千二百十一 定期券沿線の話題(高田馬場、赤羽、新大久保)
平成三十戊戌
十月七日(日)高田馬場
昨日は、久しぶりに国会図書館に行かうと思った。佼成図書館は土曜の閉館がときどきある。昨日はそれに該当するからだ。しかし予定を変更し、午後から高田馬場に行った。朝食のときに、早く食べたほうがよいおかずが幾つかあった。冷蔵庫に入れるから悪くはならないだらうが、昼食を家で食べてこれらを終はらせて、午後に出かけた。
半日のために国会図書館に行くのは、電車賃がもったいない。そこで定期券の範囲内で、高田馬場に行った。大久保近辺は中国、韓国、タイのレストラン、食材店が多い。それに比べて高田馬場はミャンマーのレストラン、食材店が多いからだ。
とはいへ、高田馬場は繁華街だから普通の店が多い。予め調べておかないと、どこがミャンマーの店なのか判らないうちに終ってしまふ。昨日はそれに該当した。ミャンマーのレストラン1軒と、ミャンマーのシャン族のレストラン1軒を見つけた。昼食は家で食べたから、食材店で何か買はうと思ったが、食材店が見つからなかった。
代はりにドン・キホーテで普段履きの靴を買った。西川口のドンキに行かうと思ってゐたが、高田馬場になった。それだけだった。富士短大方面の路地を歩いたが、ここには何もなかった。西武線の改札横のビルは、一階と二階が商店街、三階以上はトレーニング、ゲームセンター、レストラン、ボーリング場が入る。二昔前の事業形態だが流行ってゐた。

十月七日(日)その二赤羽
池袋は電車を乗り換へる。階段を降りて10m先に改札がある。しかし足が向かなかった。先日降りたばかりだし、混雑する駅は避けたい。最初からサンシャインに行こうだとかを決めないと、池袋で降りる決心は浮かばない。
赤羽でも電車を乗り換へる。いつもは南口系の階段を使ふので、試しに北口系の階段を降りた。何と3か所の階段がすべて北方に繋がり、その間は商店が連なる。なるほど赤羽は乗り換へ客が多い。だから階段は他のホームに行ければよい。そして出口は最北端にしかない。途中は商店やレストランが目を楽しませる。これががらんどうだったら、出口まで歩く距離が長いと不満に感じるだらう。店やレストランが連なると、店に入る訳ではないが、目を楽しませる。
試しに北口を出ると、その北側にも線路下を明るい商店街が続く。かつては赤羽駅の貨物取扱所があった。東北貨物線と赤羽線の貨物が上下。つまり複々線だった。ここに貨物列車が到着し、入れ替へを行ふ。
その間はその線を走行できないが、なるほど今思ふと、かつては赤羽線を貨物列車がたくさん走った。夜間に多いが、昼間もときどきあった。板橋駅で入れ替へを行ふ列車もあったが、板橋を通過する貨物列車もあった。後者はなぜ田端操駅経由ではないのだらうと不思議だったが、今思ふと本線を塞いだときは、もう一つの本線を経由する。本線を入れ替へに使ふ赤羽駅の珍しい配線の賜物だった。
赤羽駅の貨物が廃止になって10年後に東北新幹線が上野まで開通した。商店街は東北新幹線と東北線、京浜東北線のガード下を活用したものだから、東北新幹線が商店街を生み出した。赤羽駅の貨物廃止はその前の話だ。否、東北新幹線が開通した13年後に、すべてのホームが高架になった。南口系、北口系の改札内商店街と、北口の改札外に展開する商店街は、貨物廃止から3つも後の話であった。
北側の商店街を抜けると、広大な駐車場群がある。それを抜けると、最初はどこだか分らなかった。或いは貨物の引き込み線跡かと蕎麦屋のよこを歩いたが行き止まりだ。もう一本奥の緑道を歩くと、そこは引き込み線の跡だった。保健所跡まで歩き、赤羽台団地を抜けて、駅に戻った。車道専用のトンネル、東洋大学、赤羽台団地を建て替へたヌーヴェル赤羽台。すべてが初めて見る光景だった。残った赤羽台団地の間の路地にかすかに昔の面影があった。

十月七日(日)その三北区区民まつり
北口系は東口と西口に分かれる。東口の駅前広場で、テント張りの出店が8つくらいあった。そのうちの一つは沖縄系で、泡盛を一杯(400円)飲んだ。丸眞正宗の瓶もあった。北区区民まつりにしてはずいぶん小規模だが、ちらしを見ると赤羽公園、赤羽会館でも催しがあるらしい。それらを合はせても小規模だ。
今回この特集を書くにあたり、インターネットを調べたら、他に王子会場が飛鳥山公園、滝野川会場が滝野川公園と滝野川体育館とある。なるほど昔の北豊島郡岩淵町・王子町・滝野川町がそのまま続くのかと感心した(岩淵町・王子町は東京市に合併するときに王子区、滝野川町は滝野川区になった)。
地下鉄の赤羽岩淵駅や志茂駅から赤羽駅まで歩いて京浜東北線に乗ったことは何回かある。赤羽一番街がずいぶんさびれたものだと驚愕した。そのときは赤羽岩淵駅が出来て、歩行路が変化したためだと思ったが、赤羽駅北口の北方に展開する商店群が原因だった。

十月十一日(木)旧バリューローソン系
ローソンストア100をWikipediaで見ると、普通の店舗と旧バリューローソン系は看板が異なる。旧バリューローソン系の店も一回行ってみたいものだと思ってゐたが、Wikipediaの写真をよく見ると新大久保店で、朝の出勤の途中に3回に一回は寄る店だ。今まで気がつかなかった。

十月十二日(金)道路の反対側を歩いてみた
出勤の時に、新大久保駅から大久保駅の先まで、道路の反対側を歩いてみた。新たな発見があった。小さな飲食店や小売店に混ざって、中規模のビルがあった。どこの会社だらうと見ると、関東ITソフトウェア健保組合だった。
かつては東京都小型コンピュータソフトウェア産業健康保険組合と名乗った。平成十四(2002)年にソフトウェア業界が不況に見舞れた。それまでずっと成長を続けたので、初めての不況に倒産した会社も多かった。だからこのときに加盟事業所が激減し、範囲を東京から関東に、小型コンピュータから中型やマイコンチップにまで広げたのだらう。さう思ってきた。
ところがインターネットで調べると事情は違った。平成15年(2003)に社会保険庁東京社会保険事務局への接待が発覚し、翌年名称を変へた。
関東ITソフトウェア健保組合の会館は、前に三島由紀夫、森田必勝両烈士追悼四十三年祭に参列するときに行ったことがある。あのときは両烈士が切腹した自衛隊市谷駐屯地のすぐ近くだった。
永六輔即死、ではなかった永六輔作詞の「知らない街を歩いてみたい」を思ひ出す。知らない道路だけではない。反対側の歩道を歩いても、発見がある。私はかつて鶴見区馬場に住んだときに、鶴見まで往路だけ歩いた。第二京浜まで7通りほど、第二京浜から会社まで10通りほど。両方を組み合はせて70くらいの経路があった。
同じ道を歩くと、習慣化するから頭を使はない。違ふ道を歩くと、それだけで頭の訓練になる。(終)

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