千二百二十三 成願寺の井上坐禅会
平成三十戊戌
十一月三日(土)井上寛道老師
成願寺では、遠州掛川の井上寛道老師を月に1回の割合で招聘し、土曜に井上坐禅会を開催する。私も本日参加した。終了後の感想は、四柱と提唱まで充実したものだった。
午前中は三柱と経行。昼食は持参外出可とあったので、中野坂下の100円ローソンで予め購入した。
しかし成願寺さんでプラスチックの容器に入ったおかずを料理してくださったので、それを頂きながら、各自持参した昼食を食べた。昼食も如法に曹洞宗の作法に従った。形から入るのは日本にあったよい方法だ。
午後は一柱のあと老師の提唱。本日は正法眼蔵第六十「三十七品菩提分法」の
たとへば、浣衣の法のごとし。・・・

から四十六行進んだ。これはよいことだ。とかく経典や宗祖の解釈は、どこの宗派でも数行しか進まないことが多い。これくらい進むことができるのは、説法が上手なのだらう。
井上寛道老師の説法を聴いた最初の数分間で、手塚寛道師とお顔、笑ひ方がそっくりだと思った。手塚寛道師は、鍋屋横丁の先にあるX寺末の中野教会の主管(寺の責任者を住職、院と教会の責任者を主管と称した)だった。
戦前から戦後の昭和三十年辺りまでのXX会は、多くが中野教会の信徒だった。手塚師と井上師のお名前がどちらも寛道だと気付いたのは、家に帰ってからだった。

十一月四日(日)提唱
井上寛道老師の提唱で印象に残ったのは、洗濯のときにきれいになったかどうかを調べるには、着物を見る方法と洗ったあとの水を見る方法があると言はれた。これはかつて手で洗濯した時代はさうだったし、小学校などで雑巾を洗ふときもさうだったことを、懐かしく思った。私が小学校低学年のころは、まだ電気洗濯機がなかったことを思ひ出した。
次に、火風土水空のところで、面白い順番ですねと笑ひながら話された。正法眼蔵の本の注釈には「火風土水がともに空であるのを用いて」とある。次は地水火風空が登場し注釈は「地水火風空そのもので地水火風空を浣」とある。老師はこの辺りには触れず、聴いたときに不満もなかったが、一日経過して気付いたことは、上座部の比丘には経典僧と瞑想僧がゐる。同じやうに曹洞宗にも経典僧と坐禅僧がゐる。
茶話会が退屈な時間になったのは、参加者の質問が悪い。しかしそんなことを主張しては駄目だ。皆が委縮してしまふ。精神相談には、重ければ精神科医、軽ければカウンセラーだが、更に軽い場合が茶話会なのだと気付いた。尤も人生相談にも専門家はゐるから、茶話会で質問する人は、仏法に興味があり、しかも人生相談を希望する人なのかなと思った。
私は初回なので遠慮したが、それでも二つ質問した。一つは「しんそう」とは「心相」ですかと云ふもので、答は「真相」だった。静岡県では「できる」を「きる」と発音する人が多い。同じく「んそう」は真相のことだった。
もう一つは、正法眼蔵に坐禅の方法が判りやすく書いてあるから、皆さんは一人でできる、と云ふ話が続いた。話には流れがある。どんなに弁舌が達者な人でも、流れを変へることは難しい。だから「信者は普段から、僧侶の指導なしに修行すると方角を間違へると考へてゐます」と質問を入れてみた。あまり流れは変はらなかったが。
ここで信徒は僧侶の、僧侶は過去の僧侶と在家の歴史に従ふべきだ。今回は信徒の話だが、僧侶も近年は特に外国から戻った僧侶が独立したり勝手な教義を唱へて困ったことだ。

十一月四日(日)その二世話人
会場では世話人の方にどうすればよいかお聞きした。名簿に名前を書いた。世話人と次の問答があった。
世話人:これまで坐禅会に参加して何をしましたか
私:他宗の読経に当たるのが曹洞宗では坐禅に当たると思ひます。曹洞宗でも読経は行ひますが。
坐禅の目的は何か
只管打坐です。
仏とは何か。
狭く定義すれば仏像だと思ひます。私たち自身が仏とする考へもありますが・・
(話を遮って)考へがあるではなく、仏なのですよ。
世話人だから信徒なのだらう。信徒でこれだけうるさい爺さんは貴重な存在だ。さう思ひ、反論することなくおとなしく話を聴いた。
世間では坐禅のうち坐は教へても禅は教へません。ここでは禅を教へます。

それは有難いことだと世話人をよく見ると、僧形の髪だ。或いは高齢で髪が薄いのかも知れないので
井上老師ですか。
あちら(本堂の方角)に控へてゐます。
あと六根、坐禅を終へても戻るのではなく生活が坐禅。そのやうなお話があった。この時点でも、まだ世話人をまだ信徒だと思ってゐた。世話人が法衣を着し、正法眼蔵隋聞記
参師問法の時、身心を浄らかにし耳目を静かにして、ただ師の法を聴受し
更によ念を交えざれ
・・・
即ち真の道人となるなり

を読まれ、老師の話に自分の解釈を交へずそのまま聴くこと、メモを取らずその場で聴くことを話された。
茶話会の終了前に、法門を聴きたい人にとっては一回で来ないことが多いと話されだが、充実した内容なので、来月も参加したいものだ。(終)

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