千二百四十一 長光寺を正式参拝(坐禅会参加)
平成三十戊戌
十二月八日(土)
朝、会社に出勤するときに新大久保駅で降りることもある。この付近の地図を見ると、北向観世音菩薩がある。少し遠回りになるが寄ってみて、なるほどと思った。アジア街のなかでも韓国朝鮮料理などが周りに多い。その雑踏の中に、北向きに鎮座する。
近くに入口がない。お寺もない。しかし路地をぐるっと回ると曹洞宗のお寺があった。中で繋がってゐるのか飛び地なのかは不明だ。
数日後に航空写真で細長い墓地だと判った。公式参拝として坐禅会に参加しよう。早速調べると、来月は満員だ。その翌月を申し込んだ。と云ふことで三か月後の本日、坐禅会に参加した。
予約が必要なのは初回だけだ。二回目からは予約なしで参加ができる。初回で驚いたことは、人数の多さだ。25人ほどゐた。欧米人が3人ゐた。親子づれが二組あった。これはよいことだ。坐禅会を会費制にすると、子供づれは参加がしづらい。
若い僧から、地下の衆寮で二十五人が坐禅指導を受けた。畳が縦一畳ではないから、僧堂ではない。総持寺の衆寮は、元は雲水が勉強をするところだったが、今は信徒の坐禅に使用する。それと同じ作りだ。厳密に云ふと前方に書籍を置く机が無いが、勉強をする部屋ではないから、信徒の坐禅用としては総持寺の衆寮と同じだ。
一回の坐禅は四十分が基本だが、総持寺の日曜参禅会は二十五分だ(今は日曜参禅会が無くなったから不明)。それと同じなので、これも悪くはない。
靴下は脱がなくてよい。これは総持寺と異なるが、実はここが重要だ。私は伝統を重視するから、靴下を脱ぐことに抵抗はない。しかし今の若い人たちは、抵抗がある。椅子に座ってもよいのだから、靴下は履いたままにすれば、坐禅会の2回目以降の参加者が増える。そのことに気付いた長光寺はさすがだ。

十二月九日(日)
坐禅終了後に、本堂で住職の法話があった。穏やかな人柄で、坐禅を普段から行ふ人は、かうでなくてはいけない。それより感心したのは、戦後のマッカーサーによる偏向情報の影響を受けてゐないことだ。
「今日は何の日か判る人、ゐますか」と質問して、誰かが「開戦の日」と答へた。住職は釈尊の悟りの日であることを説明の後に、開戦の日でもあり残念なことだった、と一言云はれた。
誰かが答へたのだから、それを無視しない。きちんと対応された上に、多くの人命が失はれたのだから、残念と答へる。
しかし戦後のマッカーサーによる偏向情報が、米ソ冷戦終結以降の日本に影響し、日本が悪くて米英仏は正しかったみたいな西洋帝国主義称賛にもならない。
理想的な法話であった。

十二月九日(日)その二
法話を、私のメモ書きで紹介すると
自分は無かった
悟 りっしんべんに吾。自分の心
禅は質素。江戸時代に日本に来た外国人が記したものに、日本人は質素だがみんな明るい
今は豊かだが、明るくない
八戸の西有禅師

以上のお話があった。配布されたB5の印刷物のうち、印象に残った言葉を紹介すると
損は悟り、得は迷い
馬鹿下駄を履くべし、便所の草履 この世に生まれたのはあなたにしか出来ないことをするため

外国人が3名参加されたので、法話の最後に「判りますか?」と声を掛け、「判ります」と日本語で答があり、「西洋の人は考へが多すぎるので、簡単に考へるとよいですよ」と軽く話された。
今日は何の日かの質問に「開戦」と答へた人を無視せず、今また外国人三名に声を掛ける。どちらも対応するところが、さすが老師だ。あとこれは意図してしたのではないと思ふが、すぐに反応せず時間を取ってから反応する。これは私も見習ひたい。
私のメモ書きにはあと、第一次大戦のあとフランスがドイツに課した賠償金は払へる金額ではなく、これがナチスを生んだことと、日清戦争の賠償金で八幡製鉄を作ったことが書いてある。これは昔の戦争は儲かった話で、日本の悪いところと、フランスの悪いところを公平に扱ふのはよいことだ。
ここ十年ほど気になることに、僧侶のなかに法話にカタカナ語を入れる人がゐる。これは絶対に止めるべきだ。あと、西洋はよくて日本は遅れてゐるみたいな話し方の人もゐる。住職の法話は、若い人たちの手本となる、よい内容であった。(終)

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