千百八十八 引っ越し日誌
平成三十戊戌
八月二十六日(日)
二十五年間住み慣れた横浜からさいたま市に戻った。老母を一人にしておくのは心配だ。今までは母に電話で聴くと、手押し車があるから大丈夫だと云ふ。
数か月前に、母の血糖値が異常に高くなり病院へ行くときに付き添った。道路の端を歩くと手押し車が傾斜で更に端に寄る。だから白線を超えて車道に半分はみ出す。これは危ないから毎月病院に行くときに付き添ふことにした。
週に一回くらい実家に行って、買ひ物をするやうにしようと、今回の血糖値騒ぎが起きる数か月前に妻と相談して電話したが、これも大丈夫だと云ふ。しかし今回を機に、家族そろって実家に戻ることにした。

八月二十八日(火)
横浜の鶴見区内に中古の家を買ったのは、父が亡くなる前年だった。上の子が転校しなくてよいように小学校入学の前年のことだった。
両親が日帰りと一泊で一回づつ来たこともあった。将来は母も住むつもりだった。母も隣家に挨拶したりしたが、父が亡くなり年月を経ると今の家がよいと思ふやうになった。
子どもの大学進学で学費が必要なのと、下の子が下宿で部屋が空いたため、実家と鶴見の家のどちらかを売却することになった。私は予定どほり実家の売却がよいと思ひ、母も一瞬はその意見に賛成したが、結局は鶴見を売ることになった。母、私、妻の三人が意見を一致させるのには時間が必要だった。

八月二十九日(水)
鶴見の家を売却したため、母を実家に残したまま、私と家族は菊名と新横浜の中間にマンションを借りた。家賃と経費は550万円になった。しかしお金より、二度の引っ越しで疲れた。土日に別の用事で忙しかったせいもある。少し体が重い上に、一昨日は夜と夜中に合計三回左足がつった。
引っ越しは疲れる。それを思へば実家を残したのは、母に取り正解だった。私と家族が立地のよいマンションに住んだのもよい経験だった。
菊名駅と新横浜駅のどちらにも徒歩8分で行ける。区役所、図書館、郵便局、スーパー、ドラッグストア、ドンキホーテ、市営のスポーツセンター、税務署はすぐ近くだ。かつては警察署も近かったが、今は歩いて5分ほど離れた場所に移転した。遠くに別のマンションが二つ見えて景色もよい。
ホームセンターも割と近い。小室圭さんのマンションを見に行ったとき、1回目は道に迷い、帰りにホームセンターでミニトマトの苗を買った。
新幹線の線路際なのが唯一の欠点だが、二重窓だ。尤も冬や夏を除いては窓は開ける。普段は何の問題もないが、テレビを観るとき新幹線が通ると音声が聞こえない。新横浜に到着する列車は遅いから問題ない。新横浜を出発した電車は加速を続けて速度が上がるからうるさい。
だからといってJR東海には好意的である。青春18切符は四回連続でJR東海(新横浜駅2回、東海ツアーズ新横浜支店1回、東海ツアーズ新宿支店1回)から購入した。(終)

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