千九十八(その一) 内田樹さんの中国に関する発言で正しい部分と間違った部分
平成三十戊戌
二月二十四日(土)
日経BPオンラインに、内田樹さんが中国について三回に亘って対話形式で話された。第一回目では
紀元前から中華皇帝は何十万人という軍隊を西に送っていますね。(中略)おそらく中国人のDNAに刷り込まれているんだと思います。
アメリカも西漸志向ですけれど、もう西に向かう意欲はなくして、トランプは「リトリート」に入っている。ロシアも伝統的な南下政策があって、ウクライナやクリミアに攻め入りましたけれども、ロシアの南下政策には地政学はあるけれど、ロマンがない。ロシアの冒険主義には他国の共感を引き出す要素がない。
でも、一帯一路構想への世界の参加を見ていると、ヴィジョンへの共感があります。たまにはこういうスケールの大きい話を聞きたいという共感がある。そのような広々としたビジョンを提示できたという点で中国は世界の大国の中で一歩リードしたと思います。
ここまで一理ある。次に中国が東に向かはなかった理由として
元寇では来ましたけれど、(中略)漢民族の発想ではない。(中略)7世紀の白村江の戦いで大敗した倭国は朝鮮半島の拠点をすべて失います。唐による日本侵攻を怖れて、国防体制を整備して、対馬や大宰府に水城を、瀬戸内海沿岸には城塞を築き、北九州沿岸には防人を配備します。(中略)でも、結局唐は日本列島を攻めずに半世紀後に遣唐使が再開されて、唐との国交は回復されます。
これについて
伝統的に中国人は東海に進出するということに魅力を感じない。鄭和が大船団を組んで遠洋航海をした時もまっすぐ南下して、インドシナ半島、スマトラ、インド、アラビア半島、アフリカに向かった。東に行けばわずかな旅程で日本列島を訪れることができたわけですけれど、見向きもしなかった。
歴史の繰り返しについて
マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で書いている通り、歴史的な大変動というのは必ず過去の物語を再演する。扮装と舞台装置を変えるだけで「同じ話」が繰り返される。それは過去の物語の再演が強烈な政治的喚起力を持っているからです。「これは前に見たあの風景だ」と思った時に、人々は次に何が起きるのかを予見して、その既視感に呪縛されてしまう。「こうなるのは運命だ」と思ってしまう。だから、大きな政治的変動を企画する人たちは必ず「いつか見たあの風景」を再現しようとする。
習近平が歴史書に書かれることを意識して
秦の始皇帝から習近平まで、中華帝国を統治する人間の考えることというのは本質的には同じなんじゃないんですか。「歴史に名を残す」というのが彼らの野望なんです。そして、名を残すためには同じ物語を再演しなければいけない。(中略)中国のような広大な国の十数億の国民を一つの方向に取りまとめようと思ったら、そういう「シンプルで雄渾な物語」を処方するしか手立てがない。(中略)何の根拠もない仮説なんですけどね。
この話について、私は特に感想を持たない。おそらくその多くは正しいのだらう。日本に来る中国人について最初は富裕層だったが今は中産階級が来てゐると云ふ質問に対して
いかにも人を使い慣れているというか、従業員をあごで使うみたいな感じの、「威張り慣れている人」という感じがしたんです。(中略)最初のころにやって来た「態度の大きい中国人」に比べると、近年日本に来ている「爆買い」以降の中国の人たちの方が、何となく感じがいいように思いますね。人を見下すような態度も取らないし、札びら切るという感じもしないし。ふつうに面白がって日本に来ている。(中略)観光地に来たり、神社仏閣を訪ねたり、温泉に入ってみたり、浴衣を着てみたり。そういう日本の固有の文化に興味があって来ているのなら、歓迎すべきだと思います。
私も同じ意見だ。今来日する中国人は普通の人たちだから大いに歓迎すべきだ。
韓国に行って一番ショックだったのは古い建物がまったく残されていないことでした。(中略)たぶん中国の場合もそれと似ていて、(中略)もうないんじゃないでしょうか。(中略)中国の古いものは日本にいろいろ残っているんですよね。例えば仏教がそうでしょう。禅はもちろん中国で発祥したわけだけれども、中国にはもう残ってない。でも、日本には中国発祥の禅宗文化が手つかずで残っている。
これはよいことだ。東アジア、東南アジア、中央アジアの人たちは、西洋文明の尺度で互ひを判断するのではなく、アジアの文化で交流すべきだ。
二月二十四日(土)その二
二回目は、次の話が出てくる。
とにかく中華思想は「言うだけ言ってみる」というようなところがある。だめだったら、「まあ、しょうがないか」みたいな。日本人には、中国の言っていることを真に受けすぎという部分が、とてもあると思うんです。(中略)ですから、日本の皆さんもぜひ真に受けすぎないで、これが中国という国の習慣だからそれを理解すればいい。そのうえで、持ち上げるところは持ち上げて、風呂敷を広げさせてあげるなら広げさせてあげて、それで自分の益になるところを取ればいいというようなことを、一貫して言っているつもりなんですが、そこがどうも理解してもらえない。
