千二百五十七 (続編)職場と、我が家と、近隣の話題
平成三十一己亥年
一月二十六日(土)室内に売りに来る弁当屋
昼休みに弁当屋が社内まで販売に来る。扉を開けるのを自主的に引き受けるうちに、誰もが私の係だと思ふやうになった。
時計の電子音チャイムが「ドミレソ(オクターブ下)--」と鳴るまでに扉を開けることにしてゐる。扉まで約10mで二回曲がる。しかし間に合はなかったことは一回もない。 かつては行列が二十人くらいになったが、最近はかなり少なくなった。価格を改正したことが原因だらう。値段上げたものと下げたものがあったが、上げたものがかつては人気商品だったやうだ。

一月二十七日(日)タイ料理店
三軒あるタイ料理店のうち、一番手前が休みだった。二番目は550円なので三番目の店で買った。何にするか訊かれてまごまごしてゐると1番がお薦めと云はれた。1番を注文するとそれから作るため暫く待たされた。
しかし作り立てで温かいし、食べてみると辛く暫くして体が熱くなる。トウガラシが多いだけだが、これが本場のタイ料理だ。あとから1番を調べると鶏肉のバジルご飯で、おかずはひき肉に玉ねぎとトウガラシ、ご飯は目玉焼きが乗る。あと水春巻きの小さいのが1つ。これはお薦めだ。

一月二十八日(月)三つのコース
二十七年前に健保組合のフィットネスクラブに通ひ始めてから、最初は週に2回や1回行くのに、暫くすると年に数回になる。二十七年間その繰り返しだった。
フィットネスクラブは、筋トレ、スタジオ、プールがあり、すべてに参加するとかなりの時間で、これだと永続が難しい。
高血糖値対策のため頑張ってみたが、今回の週末は休んだ。これは国際展示場に行って疲れが翌日まで残ったこともある。
これまで300円なら筋トレのみ、500円なら筋トレとスタジオ、750円なら筋トレとスタジオとプールと、自分で標準を設けたが、750円コースでちょっと息切れした。
インフルエンザが流行ってゐることもある。毎日25階から1階まで歩いて往復するから、これでよいと感じてしまふこともある。
過去に、健保提携センターで500円のところを見つけた。しかし場所が品川なので通ふのは困難だ。日吉にも500円のところがあったが、その後750円になった。

一月二十九日(火)市立のスポーツセンター
横浜では市立のスポーツセンターにも通った。引っ越し前にさいたま市のスポーツセンターも探した。一つは2時間まで90円と安い。もう一つはフィットネススタジオ併用で2時間まで510円。安いほうはマシンが少ない。高いほうはプールもあり別料金で410円。
それよりどちらも電車とバスを乗り継がないと行けない。といふことで朝日スポーツを継続しさうだ。

一月三十日(水)ポット
私は始業時刻の45分前には会社に到着する。システム本部で使用する2台のポットにお湯を入れることを自主的に行ふうちに、私の日課になった。
昼食前、昼食後にも確認し、最終退職者が出るときに少し残るやうにお湯を入れる。ところが、お湯の量が少なすぎると、気がついた人がお湯をポットいっぱいに追加してしまふ。 翌朝ポットのお湯を入れるときに、ほとんどいっぱいに入ったお湯を捨てることは心苦しい。昼食後にお湯を入れるときは必要量より少し多めに入れる。
あと、午後3時にもお湯の量を確認することにした。先週金曜にGM(課長に当たる)以上が合宿で不在になった。人数が一割減っただけなのに、この日はポットのお湯がほとんと減らなかった。GM以上は若い人たちに比べて、お湯の使用量が多いやうだ。

一月三十一日(木)自動演奏装置付きピアノ
一階の自動演奏装置付きピアノは、最近ポピュラー系だったが、本日からクラシックに戻った。ブラームスの「眠りの精」を演奏したので、そのことに気づいた。
中学校の音楽の授業で、「眠りの精」はピアノの伴奏がよかった。今回はそれほどではないので、ブラームスより中学の音楽の教科書のほうが優れてゐるのではないか、と云ふことはない。三人寄れば文殊の知恵で、編曲者はブラームスが気付かない伴奏に気付くし、伴奏法も進歩したのだらう。

二月一日(金)退職者
即日付で退職者が一人出た。五十歳代後半なので、転職先があったのかも知れないし、家業を手伝ふのかも知れない。今から25年ほど前に、アメリカ企業が開発した独自の言語(データベースアクセス、画面帳票作成)を私の勤務する会社が輸入販売し、この言語を使用した開発のため、技術者への教育を私が担当した。
教育したうちの一人に中途入社者がゐて、それが昨日退職した人だ。後に部長になったり再び主任クラスになったりして(昔はローテーションみたいに上がったり下がったりしたので、左遷ではなかった)今日に至った。
年に二回ほどキックオフミーティングを東京地区全体で行ひ、私とこの人が受付を担当したことがあった。混雑緩和のため、名簿は同じものを二枚用意して机に並べ、入場のときに各自がどちらかに丸を付ける。或る営業員が両方に丸を付けたので、私が冗談で「あ、二つ丸を付けると無効になってしまふのですが」と云ふと、その営業が真面目な顔で「え、さうなんですか。抜けるといけないので両方付けたのですが」と答へ、昨日退職した人が大笑ひしたことがあった。

