千百二十三 水野弘元著「仏教の神髄」
平成三十戊戌
四月十五日(日)正法、像法、末法
水野弘元さんの著書をまとめて五冊借りた。このうち三冊を読んで、このまま残りも読んで図書館に返却することになると思った。王様が鳩摩羅什に美女を侍らせたなどを読んでも興味がないし、小乗戒の表現は不愉快だ。今は小乗の語は蔑称なので使はないことになった。小乗戒ではなく部派仏教戒と呼ぶべきだ。
しかし「仏教の神髄」はその中でも比較的良質な書籍なので、これを紹介することにした。この本にも小乗の蔑称は使はれるが、何冊も読んで慣れたせいもある。まづ
正法や像法については、すでに原始仏教に出てくる。漢パの『雑阿含』九〇六経(括弧内略)によれば、「如来の正法滅せんとする時、相似の像法生ずることあり。相似の像法が世間に出でおわれば、正法はすなわち滅す」とある。また原始仏教の律蔵では正法の存続が一千年であるということも説かれている。

ここで一千年とは長い、或いは永久に来ないかも知れない仮想と云ふ意味であって、数字の一千年ではない。このあと大乗仏教で末法思想が現れ、その一方で道元は末法を否定したことが書かれてゐる。これはよいことだ。

四月十五日(日)その二業論、縁起説
外教では本体としての我(アートマン)や霊魂(ジーワ)を説き、(中略)仏教でもヶ霊魂を説いているが、それは不変の実体としてではなく、生滅変化する現象としてのものである。

それを詳しくすると
原始仏教では、身・語・意によって行われる善悪の行為は(中略)肉体や精神の中に蓄積し、(中略)その人の人格を形成するとされた。業論とか縁起説とかいわれるものはそれである。善の習慣力は戒とされ、悪の習慣力は煩悩と呼ばれた。

これが部派仏教では具体的になり、大乗仏教の唯識論では阿頼耶識(蔵識)となる。

四月十五日(日)その三サンガ、禅定
外教では禅定によるも苦行によるも(中略)自分だけの解脱であり(以下略)
この点は釈尊が(中略)弟子サンガ(僧団)に民衆を教化させ、社会全体を理想の仏国土としようと努力されたのと全く違っている。

一般に当時の仏教は、自己の解脱を目的としたと書く書籍が多いなかで、この本はよいことを書いてゐる。幾ら比丘、比丘尼が修業をしようとしても、信者が支へないと不可能だ。だから釈尊の布教は信者の育成を先にやらないと不可能だ。
原始仏教で禅定といわれるものは四禅・四無色の八定である。(中略)仏教以前から正統派において存在していたらしく(中略)釈尊は二仙人から最高の無色界定を学んで容易にそれに到達することができたが、それを理想境と認めることはできなかった。

初期の大乗仏教についてサンガは存在しなかったとし
大乗仏教にもやがて(中略)出家専門家が生じたものらしい。(中略)その集団生活のために戒律も必要になったと思われる。(中略)大乗仏教では古くは大衆部律などを用いたこともあったようであるが、後には根本有部の戒律を依用し、大乗独自の律をもつことはなかった。


四月二十一日(土)原始仏教から部派仏教へ
アビダルマ的な部派を小乗と蔑視し、仏教本来の信仰実践を強調して、釈尊の立場に復帰することを説き、西紀元前後に興った初期大乗運動は時機に適した正しいものであった。

ここまで私も同感だ。このあと部派仏教は年月が過ぎればどんな集団にも起こり得る堕落を初期大乗仏教の出現と云ふ刺戟で乗り越えたはずだし、初期大乗仏教はその後の長い年月に堕落もしたはずだ。だからこの書籍も引き続き
しかし大乗が宣伝するように、部派仏教は堕落したものだけではなかった。厳格な戒律を守り、出家教団としてのサンガの機能をよく果たした場合も少くなかったであろう。

として説一切有部の「経師、律師、論師、法師、禅師」について、経、律、論の三蔵に通じた者、民衆に法を説く法師、禅定の専門家とする。結論として
スリランカ等の南方上座部は、今日に至るまで二千数百年間、釈尊時代のように純粋なサンガを保持して栄えているのである。

とする。その一方で
部派仏教が原始仏教と違っている点は(中略)「法と律」のほかに対法(アビダルマ)を作って経律論の三蔵を具備したことにある。(中略)そのアビダルマ的部派仏教の欠陥を是正し(中略)初期大乗仏教が興紀したのである。

ところが大乗仏教も
中期大乗は(中略)大乗のアビダルマということができる。

但し、この本にすべて賛成ではない。部派仏教の目的を
阿羅漢となることを目的とする声聞思想(声聞乗)

初期大乗仏教の目的を
仏陀となることを目的とする菩薩思想(菩薩乗)

とするが、この二つに差はない、と私は考へる。(完)

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