千五十二 1.日馬富士は横綱抹消にすべきだ、2.横綱職を考へる、3.飲酒と身分関係
平成二十九丁酉年
十一月十六日(木)
日馬富士が、モンゴル人力士の飲み会で暴力を振るひ、大問題になった。当初は相撲協会が調査などと言ってゐたが、協会ではなく警察が対応すべきだと云ふ意見が出た。その後、既に貴ノ花親方が被害届を出てたことも判り、今は日馬富士が引退すべきかどうかの議論になった。
日馬富士のやったことは重大だ。引退ではなく角界追放の上、横綱を就任時に遡って抹消すべきだ。

十一月十七日(金)
日馬富士が安馬を名乗った時代と、日馬富士と改名したとたん負けが連続し、どこか親しみを感じた。私と同じ感覚の人は日本国内に多いはずだ。ところがここ数年、日馬富士は気が強いですから、などとテレビで放送されるので心配だった。そしてつひに事件を起こした。

昨日の報道では、事件の後で日馬富士と貴ノ岩は和解した、仲良く並んでゐた、などと貴ノ岩が蒸し返したのが悪いやうな書き方が現れた。これは横綱と平幕の身分制を考慮しないといけない。「一枚違へば家来も同然、一段違えば虫けら同然」と云はれる相撲界で、横綱から和解されたら応じるしかない。
一昨日は貴乃花親方が協会に報告しなかったのが悪いと云ふ書き方もあった。貴乃花親方は警察に被害届を出したから、私は警察の捜査が遅いのが原因とみる。とにかく犯罪者が二日間土俵に上がり、全国に放送されてしまった。

十一月十八日(土)
二種類の診断書があった、これで貴乃花親方は終はり、みたいな書き方のスポーツ紙があった。骨折なのに全治二週間なのは変だと云ふ記事もあった。貴乃花親方は理事会の中では反理事長派だ。ここぞとばかり貴乃花親方を叩く勢力があるやうだ。
一方で情報が断片的なので、最初に報道されたビール瓶で殴ったと云ふのは間違ひらしい。ビール瓶は持ったが濡れてゐたので滑り落ちて、素手で殴ったさうだ。それなら就任時に遡って横綱抹消は重すぎる。解雇で済ませるのがよいのかも知れない。尤も逆の報道もある。角界では頭と腹は殴ってはいけない鉄則があるのに頭を殴ったと云ふものだ。あと最初から書かれたものに、力士が殴れば死ぬこともあるから殺人未遂を適応すべきだと云ふものがある。これは正論だ。
白鳳が止めたのに、日馬富士は白鳳まで突き飛ばしたと云ふ記事が最初にあった。後から出て来た記事に、白鳳が耳打ちしたら日馬富士は止めた、白鳳が別の部屋に連れて行ったと云ふものもある。

十一月十八日(土)その二
力士はどこだらうと殴ってはいけない。親方が竹刀を持って駄目な場合に叩く映像を見たことがある。この場合は全力で稽古する最中に口で言っても聞こへないから許されるとして、親方ではない力士は下位の者に暴力を振るってはいけない。
「一枚違へば家来も同然、一段違えば虫けら同然」は後世にできたものだ。過去に相撲協会が分裂したことがある。最近では貴乃花親方が理事長戦に立候補した。
上位の力が強いと、平衡作用が働かずますます上位の力が強くなる。徳川幕府がその典型で、最初は全大名の連立政権みたいなものだった。領地の配分も外様に厚く、譜代に薄かった。しかし徐々に将軍の権力が強まり、三代将軍のときにできた体制が幕末まで続いた。
「一枚違へば家来も同然、一段違えば虫けら同然」は相撲協会ができて三代目あたりに発生したと見るべきだ。

十一月十九日(日)
横綱になると、徐々に性格が傲慢になる。そして親方と不仲になることもある。一つの理由にタニマチからのご祝儀が親方に行くか、横綱に行くかがあるさうだ。
横綱が初めて番付に載ったのは、明治二十三年。それまでは大関のうち土俵入りをする力士に横綱免許が与へられ、関脇で横綱免許を与へられた力士もゐた。
現在の横綱は、成績が悪いと引退するしかない。だとすれば品格より勝ち星を気にするのは当然だ。この際、横綱は廃止する。大関で品格のある者を横綱にするとよい。場合によっては関脇でもよい。そして横綱は土俵入りをする。
明治の中盤までさうだったのだから、今後もそれに戻すべきだ。美の出し物と近代競技との未平衡と中途半端が今回の事件を生んだ。安倍ナカマロと同じ原理だった。

十一月二十日(月)
今回の事件は飲酒が絡む。酒は百薬の長とも呼ばれるが、昔から気違ひ水とも呼ばれてきた。身分に差があると酒の事件が発生しやすい。身分に差がないと事件はほとんど発生しない。
仏教で在家が守るべき五戒の一つに、不飲酒戒があるのは身分に差がある時代だったからだと思ふ。つまり身分が上の人間が飲酒すると下の者をいぢめがちだ。平時なら自制心が働く。現在の日本で五戒のうちの不飲酒戒を守るのは困難だから、前から考へてゐた。
相撲界にあっては、身分の差があるとして、上の身分程責任が大きくなるやう改善すべきだ。(完)

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