これは同感だ。この事情を理解しないと、逆に中国人から見て、「日本人は主張をしないから何を考へてゐるか判らないやつだ」となってしまふ。次の話題に移り
「中国人はおそらく国境線という概念がない」ということで(中略)中国の場合、中華皇帝が宇宙の中心にいて、「王化の光」が同心円的に広がっている。光の届かない暗がりには化外(ケガイ)の民がいる。でも、化外の民といえども、場合によっては王化の光に照らされて文明化される可能性もある。
だから、化外の地に住む人々は潜在的には中華皇帝の臣下たちなのですけれど、皇帝にはその地を実効支配する義理はない。冊封して、官位を与えて、朝貢してきたら下賜品を与える。それだけです。現実的には支配していないけれど、形式的には支配者である。それが華夷秩序における中国とその辺境との関係です。でも、化外の民が「ここは中国の支配圏じゃない。オレの土地だ」と言って、独立しようとすると、「いや、そこは中国だ」と怒り出す。だから、化外の民が何かしでかしても、それについての責任は取らない。
清末に台湾の原住民が沖縄の漂着民を殺した事件がありましたが、日本政府がそれについて清国に抗議したら「そんな化外の民のしでかしたことは知らん」と言い放ったけれど、「じゃあ、台湾は独立国なのか」と聞くと「いや、そこは中国だ」と言う。これを当時の明治政府は「言っていることが支離滅裂」と批判しましたけれど、それはあきらかに言いがかりで、日本は中国というのが「そういう国」だということは卑弥呼の時代から熟知していたわけです。
これも同感だ。二回に亘り同感の部分が多かったが、三回目で急変する。
二月二十五日(日)
三回目は、対談相手の『慰安婦のことに関しても、「終わったことなんだから謝罪はもういいだろう」みたいな。会ったときにちょっと謝ればいいと思うんですけどね。』に対して
ごめん、でいいじゃないですかね。慰安婦問題に関しては、韓国に最初に行ったときに新聞記者の人にインタビューをされました。「内田先生は慰安婦問題についてはどうお考えですか」と。「まことに申し訳ないことです。日本国民を代表してお詫びします」とさくっと謝罪しました。それでその話は終わりました。「では、次の質問ですけど」。
内田さんは民間人だからこれで済んだ。政府関係者が謝罪すると大変なことになる。イギリスがミャンマーやパレスチナに対して、今でも謝罪するか。逆だ。イギリスのしたことは棚に上げて、ミャンマーやパレスチナに対していろいろ説教を垂れる。フランスやアメリカがベトナムで謝罪したか。これも謝罪しないし、ベトナムに説教を垂れないのは、中国に対抗するためにベトナムを短期的には味方にしたほうがよいと云ふ戦略があるからだ。
もしイギリス、アメリカ、フランスが謝罪したら、これらの国とうまくいくだらうか。結果は逆で、これらの国は次々と謝罪要求を出し、国民もそれを強硬に求めて関係は悪化するだらう。
日本で親アジアを自称する人たちは、アジアの親善を阻害することばかり主張してゐる。根底にあるのは米英仏蘭は正しく日本は間違ってゐると云ふGHQ洗脳路線だ。それでアジアの親善が深まるなら、反対しない。アジアの親善を妨害し、単なる拝米英仏のくせに逆を装ふから、反対だ。米ソ冷戦終結までは見られなかった現象だ。内田さんは続ける。
謝るのは当然だと思います。日本が帝国主義国家として半島を植民地支配していたわけですからね、散々なことをやっていた。(以下略)
この場合、アジアアフリカのほとんどを西洋列強が植民地にした対策として始めた日本の軍備が、別の方向に向かったことを謝罪するならよい。内田さんは、アジアアフリカのほとんどが植民地だったことは無視して半島を植民地支配したことを謝罪するから、これは極めてアジアの親善に有害になる。内田さんは
もともとはフランス文学が専門ですから、論文を書くときは、いつも自分の書いたものをフランス語に訳せるかどうかを吟味する習慣がありました。日本語の勢いでばんばん書いていると、あとでフランス語で抄録とか書く時に、ほんとうに困るんです。
日本語で書くときは、読者が共感を持てるやうに書くべきだ。その文章をフランス語に訳すときにきちんと訳せないとすれば、それは翻訳者が悪い。
外国語の専門家が外国語を専門とする場合、その専門家は偉い。鳥飼玖美子さん(立教大学名誉教授、ラジオやNHKテレビ英語講座に出演)や大津由紀雄さん(慶応大学名誉教授)などだ。
それと比べて外国語が専門なのに社会だ政治だと転向する連中にろくなのがゐないことはこれまで指摘してきた。内田樹さんは一回目と二回目がよかったのに、三回目で馬脚を現した。(完)
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