千百六十七(その二) 並川孝儀さんを批判(ブッダたちの仏教)
平成三十戊戌
七月二十日(金)
並川孝儀さんの著書「ブッダたちの仏教」は良くない。前回の「スッタニパータ」が多くの称賛と一部の批判を受け、全体ではかなり有名になった。そのことに対してどこかから横やりが入り、佛教大学教授の並川さんが大乗仏教を正当化せざるを得なくなったのではないかと推察する。間違っても並川さんが慢心を起こしたとは云はない。
一番の問題点は、原始仏教が長い年月を経るにつれて部派仏教になった。そして部派仏教の批判勢力として大乗仏教が出現した。ここで大乗仏教を部派仏教の展開と同質と位置付けてはいけない。なぜなら部派仏教は原始仏教の分流だが、大乗仏教はこれらとは別だ。
判りやすく例へれば、川が分流して18乃至20になっても、それぞれは元の川だ。水質は牛の糞が混ざったり人糞が混ざったりでそれぞれ大きく異なるとしても、それは川の自浄作用で清流に戻る。ここで炭坑廃水など別の水源からの川が突然現れれば、それは元の川とは異なる。
ここで私は、大乗仏教が仏教では無いとは絶対に云はない。それは2000年の長い歴史がある。2000年間の修行者と信者に失礼だ。2000年間存在したには理由がある。その理由に我々は注目すべきだ。それなのに並川さんは、部派仏教と大乗仏教を同じ分流だとこの書籍で主張した。

七月二十二日(日)
これまで再三再四述べてきたやうに、大乗経典が非仏説であることに何の問題もない。私が唯一、大乗仏教で気になるのは日本の大乗仏教が妻帯でよいのかと云ふ問題だ。まづ独身だと無欲になれる。妻帯だと家族を養ふことと、特にプラザ合意以降の傾向で子供を大学等(短大、専門学校を含む)に進学させることが都会では必須になった。だから学費が掛かる。余談だが田舎でも僧侶になるには大学に進学するのが普通だから都会以外でもカネが掛かる。僧侶は普通の人たちよりカネの掛かる職種になった。
前置きが長くなったが、私は大乗非仏説をまったく気にしない。国民のほとんども同じだ。それなのに大乗非仏説を誤魔化すために、上座部仏教の悪口を云ふ。これは絶対に許されない。これより並川孝儀さんを批判したい。

七月二十六日(木)
経蔵と律蔵は18乃至20の部派すべてに伝はる。これが漢訳され、或いはチベット語化され北伝した。今はその一部しか残ってゐないが、各派のものを合はせれてほぼ全体を揃へた。一方、南伝で上座部に伝はったものはパーリ語で、これは全てが揃ふ。パーリ語と北伝を比べて、その共通性に多くの人が感嘆した。もちろん文字にされるまでに数百年も経たから、違ふ部分は多い。しかし共通性に注目すべきだ。それなのに並川さんは部派仏教時代について
この時代になると、実際には経典に多くの相反する教えや矛盾する教えすら存在していることに直面し、何をもって仏説といいうるのかという疑問が生じることとなった。(中略)そこで、論師たちが考え出した苦肉の解釈が、了義と了義未という捉え方である。

まづ経蔵と律蔵は、すべて仏説とすべきだ。その上で仏説内の矛盾は時機に応じて説いたものとして、論師たちが論蔵や解釈書を著した。何の問題もない。ところが並川さんは、解釈ではなく仏説かどうかまで問題になってゐたとする。

七月二十八日(土)
釈尊の在世当時は、釈尊と同じに修行すれば仏に成れると考へたし、その状態を阿羅漢とも呼んだ。後に、ブッダが釈尊を指す固有名詞になるにつれて、ブッダと阿羅漢は別の意味になった。しかし釈尊とは遥か離れた時代に仏が存在したとは考へた。何の矛盾も無い。
それなのに並川さんは
スリランカの上座部仏教では「仏」は変わることなくゴータマ・ブッダただ一人を指すものと考えるが、一方でインドの説一切有部のようにゴータマ・ブッダの他にもブッダと同等な宗教的境地を体得した阿羅漢を指す部派もある。

