千三百九十三 藤田一照、魚川裕司「感じて、ゆるす仏教」を批判
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
十一月二十七日(水)
藤田一照さんと魚川裕司さんの対談「感じて、ゆるす仏教」は、読む前から批判的になりさうな気がする。それは、確か鎌倉辺りだったと思ふがミャンマーで修業した日本人元比丘が活動を始め、インターネットで動画を観たところ「ミャンマーの人たちは仏教に純粋で、笑っちゃいますよ」と発言した。この人はこれ以外にも、他人を馬鹿にした話し方をときどきする。誰だったかは思ひ出せない。
この当時は、中板橋にミャンマーのお寺ができる前で、私の関心はタイの上座部だったのでミャンマーとの接点はなかったが、ミャンマーの人たちを馬鹿にした話し方は不愉快だった。
この人が誰かを調べると、山下良道さんに違ひない。そして藤田さんは、この山下さんと別の書籍で共著した。だから山下さんと考へが近いのだらう。

十一月二十八日(木)
藤田:苦痛や困難に耐えながら、がむしゃらに頑張って(中略)いまはそれをもう少しニュートラルに言うために、「ガンバリズム」よりも、order & controlと表現することが多いですね。つまり、「命令して、コントロールする」25
ここまでは問題ない。ところが
「感じて、ゆるす」という表現は、それと対照させた言い方で、英語ではsense & allowとなるでしょうか。これは、トップダウン式とボトムアップ式と言い換えてもいいかもしれません。司令官が部下に上から下に命令を下して、手足のように使うイメージと、現場で起きていることに耳を傾けてそれに応じて対処していくイメージ。
25
「命令する」ことと「感じる」ことは、両端ではない。命令しながら感じることもできるし、命令せずに感じないこともできる。「ゆるす」については、感じることを受け入れることがなぜ「ゆるす」なのか。
そもそもコントロールにしろ許すにしろ、それでは非思量にならない。藤田さんの言ったことは、数年間に一人または小人数が実施しただけだ。非思量は、道元以来長い年月に膨大な数の修行僧が実施した。どちらが正しいかは、状況が変はったのなら別だが、後者であることは明白だ。
「ゆるす」を除去して「感じる」だけなら、上座部に2500年の伝統があるから、これならいいことだ。大乗の止観や坐禅にも長い伝統があるから、それでもいい。
魚川:「考えるモード」と「感じるモード」は両立できない。これは重要な指摘ですね。33
「考へるモード」は「デジタル思考モード」と「アナログ思考モード」に分けられる。「デジタル思考モード」は言葉で考へること、「アナログ思考モード」は言葉にせず考へることだ。しかし権力を持つ人が「俺の直感だ」とゴリ押しすることを防ぐため、「アナログ思考モード」は高速で考へるときのみ使用し、後で「デジタル思考モード」の裏付けが必要だ。
「考えるモード」と「感じるモード」を安易に用ゐるので、反論してみた。それより経典には、色受想行識が書かれてゐるのだから、これを用ゐるのがよい。

十一月二十九日(金)
藤田:内山興正老師も言ってましたね。「坐禅の修行者は、奥さんに認められなきゃ駄目だ」って。42
これはこの本で最悪の部分だ。まづ妻帯すること自体が明治維新以降だから、それまでの伝統と断絶してしまふ。しかしそこは多くの読者が大目に見る。それなのに恥の上塗りで「奥さんに認められなきゃ駄目だ」なんて言っては駄目だ。
そもそも「奥さん」は、僧侶の娘なのか、檀家なのか、駒澤大学で知り合ったのか、性格はどうか、など要素がたくさんある。相手は別の宗教だが互ひに一目ぼれして、干渉せず奥さんはOLを続けられることを条件に結婚したとする。その場合は寺男を雇へばよい。弟子をとってもよい。こんな場合は、奥さんに認められたら駄目だ。
魚川:日本仏教において僧侶が結婚して家庭を持つことが一般的であるというのは、ポジティブな側面も多く有する文化であると考えています。82
ポジティブよりネガティブのほうがはるかに多い。以下に列挙すると
1.僧侶に金銭欲が生まれる。
2.息子を弟子にすると、親子の縁のほうが強いから、本当の弟子ではなくなる。
3.発心して出家した人は、入る寺がない。
4.娘しかゐないため、他の寺の次男を養子にすると、弟子ではないから法縁が破壊される。一旦師匠を変更すればよいのに、宗派によってはそれさへやらない。
5.世襲だと、僧に向かない僧が出てくる。本人にとっても不幸だ。
何より、比丘は戒律を守ることで神通力を得る。このことは誰も云はないが、それは上座や日本以外の大乗国では常識だからだ。

