千百四十七(その四) ケネス田中さんの著書を読む(アメリカ流 マインドを変える仏教入門)
平成三十戊戌
六月六日(水)
次に「アメリカ流 マインドを変える仏教入門」を読んだ。この本も英語で書かれたものを日本人が日本語訳したものだ。この本は四月のテレビ出演の種本とも云ふべき内容である。しかし、私にはアメリカ人の感性が判らない。どう書けばアメリカ人が興味を持つかを判らないから、この本は読むだけに留めよう。最初はさう思った。それにも関はらずこの本を紹介するのは、150頁に次の一節があったからだった。
仏教の標準的な教義の一つによれば、悟りには四つの段階があります。(中略)第一の段階で、人は三つのとらわれを消し去りますが、それは(1)自己は個別的で他とつながっていない存在であると見る誤った見解(自己の誤った見方)、(2)仏教の教えや実践にいったい効果はあるのか、というあらゆる疑い(教えに関する疑念)、(3)儀礼や倫理的な行動だけで悟りにたどり着くことができるという思い込み(儀礼だけで充分だという思い込み)です。

実は私は(3)について、儀礼だけで充分だといふ思ひ込みの人は、それはそれで正しいのではないかと思ふ。浄土真宗だが限りなく上座部仏教に近いケネスさんと、全宗教に統一の原理があるとしつつも当面は上座部仏教だが大乗仏教に近い私で、瞬時の立場逆転が起きた。
一方で置かれた状況を考慮に入れる必要がある。浄土真宗の枠内で活動すると、儀礼に窮屈なこともあらう。私のやうに全宗教の統一原理を考へると、儀礼で充分と云ふ人も考慮することになる。実際には儀礼で充分と云ふ人が、すべての宗教の信徒の99%だと思ふ。

六月七日(木)
この本を読み始めたとき「はじめに」に
こんにちは。ケン・タナカです。

とあるので、間違って違ふ著者の本を借りたかと一瞬思った。25年くらい前、NHKテレビ英会話に助手として登場し、翌年大河ドラマに出演した人と間違へた。あの人の名は何だったらうと半日考へてやっと判った。あの俳優は黒田アーサーだった。
これが田中アーサーならまだ判る。黒田ケネスでも判る。ケネス田中と黒田アーサーでは、まったく共通点が無い。唯一の接点はカリフォルニア州かな。25年はそれほど長い年月だった。(完)

前、固定思想(百六十三の三)次、固定思想(百六十三の五)

メニューへ戻る 前へ 次へ