経年変化、地理的相違を考へれば、この点に関し上座部と説一切有部に相違はまったくない。並川さんが部派間の相違を強調するのは、だから上座部も大乗仏教も、それぞれがたくさんある宗派の一つなのだと誤魔化したいからだと思ふ。
上座部は釈尊の時代のまま現在に至ったと信じてゐるし、パーリ語は釈尊の話された半マダガ語とは方言の関係にある。仏教の本家として尊重すべきだ。一方で大乗仏教も二千年間存続したのだから、そこには存続した意義がある。これで両者は競合ではなく協力できる。

七月二十八日(土)その二
並川さんは、大乗仏教が起こる以前にも過去仏や未来仏の考へがあったとして
いずれもゴータマ・ブッダの永遠性や救済性を説くものであっても、未だ大乗仏教のブッダ感の予備的段階ともいうべき考え方である。

この部分は理解不能なくらい変だ。無我論で云へば、過去仏や未来仏がゴータマ・ブッダのはずは無い。また過去仏や未来仏は現人類とは無縁の世界と考へてもよいくらいで、大乗仏教の予備的段階のはずがない。だいたい予備的段階と云ふ表現を用ゐること自体、大乗仏教が正当だと主張したいからではないか。
説一切有部では仏説のブッダの意味は阿羅漢という概念をも含み、仏説は初期経典よりも論書において完成したものと解釈し、大乗仏教では(中略)大乗経典に出現した新たなブッダの教えも仏説であると解釈されるようになる。

これも意味不明なくらい変だ。初期仏教で阿羅漢の云った内容が、仏説だとされることもあったかも知れない。しかし第一から第四次までの結集や、各部派に伝はった経典の共通性から、阿羅漢の云った内容が仏説だとされることは初期に終了し、部派仏教の時代に新たに作られた論書は論蔵となった。大乗仏教の現れた時代に、部派仏教が阿羅漢の説いた内容をまだ経蔵に組み入れてゐたのならまだしも、そのやうなことがないのに大乗経典を同じに扱ふ並川さんの主張は変だ。何回も云ふやうに日本国内のほとんどの人たちは、私も含めて大乗経典が非仏説であることを気にしてゐない。気にしてゐないのに、並川さんが変なことを云ふから反論せざるを得なくなる。
だいたい「大乗経典に出現した新たなブッダの教え」のブッダとは一体誰のことだ。その2ページ前で並川さんは無量寿経の阿弥陀仏、華厳経や密教の大日如来、X経の久遠実成の仏に言及したからこれらの仏とも考へられるが、大乗経典を書いた人とも取れる。

七月三十一日(火)
正法、像法、末法の思想は、中国の南北朝末期に現れた。しかも中国と日本では正法、像法を500年とするか1000年とするかで差がある。だからと云って当時の日本人が平安時代末期を末法としたことは、その後の武士の世の中、鎌倉仏教など長い歴史を考へれば何の問題もない。それなのに並川さんは
こうした発想の芽生えは、すでに原始仏教の時代からあったことが知られる。

と低俗なことを云ふ。まづ、仏教は釈尊在世のときも滅後のあとも進展した。だから18乃至20の部派仏教になったし、信徒の間では多くの仏塔信仰も生まれ現在ではそこから大乗仏教が現れたとする説が有力だ。並川さんの主張は、この長期に亘る仏教の発展を無視した。
活動が停滞したとき、それは循環なのか拡散なのかを考へなくてはいけない。循環と拡散は数学のグラフの話で、三角関数みたいに上がったり下がったりするものが循環、右肩上がりや右肩下がりで一方に向かふものが拡散だ。並川さんは相応部経典まで引用して釈尊の時代に拡散になったとするが、その後の仏教の発展を考へれば循環だ。

八月二日(木)
原始仏教が部派仏教になる過程で、そのほとんどは継承された。並川さんもそれは認めるが、並川さんの書き方は
ゴータマプッダの教えは、新たな解釈が加えられたり体系化が進められたり、中には思想的に補完されるといった側面もみられるが、そのほとんどは継承された。

