千百七 消えた東京の下町
平成三十戊戌
三月四日(日)
Yahooニュースに「関西に戻りたい関西出身者、関西に戻りたくない関西出身者」と題する記事が載った。
30代後半~50代になってから東京にやってきたという人に話を聞いてみると、「ずっと東京にいたい」と熱望する人がいる一方で、「定年退職後までいる街じゃないな…」と考える人もいるようです。

東京が良いと感じる理由の一つに
東京では、誰もが良くも悪くも他人に無関心だというBさん。「夜に女性1人で外食していても誰も気にもしないじゃないですか。40代だから?  いや、大阪だと逆にいろいろ言われる年代でしょ(笑)。同世代の独身女性に『東京は女が1人で何かやってても誰も何も言わないのがいいね』と言うと、共感されることがほとんど。東京はいろんな人を受け入れてくれる。そういう魅力を感じている人も多いのでは」

私は東京の欠点だと思ふ。いはば地域社会の崩壊した社会だ。関西出身者のなかにこれを魅力と感じる人がゐても、私と同じやうに東京の欠点と感じる人もゐる。
Dさん自身がなじめずにいるのが関西に住んでいたころのフランクな付き合いとは少し違う、ママ友たちとの関係。Dさんはいま、いわゆるお受験が比較的盛んなエリアに住んでいることもあり、誰がどこの塾に行っている、どこを受験する、といった情報収集合戦にいそしむママたちの言動にいささか辟易しているのだとか。
「さっきまで陰口を言っていたのに会った途端に笑顔で情報を探っている人とか、怖いです。うちの子どもが中学受験をしないというと『一人っ子で経済的に余裕があるのに、なぜさせないの?』と言われたこともあります。他人の家のことは放っておいてほしいですよね…」

---------------------ここからお友達濡れ手に粟商売推進男(その百)------------------------------------------
Dさんはお友達のアベ友ならぬお受験のママ友を東京の欠点としたが、私は「フランクな付き合いとは少し違う」の部分を東京の欠点と見た。思へば昭和55年辺りまで、東京の半分以上は下町、残りを山の手と称した。下町は庶民が住み、山の手は金持ちが住んだ。
庶民のほうが多かった証拠に、社会共産両党推薦の美濃部都知事が誕生した。事情は埼玉、神奈川、大阪、京都の府県知事、横浜、川崎、仙台の市長も同じだった。

三月八日(木)
かつて一億総中流と呼ばれた。つまり下町は中流が住み、山の手は上流が住んだ。ところが今では東京に下町がない(少しはあるがそれは昔からの街が残存するだけだ)。
そうなつた理由は税率にある。195万円以下は5%、330万円以下は10%、695万円以下は20%。ここまでは問題ない。ところが900万円以下は23%。ここだけ不自然だ(しかも給料賞与が1000万円の場合、220万円が控除されるから実際は1120万円以下)。
この税率のゆがみが、上の下をたくさん生み、一億総中流を上と下の二層に分離した。税金が高くなれば、生活できる分を働けばよいと考へる。税金が安ければ出世したい、昇給したいと皆が考へるから、長時間残業やサービス残業が横行するやうになる。
それなのに裁量労働と称して更にサービス残業を横行させようとしてゐるのが安倍だ。裁量労働を阻止し、安倍を退陣させよう。(完)

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