千三百二十五 3.自宅とその周辺の話題
己亥、西暦2019、ヒジュラ歴1440/41年、紀元2679年、仏歴2562/63年
六月二十八日(金)
国道17号沿ひの元自転車屋が取り壊された。ここは既に看板が無く、営業をしなくなってかなり長い。
北戸田駅から少し離れた住宅地に、居酒屋と看板のある家がその2日遅れで取り壊された。ここは外から見た雰囲気が、割烹或いは日本料理屋みたいだった。私がこの前を始めて歩いたのは二か月ほど前だが、ここが開業するのを見たことがない。
1カ月ほど前に、二つの中間に位置する民家が解体された。ここの近くを歩くと、付近の家も古く、外壁がブリキ張り、便所から消臭のための排気塔がある。なるほど昭和50年前半に埼玉県によくある光景であった。
あと、昭和40年代は未舗装の道と、開渠の排水路。そして少し離れると広がる田圃。ここからかなり離れるが、見沼田んぼの周辺も同じく田圃だったのに、あっと云ふ間に住宅地になってしまったことを連想する。

七月三日(水)
もう一軒近くの旧農家がまもなく解体される。ここは小道の反対側に農機具を格納する納屋が、昭和四十年代からある。最近その納屋が取り壊された。隣の賃貸駐車場も更地になった。広大な土地に一軒家を建てて、今ある旧屋は売却するかマンションを建てるのだらう。
前に紹介した陸軍飛行機の墜落現場もここの所有だ。今は背後にご子息の家を建てたため、かつての社は小さくなった。私が草を除いて通れるやうにしたが、今は別の駅を利用するため、元の木阿弥になった。

七月四日(木)
昭和50年頃、旧国道の曲がり角に「妙法釜風呂」と書かれた看板があった。その方角に歩くとコンクリート造りの宗教団体の建物がある。たぶん同じ団体だらうとは思ふが確証がなかった。先日訊いたところ、昔はやってゐたが、今はやってゐないさうだ。

七月五日(金)
私が食材を買ひに行くことが、数ヶ月に1回あり、最近はBIG-Aに行くことが多くなった。大根、人参の古いものを半額で売ってゐると、つひでに買ってくるのだが、意外と減らない。共働きだから野菜を調理することがほとんどない。
先日はミョウガを買ったがほとんど減らない。3つ袋に入って半額で98円。1つは倍の大きさだから実質は4つだ。パックにつめて会社で昼食でも食べて、やっと残りが1つになった。

七月十三日(土)
この辺りは、田圃だったところを宅地化したから、昆虫も牛蛙もコウモリもゐなくなり、呪われた土地と表現したことがある。あと、プラザ合意の円高で、中小企業の工場が無くなった。かつて近くに電線工場と染料工場と電機工場があった。これも廃業、失業した人たちのことを考へれば呪はれた土地だ。これは最近気が付いた。
埼玉県南部には貨車の武蔵野操車場、大宮操駅があったが、これらが無くなった。これらはいつか書かうと思ってゐた。川口駅と蕨駅の貨物扱い所。川口駅から引き込み線でビール工場。これらも無くなった。
首都圏以外では人口減少で空き家が多い。今は情報産業が中心だから、すべての地方で仕事が可能だ。将来この辺りを再び田圃に戻す。その可能性が出て来た。(終)

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