千百六十 ミャンマーに十四回旅行された方のホームページを紹介
平成三十戊戌
六月三十日(土)
数日前に或る方のホームページを発見した。二十三年前にミャンマーを訪問し、それからほぼ毎年、訪問を続けられた。日本テーラワーダ仏教協会系の方(会員かどうかは不明)で、パーリ語勉強会の仲間とともに最初で最後だと思ひ、訪問された。
この方と私は、旅行記の作成思想が同じだ。普通の人は観光地の写真が中心だ。あと立派なホテルに泊まる。この方と私は、観光地ではなく旅行そのものと、現地のスーパー、食堂などの記録を目的とする。と云ふことでこの方のホームページからミャンマーの仏教事情を紹介したい。

七月一日(日)
1995(平成七)年に一回目のミャンマー訪問のときに、四日間出家。ミャンマーの民族衣装に着替へ、当時は外国人も無料だったシュエダゴンパゴダに参拝。このあとお寺に戻り、沙弥出家し、その後比丘出家。比丘になると途端に周囲の方たちの対応が変はり、比丘としての自覚が求められる。
最後の部分は重要だ。周囲の人たちの対応があるから、比丘も修行を続けられる。これが伝統であらう。
還俗して翌日から故ウェープッラ長老とともにバガン、マンダレーと寺院参拝と観光。バガン市内で遭遇したお布施を募る移動屋台。バガンの市場は新鮮で張りのある野菜が多い。バガンには多くのパゴダがある。周囲は耕作地が点在し、農作業帰りの牛車がのどかに通る。

この方は、懐かしく感じて、もしかしたら前世は東南アジアの農民の息子だったのではと書かれてゐる。私が思ふに、日本も昭和三十八年くらいまでは、牛を農作業に利用した。日本の昔の光景であらう。
ミャンマーの仏像はなごむ。
ミャンマーには高僧の像がよくある。

写真で見ると、ミャンマーの釈迦像は温和だ。NHKテレビ「心の時代」で密教の胎蔵マンダラの色を復元したものを見たが、ヒンドゥーの神々は日本には合はない。だから特集を組まなかった。それに対してミャンマーの温和で親しみある表情の釈迦像は、或いは日本の仏像より日本人に合ふ気がする。
高僧の像はよく判らない。私自身は高僧の像にあまり賛成ではないが、昔からの伝統なら尊重すべきだし、なぜさういふ風習なのかを検証すべきだ。
戦死した日本兵のための鎮魂碑。ミャンマーでは戦友の供養のため訪れる戦友会の方たちを見かける。
マンダレーの中心市場。市場上階のフロアーはガラガラ。これでも一応商品を販売している。採算あうのだろうか。


七月二日(月)
カバイェーパゴダ  ビルマ独立後、世界平和を願って建立されたパゴダ。隣に第六結集が行われた聖洞窟。
マハーシ瞑想センター  海外からの瞑想修行者も多い。このときも数名の日本人修行者(出家者含む)が滞在。韓国からの修行者が多い。朝3時起床で夜10時過ぎまで瞑想。座禅と歩行瞑想のほか、食事や水浴び、トイレ等寝ている以外はすべて瞑想しながら行う。この日はちょうどこのお寺の仏教行事の日で、多くの在俗信者が集まっていた。普段瞑想に使われるホールでも法話が行われていた。