二月二日(土)二度目のタイ持ち帰り料理
先日三つのタイ料理店が並ぶ通りに再度行ったところ、一番手前の店はやはり休みだ。タイに帰国し暫く滞在するのかも知れない。再び三軒目の店で持ち帰りを注文した。ここは弁当ではなく持ち帰りだ。今回は二つ目のチャーハン(豚、エビから豚を選択)を注文した。外が寒いので中でと云はれ、中で待った。調理場と並行に客席が一つある。通路兼客席で、奥が広くなる。
肉と野菜が少なく、昨年不満だったのはこれが原因だが、チャーハンの量は多い。私はたんぱく質と野菜を気にするから不満だったが、決して悪くはない。

二月三日(日)NSビルと京王モールアネックス
NSビルの夜の様子を内部から見よう。さう思って帰宅時にNSビルに寄ったあと、地下道がビルに接続することを知った。この地下道はJR新宿駅南口から京王新線の新宿駅に沿ひ、都庁までつながる。
翌朝、この地下道を経由し、途中で右折してシーズンロードに入った。その終点は中央通り地下道で、私が出勤や退社時によく利用する。今までシーズンロードに気づかず、その前を素通りしてゐた。
その次の日は、シーズンロードに右折せず都庁まで歩いた。都庁に近づくと歩行者が少ないことに以外だった。しかしその先でNSビル内を経由する人が多いことに気付いた。
本日からディスプレイを机の奥に移動した。昼食は週に二回天ぷらそばを食べるが、副食として野菜に1袋90gを買ふのを停止し、1パック50gに変更した。

二月五日(火)タイ料理店を探せ
NSビルの次にセンタービルの夜景を観ることにした。センタービルに一階から入り地下から抜ける。このときタイレストランが昔はあったはずだと思った。或いは新宿三井ビルかも知れないと思ったが、Yahooの地図によると地下街は三井ビルにつながってゐない。
あのタイレストランは値段が高く、開店何十周年記念だかで割引のときに一回食べただけだ。三年前まで都立特別支援学校で教へてゐたときに、授業は午前で終りなので会社に戻る途中で昼食を食べにこの辺りまでよく来た。タイレストランの前も何回か通った。あの懐かしい店が無くなってしまったのだらうか。
本日の朝は、JRの甲州街道改札(元のサザンテラス口)を外に出て坂を半分降りたところの地下道入口から京王アネックスに抜けた。会社から帰るときにこの経路を通ることはあるが、出勤時に逆行するのは珍しい。それは埼京線のホームからの会談が混むからだ。
今朝はセンタービルを調べるためこの経路を用ゐた。そしてタイレストランを見つけた。新宿三井ビルは一昨年まで月一回昼休みに声楽の音楽会を開催してゐた。私は最初、昼食を食べたあと走って観に行った。何か月か後には11時45分から私用外出を取って出掛けた。だから新宿三井ビルは北側から入る一階への印象が強い。南側から入る地下一階は別の顔があり、新宿三井ビルとは気付かなかった。

二月六日(水)朝日生命本社ビルとスバルビル
新宿三井ビルを見逃した理由は、Yahooの地下街地図が新宿三井ビルを灰色にしてゐる。地下街から直接通路がなくても地下広場が隣接してゐる。或いは広告料を払はないビルは載せないのかも知れない。
タイレストランをめぐり、いろいろ調べるはめになったが、昨日の帰宅時に地下一階を歩くと、高級さうなレストランだ。これでは割引時にしか行けない。
隣に奇怪な外観の建物ができた。これが商用ビルだったら称賛しただらう。教育機関がこんな派手なビルを建ててはいけない。前は何だったか調べると朝日生命本社ビルだ。待ち合はせの名所「新宿の目」の後方に、古河三水会の標識と会員会社名すべてが書かれてゐた。富士通グループでは富士通と富士通アイソテックが加盟してゐた。昭和六十一(1986)年頃の話だ。
あのころ新宿センタービルに行く用事があったことを思ひ出した。完全に忘れてゐた。新宿の目はスバル本社ビルだが、これも現在取り壊し中だ。

二月七日(木)一階の自動演奏
私の昼食パターンは、天ぷらそばが週二回、一階の中華料理店の弁当が週三回に落ち着いた。昨日の中華料理店の弁当は魚を選択した。日本料理ではないかと思ったが、中華料理にもあるのかも知れない。
クラシックは1日だけ、昨日はジャズ風のピアノになった。本日はポピュラーの曲だ。ポピュラーは伴奏がよくない。落ち着かないし、単純な繰り返しだ。

二月八日(金)センタービルは地下入口が二箇所ある
出社時に三井ビルを経由して、センタービルと新宿三井ビルを混同するもう一つの理由を見つけた。センタービルは手前と奥の二箇所で地下広場に繋がる。途中に地下の建物部分があるためだ。センタービルの奥と新宿三井ビルは地下広場が隣接する。
昨日の帰宅時と本日の出社時に、中央通り地下一階通路の両側を連絡する地下二階の階段を歩いた。地下二階に駐車場があることを三十五年後に初めて知った。通勤時も経路を変へれば気付きがある。(終)

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