千百五十七(その二) 『組織で寵愛される「無神経な人」』記事を考察
平成三十戊戌
六月二十六日(火)
President Onlineに「組織で寵愛される"無神経な人"のデカい器」と云ふフリーライター 小野雅彦さんの執筆する記事が載った。この題はサイコパスの内容とは正反対なので、それを考察したい。最初に結論を云ふと、この記事の中身に問題はないが、題が不適切だ。
「無神経」は勝海舟が自ら称したもので、当時と今では内容が異なる。以上について、これから考察を進めたい。

六月二十六日(火)その二
この記事は、各章の題を並べると判り易い。
なぜ勝海舟は左遷や逆境をハネ返したか
革命的生き方を貫いて、浮き沈みの人生
不遇時はじっと雌伏、役どころを得れば命をなげうち奔走

勝海舟は自身のことを無神経と称した。しかしここで云ふ無神経とは、左遷や逆境をものともしない神経だ。決して現代のやうに、他人のことを考へず自分勝手な行動のことではない。これを誤ってはいけない。

六月二十九日(金)
幕末に勝海舟が無神経を自称し、現代人がこれを賞賛するなら100%賛成だ。しかし明治維新後に政府高官やあげくは伯爵になったことへの言ひ訳だったなら頂けない。勝海舟がいつ言ったのか、いつの時代を指して言ったのか。この辺りを検証する必要がありさうだ。
「不遇時はじっと雌伏、役どころを得れば命をなげうち奔走」は誉め過ぎの気がする。不遇時は雌伏するしかない。役どころを得て奔走するのは当然だ。
「無神経な人」が組織から寵愛されることはない。だから本当に居たらすごいことだ。勝海舟が明治政府から重用されたのは、幕末に左遷を繰り返して反主流派と見做されたのだらう。坂本龍馬の師匠だったこともある。幕内最強硬派の榎本武揚の重用とどこが違ふのか。そこも調べる必要がありさうだ。(完)

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