十一月三十日(土)
魚川:やっぱり喧嘩になったことありました?まあ、それはあるでしょうね。
藤田:(前略)癇癪を爆発させて物を投げるとか、(中略)子供たちがうるさく言ってもおもちゃを片付けなかったから、子供のおもちゃ箱を、二階から階段越しに下にどーっと投げたとか。88
藤田さんは僧侶失格だ。その理由は、反省の言葉がない。反省の言葉があれば、過去の家庭内の出来事や自分の性格について正直な人だと称賛できたかも知れない。
「できたかも知れない」と書いたのは、これ以外にも問題がある。まづ
魚川:いつ頃からそんなに怒らなくなったんですか。
藤田:(前略)年を取って怒るエネルギーもなくなったということと、禅堂にいる頃のような指導者としてプレッシャーがなくなったということが大きいんじゃないかなあ。89
無宗教の人も歳をとる。つまり藤田さんは、怒らなくなるのは宗教とは無関係だと言ったのと変はらない。これでは悪魔の思想、単純唯物論だ。
しかも禅堂にゐたときは怒ったと云ふのだから、これでは坐禅有害論だ。禅堂の指導者としてが悪かったのなら、まづ自分と参加者の立場をきちんと説明しなかったことと、参加者から相談された場合にきちんと回答できなかったことが大きい。
仏道では、貪瞋痴の克服が大切だ。それなのに藤田さんには、その姿勢が見られない。偽善言辞はいけないが、それと同じくらい勧悪懲善もいけない。藤田さんの発言は、怒ることの抑止にならない。

十二月一日(日)
藤田:日本で本質的な話をしようとすると、ちょっと間違うと、それが「人格攻撃」みたいに受け取られることも多いからね。(以下略)
魚川:言語の性質もあるだろうと思います。あくまで私が使ってきた実感レベルでの話ではありますが、英語に比べると日本語というのは、話している時に互いの社会的な位置や、相手との関係性を、常に意識むせざるを得ない言語ではないかと思うんですね。(中略)敬語もそうですし、一人称や二人称の選択や、文末の締め方など、そこにどうしても対話する相手との上下というか、位置関係が表れてしまう。139
どの言語に限らず、本質的な話をすることができる。ただし人間関係と、話者の能力や性格が影響する。相手への配慮が足りない話し方だと人格攻撃になるし、人間関係の悪い人どほしだとやはり人格攻撃になる。
敬語について云へば、日本語でも北関東以北には敬語がなかった。だから或る国文学者がそのことを指摘し、それに対して金田一京助が「いせん」「おせん」(どちらかが丁寧語だが検索しても出て来ない)を例に、敬語はあると反論した。金田一はもう一つ例を挙げたが、普通の人が使ふ語彙に比べれば少ないから、幾つかの例外を除いて東北地方は敬語が無かったと言っても間違ひではない。今はテレビの影響で東京式の話し方をするが、敬語が定着したからと言って社会構造に変化が表れた話は聞かない。つまり魚川さんの指摘は正しくない。
英語で話す場合は、母国語と比べて遠慮がちになるし、直接表現があったとしても相手が外国人であることを考慮してくれる。魚川さんもそれは判るから「私が使ってきた実感レベルでの話ではありますが」と断る。それなのに
藤田:日本語というのはたぶん、主観的な言語なんですよ。(中略)とりあえず話題になっているものを客観化することがなかなかできないんだ。これはまったく思いつきなんだけど、たぶんそうなんじゃないですかね。140
ある言語だと戦争が多いだとか社会不安があるとすれば、それはその言語に欠陥があるのだらう。日本では南北朝、応仁の乱、戦国時代があったものの、全体では戦乱が少なかった。言語と社会構造が均衡したのだらう。
魚川:ミャンマーのビルマ語は、見方によっては、それがもっと厳しいと思います。ビルマ語では、話している時に互いの社会的な役割が非常にはっきり言語表現される。だから、ビルマ語を使って俗人の立場で僧侶の方と「対等な議論」をするといったことは、なかなか難しいと思います。141
比丘に昼食を献呈するときは、比丘が食べ終ったあとで、在家が食事をする。たまたま比丘と在家がいっしょに食事をする機会があり、背中合はせで比丘たちが食事をしてゐるのに、ミャンマー人たちが大声で雑談をしながら食事をとった。私だけ日本語しか判らないから黙って食べた。
これが日本人だったら遠慮して、黙るか小声で話す程度だらう。比丘は戒律を保ち布薩で確認の儀式を行ふから、信徒は尊敬をする。同じテーブルでは食べない。しかし窮屈な関係ではない。だから学会や会議などで必要があれば、対等な議論は可能だと思ふ。
ヨーロッパの言語は、男性、女性が違ふと冠詞まで異なる。英語はノルマン人(使ふ言語はフランス語)の占領で文法が崩れ、今は名詞と冠詞の語尾変化が無くなった。名詞から男女の差が無くなって、影響があっただらうか。
三十年くらい前にフランスの首相だったか「イギリス人はホモが多い」と発言し、イギリスのマスコミが「我々はフランス人みたいに女性をじろじろ見たりはしない」とそれに反撃したことがあった。私は、英語の名詞から性が無くなったことの影響かと思ったが、その後そのやうな議論はなかったから、影響は無いとみた。
スリランカで、シンハリ人とタミル人の紛争が長引いたのは、英語を使ふことの欠点とみた。シンハリ人がタミル語を話し、タミル人がシンハリ語を話し、交渉は言語を交代すれば、紛争は早く解決したのではないか。英語を使ふと、言ひたいことを言ひっぱなしになる。遠慮や感情が無視される。英語を母国語とする人にはそのやうなことは無いのだが。(終)

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