翌年の年末にミャンマーを二回目に訪問されたときの記録だ。
日本では、上座部仏教のことを戒律仏教と呼ぶ人がゐる。私はこの意見に賛成だ。尤も上座部仏教に限らず、仏教にとって戒律は重要で、だから日本は鑑真和尚を幾度の困難を乗り越えて招聘した。ミャンマーやスリランカも、戒律を授与する僧が途絶へたときは、相手国から戒律の僧を招聘してゐる。
上座部仏教は瞑想だと思ふ人も多い。私はこの意見には全面賛成ではない。上座部仏教の修業が瞑想中心なのは当然だが、それは釈尊の修業が瞑想中心だったから、それを引き継いだためだ。その一方で釈尊在世中は短期間に仏教僧と信徒が巷にあふれ、釈尊滅後はパゴダや仏足(後に仏像)が多数造られたことを考へると、瞑想に膨大な時間や技術が必要とする主張には賛成ではない。
慧について、上座部仏教では止観のうちの観を当てはめる意見が最近は有力だが、私は止観のうちの観が多少は含まれるものの、経典を学習することが慧だと思ふ。信徒が僧侶の指導に従ふのは当然で、だから僧侶がこれについて違ふ法話をされてもそれを謹んで拝聴するが、その一方で自分は信徒だから多少違ふことも云ふと、僧侶の固定観念に刺激を与へて仏教、更には全宗教の健全な発展に役立つ。
その場合、私は伝統を重視する。だから信徒が交代で食事を作ったり、食事用のお布施をすることは尊い。今回紹介してゐるホームページの作者も、このあと食事のお布施をされる話が出てくる。決して瞑想だけに突進するのではなく、伝統を守る熱心な信者である。

七月三日(火)
5年ぶりのヤンゴン。物価はひどく高くなっていた。
郊外に国際仏教大学も開校してラオスやカンボジアなど各地から留学生が集まっている。日本人学僧も3人在籍していた。 スーレーパゴダ 2002年元旦。まずはスーレーパゴダに参拝した。スーレーパゴダのダルマ。下には、東南アジア定番の透明賽銭箱。つい見栄を張って多めにお布施してしまう。
聖洞窟内部  内部は巨大なホールになっていて、ここで第六結集が行われた。お坊様たちが仏教護持試験の受験勉強に励んでいた。
1月4日は独立記念日。ヤンゴン市内の商店も休みが多い。各町内では路地裏を通行止めにして、路上サッカーから二人三脚までいろいろ。
パンディタラマ瞑想センター 外国人修行者も受け入れているようだ。事務所にいたおじさまに境内を案内していただいた。ちょうど法話中だったため、修行者はいなかったが、静かで雰囲気はよかった。
ちょうど住職は不在であったが、このお寺のいわば運営役員の方々がたまたま訪れていた。
チャンミー瞑想センター   ここのウジャナカセヤドーは有名な方で、瞑想指導のため世界中に出かけている。ここにも外国人修行者がいるが、近郊のマウビーというところに支部があって、そこに外国人用道場がある。パンフレットによると、そこは近代的な設備が整っているとのこと。瞑想ホールは2階が男性、1階が女性用になっていて、食事や法話は1階で行われる。

透明賽銭箱は、私がよく参詣する在日ミャンマー人のお寺にもある。数年前まで、経典学習会主催の篤信者の方が来られる前に着くことがよくあった。日本語の堪能な通訳(今はミャンマーで出家)、師匠とすべき僧に会ふのは縁だ、とオバサセヤドーを敬愛される日本人男性(おそらく今はミャンマーで修業中)と会話するのが楽しみでもあった。このころ主催者の方が来られる前は透明賽銭箱、来られた後は受け付けの段ボール小箱に1000円を入れた。
僧侶の仏教護持試験について、私はあまり好きではない。しかし僧侶の側から見れば、僧侶に刺激を与へるため必要なのかも知れない。私が好きではない理由は、釈尊の時代にはなかった。

七月七日(土)
スーレーパゴダ境内
ちょうどお坊さんによる読経が行われていた。どうも在家信者がお坊さんたちにお布施をしたらしい。祭壇には鉢や花などが供えられていた。

パゴダは僧侶が関はらず信者が管理する。以上はこれまで知ってゐたことだが、本堂と同じやうに儀式を行ふことを初めて知った。 僧坊内部
僧坊には書き込みだらけのパーリ語辞典やアビダンマッタサンガハなどの書籍がぼろぼろになるまで使い込まれていて、勉強は結構大変らしかった。机の上の書籍はそれら仏教書。1冊をみんなで回し読みして勉強する。