結論は最後の10文字だが、その前に大量の文字があるから、読者は結論が曖昧になる。このあと大乗仏教についても述べるが、同じやうに結論の前に23文字あたかも原始仏教、部派仏教の連続性を保持したやうに書くからこちらも曖昧になる。
このあと並川さんは、部派仏教がブッダを求めず阿羅漢を目指すと低級なことを云ふが、仏と阿羅漢は元は同じものだ。阿羅漢である世尊と云ふ表現もある。だから
誰もがブッダになれると説き、そのブッダを目ざす菩薩という存在を認めた大乗仏教は画期的な展開であった。

は前提からして間違ってゐる。そもそも日本では仏がたくさん存在しても、釈尊は一人。学術的には釈尊をブッダと呼ぶことは常識だ。わざと仏とブッダの用語を混乱させて使用する並川さんは悪質だ。

八月三日(金)
並川さんは、これらの主張を「阿弥陀仏の誕生」と云ふ節で行ってゐる。しかしいくら、原始仏教に過去仏が存在する、大乗仏教は誰でも仏になる、と力説してみても、その仏は釈尊と同種のものだ。それに対し阿弥陀仏は、仏と云ふより神に近い。だから
それまでの仏教の展開からみてあまりに大きな変容であるという理由で、その成立の根拠を仏教以外のゾロアスター教の思想に求めようとする見解や、仏教以前のインドのヴェーダヴィシュヌ神話や梵天神話にその源流を見出そうとする立場もみられる。

おそらくこれは正しい。しかしこれだと他の宗教を単に真似したことになってしまふから、世の中の変化に応じたとすべきだ。つまり、釈尊の時代は苦行なり瞑想をすることが宗教だった。後世は、神に祈ることが宗教の主流になった。そこで世の中の変化に合はせた。最初のままなのが上座部仏教、世の中に合はせたのが大乗仏教とすれば、上座部仏教と大乗仏教は協力できる。
それなのに並川さんは
それに対して、そうした影響を多少なり受けたとしても、阿弥陀仏の出現は原始仏教から展開したブッダ観の枠組みで捉えることができるとする立場があり、それが今日では有力な説となっている。

嘘を言ってはいけない。そんな出鱈目な説が有力になるはずは無い。

八月四日(土)
並川さんは
原始仏教や部派仏教の説一切有部では、諸仏は一定の時間を経て出現するものであって、同時に出現することは許されないものと考える(以下略)

これは当然の事だ。釈尊に遭遇しなければ将来釈尊と同等になる修行者がゐたとしよう。修行中に釈尊と遭遇すれば弟子になるから、開祖にはならない。成道の後に釈尊と遭遇すれば、ジャイナ教みたいに別の宗教になる。或いは提婆達多みたいに途中で分かれることになる。だから同時に出現する筈がない。ここで「同時」とは時間だけではなく距離も含まれる。布教に二百年掛かる距離に於いて釈尊と同等の修行者が現れても、これは同時ではない。
こんな判り切ったことを並川さんが採り上げる理由は、引き続き
したがって、原始仏教の時代には阿弥陀仏という他方仏の出現を許容する資料は見出せないと考えられる。

原始仏教や部派仏教が同時を否定するのは釈尊のやうな仏であり、阿弥陀仏は神と呼んでもよいものだから、同列に扱ってはいけない。並川さんはこのあと、説一切有部と異なり初期経典は
三千大千世界の解釈によっては、他仏の存在を許容しているのではないかという可能性を残しており、それが後に他方仏を出現させる根拠になったとも想定できる。

といいかげんなことを云ふ。可能性があっても、想定できても、そんなものは確率が0に近い。例へば並川さんが明日急死する可能性はあり想定もできるが、普通の人はそんなことをいちいち述べたりはしない。
並川さんの本はこのあと第二章から第五章まで延々と続くが、論評に値しない。そもそも第一章だって取り上げる価値はないのだが、あまりに出鱈目がひどいので、今回特集を組んだ。これだって本来こんな書籍は無視すればよい。たまたま前、固定思想(百六十七の一)で並川さんの書籍を称賛したので、この本まで賛成なのかと誤解されかねない。批判せざるを得なかった。(終)

前、固定思想(百六十七の一)固定思想(百六十八)

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