千二百四十一(その二) 長光寺で二回目の坐禅会
平成三十戊戌
十二月十五日(土)
本日は、二回目の坐禅会に参加した。前回もさうだが、新大久保駅はホームの階段から下が混雑する。理由は改札の外に立ち止まる高校生が多い。前回は東新宿方面に歩いて、道路新設中の歩道を歩いた。今回は中央線各駅停車の大久保駅方面に歩き、すぐの道を左折した。
前回は北向観世音菩薩の先を右折し、この道は朝の出勤時にも一回歩いたことがある。今回は北向観世音菩薩の手前を歩いた。韓国色が濃厚な路地だった。正式な坐禅は一柱で四十五分だったが、私は三十分前に座り、その十五分後に上着を更衣室に置きに行ったので十五分+四十五分を坐った。
途中で居眠りが五分ほど出たが、前方に頭が大きく傾いた瞬間に目が覚めて、それ以降は真剣に坐れた。その直後に警策を入れる音が二人分聞こえた。もう少し早ければ私も合掌し(合図になる)入れてもらふのだが、このとき居眠りは完全に直ってゐた。部屋が小さいので、ビシっと云ふ音が大きく響く。中には恐怖心を持つ人もゐるさうなので、不必要に警策を願ふことは避けた。
狭い建物に、坐禅堂と男女それぞれの更衣室を作った長光寺の工夫には、心から敬意を表する。坐禅が終了の後に、一階の本堂で法話があった。先週と同じく住職の法話を期待したが、坐禅の指導をされた若い僧侶だった。この法話が立派だった。
春は花
夏ほととぎす
秋は月
冬雪さえて
すずしかりけり

これは道元の和歌で、川端康成がノーベル賞を受賞したときの講演「美しい日本と私」の冒頭で引用した。我を無くせば、自分と他人の区別もなくなり、自然界との区別も無くなる。それを詠った。以上の説明があった。

十二月十六日(日)
この法話は何年か前に信者への法話にしようとメモ書きにしたが、メモに書いた内容が判らなくなり、そのときは別の話をした。
今年の一月から話すやう住職に云はれたときは、いづれ話すとは思ってゐたが、こんなに早いとは思はず驚いた。話をするのが苦手だった。

法話が立派だった秘訣はここにある。話をするのが苦手だと思って話すと、実は立派な話になる。その逆に、俺は話が上手だと思って話すと、見下した態度になる。
あと、法話で話してはいけないパターンが無かったことがよかった。まづエピソードを長々と話す。どこどこに行って何々をしてゐたら信徒に偶然会って、こんな話をして、と延々と続く。これは一番避けるべきことだ。今回の法話は、話が苦手だ、住職から云はれたと、手短に話した。これは逆に親近感を増すからよいことだ。
次に西洋語を混ぜない。これは前回の住職の法話も西洋語が無くよかった。住職は漢字を偏と旁に分解し解説されたが、これは伝統的な方法だ。漢字の話をすると西洋語とは逆の方向に行く。法話は歌舞伎、講談、浪曲と同じで伝統の話術だから、外来語を入れてはいけない。もちろん既に定着した語を無理に日本語にしなくてもよい。テレビ、アクセル、ブレーキを無理に日本語にするとかへって変になる。

お経本が永平寺版とあるので、長光寺は永平寺の末寺なのかなと思った。総持寺系は多いが、永平寺系は少ないからだ。帰りは北向観世音菩薩の手前までは往路と同じ、そのあとは線路の東側を歩いた。大久保通りの手前が混雑し、韓国の店を待つ人の行列が原因だった。韓流ブームは今も健在なのかな。
往路で、halalと書かれた食材店に寄った。買へる食材があれば、と思ったが無かった。数日前も高田馬場まで行くときに大久保駅南口近くのタイ料理のお菓子屋で弁当を売ってゐた。眺めてゐると店員が出てきて、そのときhalalと書いてあることに気付いたので、タイ南部のイスラム教ですかと話をした。タイ南部ではかつて分離運動が起きたが、バンコクの空港にイスラム教徒用の礼拝室を設けるなどタイ政府も気を使ひ、今は平穏だ。私は仏道もイスラム教も争はない世の中にしてほしいと思ふ。(終)

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