千三百五十 3.ある女性を批判
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
八月二十日(火)批判を再開した理由
ある女性が前に、石田瑞麿の『女犯(にょぼん)』と云ふ本を読めと云ふので読んだことを思ひ出した。江戸時代以前の日本の僧で戒律に違反した人を並べただけで、何の価値もない内容だった。
あの本と、ある女性の自殺の研究も、多数の比丘たちは自殺なんてしないのに、膨大な文献を探して自殺した比丘や自殺を正当化する発言を探すつもりなのだらう。
その思考方式は間違ってゐるので、ここで批判することにした。併せてある女性は或る浄土真宗系大学と関係が深いことを今回知った。前回会ったとき、ある女性に信仰心をまったく感じなかった。ミャンマーのサヤレーの地位を、タイのメーチーよりずっと下だと不満げに話したからだ。
そのときは、英語で学習をし過ぎたため思考が西洋人みたいになったためだと解釈したが、或る浄土真宗系大学との関係の深さから、このまま放置して上座の信仰者みたいに世間から思はれたまま発言を継続させると、誤解する人が出る。

八月二十一日(水)やはりあった大乗傾斜の発言
前回ある女性に会ったときのページを見つけた(三百三十、上座部佛教と大乗佛教)。或る大学との関係だけではなく、ある女性自身が上座と大乗を同列に扱ふ発言をしてゐる。
大乗は仏教ではないとする主張があるとすれば、これは間違ひだ。しかし上座と大乗は同列だとする主張があれば、これも間違ひだ。上座は釈尊の時代から連続するし、パーリ語の経典は大乗研究者にとっても貴重だ。
だから上座を中心に、大乗も大乗の長い伝統を尊重するのがよい。仏道だけではない。すべての宗教は瞑想法の違ひだと判れば、共存が可能だ。

八月二十二日(木)還俗後に出家名を名乗ってよいか
昨年の11月に、ある女性が仏教雑誌に投稿した。冒頭で
はじめまして、xxxxです。法名xxxxです。

短い文章だが重大な問題点がある。「法名xxxx」は修道女だったときの名であり、還俗した後で名乗ることは偽出家だ。「xxxx」だけなら、場合により許容できるだらう。「法名」をつけたら駄目だ。
井上ウィマラの場合は、還俗の時、師匠に比丘名を名乗り続けてよいか訊いたことになってゐる。師匠は、まさか井上がギターを使った歌ふ瞑想など、仏道を外れることをするとは思はなかった。善良な優婆塞(upāsaka)として今後も仏道を支へ続けると信じたから許可したのであり、井上は師匠を騙したことになるから、これは許されない。

八月二十三日(金)社会破壊と西洋崇拝
日本でLGBTを騒ぐ人たちに不信感をもつ理由は、本当にLGBTの人たちのことを考へるのではなく、社会破壊と西洋猿真似だからだ。そして西洋猿真似は、西洋崇拝の場合と、西洋を猿真似することにより社会を破壊する人たちもゐる。
ある女性はLGBTに発言するが、まさか社会破壊が目的とは思ひたくない。だとすれば西洋崇拝だ。仏道に限らず、XX教、イスラム教、儒教道教神道の目的に、社会規範から外れた人たちを救はうとすることがある。だから西洋崇拝は正しく云へば、近代西洋唯物論崇拝である。 LGBTの人たちも生きる権利はあるから、仏道、XX教、イスラム教、儒教道教神道で救へないなら、あとは本人たちの好きにさせればよい。少なくとも、外部の人間が騒ぐ必要はない。

八月二十四日(土)上座と大乗
上座と大乗について、ある女性が上座部仏教と大乗仏教の両方に釈尊の説いた内容が入つてゐると述べたことについて、アジア各国の比丘戒を保つ大乗僧とその信徒が云ふのであれば、何の問題もない。
しかしある女性は、ミャンマーに留学し、上座を布教のための大学だから学費などが無料だったはずだ。それなのに帰国後に、この発言のほかにも、上座部仏教は原始仏教とは異なる、ミャンマーのサヤレーはタイのメーチーよりかなり低いと、批判をするのは恩知らずも甚だしい。そんなことを云ふのなら、留学中の費用を全額返済すべきだ。
ある女性はサヤレーとして出家したことをあちこちに書くが、ミャンマー留学中の出来事だから多くの日本人は、市井或いは農村のお寺で出家したと思ってしまふ。しかしある女性が出家したのはパオ僧院だ。パオ僧院は瞑想のための僧院だから、外国からも受入れ、英語その他の言語も広く使はれる。
日本から行ったのではなく、ミャンマー留学中に行ったのであれば、尚のこと瞑想僧院で出家と云はなくてはいけない。
パオ僧院は、近隣の住民、瞑想に参加した富豪など多くの人たちの善意でここまで大きくなった。ある女性はパオ僧院でも、多くの人たちの善意に支へられた。
これらミャンマーのすべての人たちは、ある女性がLGBTについて発言したり、僧侶は同性愛も含めさまざまな性行為を行ったと発言するために支へたのではない。(終)