かつて、経典は字にせず暗唱で伝へた時代の名残りであらう。昔の方法を残すことは必要だ。しかし努力のほとんどをこれに費やすと、別のことができなくなる。
水壺 ミャンマーではどこでも見ることができる。素焼きの壺に飲み水が入っている。近所の人が水を補給している。通行人はだれでも自由に飲むことができる。

この共同体意識は昭和45(1970)年くらいまでは日本にもあった。

七月七日(土)その二
マハーシ瞑想センターの事務所
ここでお布施も受け付けている。お布施は、食事や建物補修など用途別にお布施できるようになっている。また、書籍類もここで販売している。
わたしも、食事のお布施をしてきた。お布施で集めたお金は基金として運用し、個人などから食事のお布施のなかった日に、その利息分から食事代に充てることになっている。元金は使用しないので、一度お布施すると、永遠に食事のお布施ができる仕組みになっている。ちゃんと領収書も発行してくれる。

私が、この方のページの要約を紹介しようと思ひ立ったのは、この方がきちんと食事のお布施をしたからだった。 チャンダディカ長老の説法会
晩飯後、現在、ミャンマーで最も人気のある説法師チャンダディカ長老の説法会に行ってきた。会場のお寺境内は超満員の大盛況。ミャンマーでは仏教は信仰と実践の対象であると同時に人々の娯楽としての機能も合わせ持っているのではないかと思う。行楽とまではいかないが、なんだか楽しい行事に参加する雰囲気は相当漂っている。

日本も昭和40年辺りまでは、お寺参りが娯楽だった。日本では娯楽対象が増へてしまったと云ふことだな。

七月七日(土)その三
以上で五年分を紹介した。このあと九年分あり、すべてを紹介すると膨大な量になる。そのためあと1つだけ紹介したい。 モービー地区のサーサナウンサウン寺で昼食のお布施をしたあと、せっかくモービーまで来たので、まだ訪れたことのなかったパオ瞑想センターモービー支所を訪れることにしました。日本人修行者も4人滞在してました。
私がよく参詣するミャンマー寺院は、パオ瞑想センターのモービー支院で瞑想をされた日本人が多い。
この建物が本堂で、この中で修行者が瞑想してました。周囲は灌木林や草地で、その間に訪問者用休憩室やクティという修行者用の建物が点在してます。毎日の食事は、近所の村人たちが交代で調理してくれているそうです。ちなみに住職はクムダセヤドーという方で、この本堂の右側に別棟の建物があり、そこに住んでいます。
瞑想方法は、サマタ瞑想と呼ばれる方法です。

クムダセヤドーは毎年日本に来られる。私も二回参加したが、1日に3時間を超えると首が凝って大変なことになる。だから最近は参加を辞退するやうになった。
チャンミー瞑想センターなどと違って、歩行瞑想は行わないとのことでした。基本的には座禅瞑想と休憩の繰り返しで修行し、その間に食事や読経、面接などがあるとのことでした。
本堂からちょっと歩いたところの小高い丘の上みたいな地形のところにシーマホールが建設中でした。4月の水かけ祭りの時期までには何とか利用できるようになるようです。
ここで最も新しいクティの一つ。日本人のお布施です。内部は部屋が2つとトイレ、シャワー、と小部屋があります。畳8~10畳程度でしょうか。
最後にみんなでお金を出し合ってお布施してきました。札束が飛び交ってます。最後にお布施したあと、次は同じモービー地区にあるチャンミー瞑想センターモービー支所に移動しました。

私がこの方のページを紹介したのは、前述のやうにきちんとお布施をして仏教に貢献されているからであった。(完)

全宗教(百六十四)全宗教(百六十五の二)

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