓越した経営手腕や強大な権限があれば問題ないということでしょう。


二月十六日(日)
「無私→人望→人がついてくる→経営が成功」というロジックは、ゴーンや欧米のスター経営者を見る限り絶対のものではなく、「そうであるはず」という思い込み、あるいは「そうあってほしい」という願望にすぎないのかもしれません。
まづゴーンや欧米のスター経営者は、下請けいじめやリストラで、数字合はせを行なふ。下請けが、単なる取引なのに勝手に協力会社だと思ひ込んだのなら、下請けが悪い。しかし日産何々会を組織したり協力会社だとおだてておいて或る日突然、取引停止。よくて単価切り下げ。これは許されない。
リストラで、従業員が納得して退職したのならよいが、実際は嫌がらせ退職が横行したのではないのか。以上は、中小企業と労働側から見た批判だ。

次に経営側から見ても、ゴーンのやり方では、皆が面従腹背になるし、不平不満も貯まる。短期の数字合はせには有効でも、長期には凋落する。
欧米の社長は、取締役が監督する。不都合があればすぐに解任する。日本の取締役は、社長の部下だ。
1995年くらいに、社長の大学時代の友人で四流銀行(三流信託銀行)に勤務の男を会社に押し付けられた。受け入れなければ借金をすぐに返せと云ふ次第だ。この男のせいで社内の人間関係がめちゃくちゃになったが、私はこの男に「取締役なのだから、社長を取り締まらないと駄目ですよ」と友好的に言った。この男は即座に「それは監査役の仕事だ」と言った。これは決してこの四流銀行(今は買収され消滅)だけの意見ではない。日本全体を今でも覆ふ。
そのやうな状況で日沖さんみたいな主張をしたら、大変なことになる。(終)

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