追記九月三日(火)社会破壊、仏道破壊、偽善
初期仏教の律文献で禁じられている行為の数々に目を向けてみると
の次の段落に問題多発の文章を見つけた。問題部分を赤色にすると
上記のような見解をふまえ,仏教に基づく性差からの「解放の神学」を構築しうる。仏教による性差の認識を多元化することで,仏教自体の議論も豊かにできる。今後は,多様なディシプリンの研究者や,研究者の内外での対話を進め,これをフェミニズム運動であると同時に,エイゲイジド・ブッディズムの一形態としても推進していく必要がある。

LGBTの人たちも生きる権利があるから、その問題を改善するのなら賛成だ。ところがLGBTを騒ぐ人は(1)西洋猿真似、(2)社会を破壊、であり、(1)は更に(1-1)西洋崇拝、(1-2)西洋を真似ることで社会破壊、に分けられることを前に示した。今回新たに(3)が加はった。(3)性差を破壊
男女に不利があってはいけない。一方で性差を破壊することは、人間をアメーバや細菌に戻すことであり、これには反対だ。しかも人類が男女の性差を前提に長い歴史を掛けて築いた文化を、一瞬に破壊することであり、これにも反対だ。
「仏教自体の議論も豊か」は偽善だ。既にLGBTの人たちのためではなく、性差からの解放を目的とした以上、偏向の議論はあっても、豊かな議論はあり得ない。
「フェミニズム運動」で本音が出た。『性差からの「解放の神学」』とはフェミニズムのことだった。先ほども述べたが、男女に不利があってはいけない。一方で性差を破壊してもいけない。
エンゲイジドブディズムは、ベトナム戦争のさなかにティク・ナット・ハン比丘が提唱したから、広く世界が共鳴した。ベトナム戦争のさなかにティク・ナット・ハン比丘の提唱を聴いたら、或いは今でもご本人に会へば、私も共鳴するだらう。
残念なことに、NHKの番組でティク・ナット・ハン比丘を見たから、私の共鳴は少なかった。原因はNHKが西洋の観点で番組を作った。その後、ティク・ナット・ハン比丘が、日本の大乗は比丘戒を保つことを主張することを聴き、日本の仏道について本質を判ってゐることを知った。
ベトナム戦争は四十四年前に終ったので、今エンゲイジド・ブッディズムを主張しても共感は得られない。まづ、世の中には不当解雇、嫌がらせ退職、過労によるうつ病が蔓延してゐる。否、蔓延してゐたと言ったほうがいい。今は人手不足なので、ブラック企業はやって行けなくなった。蔓延してゐた時代に、女性の管理職、役員を増やせと言っても、NHKや新聞社など恵まれた人たちの運動ではないか。
だいたい事業開始の自由がある以上、男女差別はあり得ない。従業員の昇進は、事業者の裁量範囲だ。多くの企業では、従業員がそれを知ってゐるから、誰が何の役職に就かうとそれに従ふ。NHKや新聞社など恵まれた人たちだけが女性の比率云々を云ふから、世間から冷たい目で見られる。
今もエンゲイジドブディズムにすべき問題はある。地球温暖化だ。今の人類の繁栄は地球滅亡と引き換へだ。上座仏道の涅槃の思想は、地球温暖化防止と相性がよい。執着が人類を生み、人類が地球を破壊する。
昔は、男は力仕事、女は家事や事務と役割が決まり、疑問を持つ人はゐなかった。地球温暖化と引き換へで、力仕事が激減し、フェミニズムが現れた。LGBTだって、生きるのが精一杯のときは、そんなこと考慮する余裕はなかった。フェミニズムとLGBTは、人類と云ふ癌細胞が、地球を死に追ひやる寸前に起こす、醜い内輪もめだった。

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