千五十一(その六十四) 1.加計学園の学部新設は憲法違反だ、2.経産省脱落者にろくでもない人間が多い理由
平成二十九丁酉年
十一月十九日(日)
特区は憲法違反だ。それを明らかにしたい。8月9日の日刊ゲンダイDIGITALによると
安倍内閣の不正義を許さない――。文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)が25日にも結論を下すとみられている加計学園の獣医学部新設問題で、ついに法曹界が怒りの声を上げた。「加計学園問題追及法律家ネットワーク」(共同代表・梓澤和幸、中川重徳両弁護士)が、獣医学部の新設は「裁量権を逸脱・濫用する違憲かつ違法の決定」である疑いがあるとして、7日、国家戦略特区諮問会議で認定に至った経緯を確認するための質問状を安倍首相らに送ったのだ。

これはよいことだ。ところがそれから三ヶ月して、文化相の林は新設を認めてしまった。「お友達濡れ手に粟商法推進大臣」安倍の門下相だから仕方がないが。記事は続き
質問状では、獣医学部の新設には、2015年6月の閣議決定で設けられた、既存の大学・学部では対応困難な場合や、近年の獣医師需要動向を考慮する――といった「石破4条件」を満たすことが不可欠だったにもかかわらず、議事録を確認する限り、加計学園では「具体的な検討・検証を経て共通認識に至った形跡が窺えず、石破4条件を充足するとされた確たる根拠は不明」と指摘。
特区認定が、憲法65条や内閣法4条の趣旨に反する――としているほか、国家戦略特区基本方針では、〈諮問会議に付議される調査審議事項について直接の利害関係を有する議員は審議や議決に参加させないことができる〉(特区法)とあるのに、加計孝太郎理事長と親しく「利害関係を有する立場」の安倍首相が認定したのは「違法なものというほかない」と断罪している。

そればかりではない。記事は
指摘通りなら加計学園の獣医学部新設は違法となるわけだが、野党内からは、そもそも国家戦略特区自体が「憲法違反」との声が出始めている。
「憲法14条は、すべての国民は法の下の平等にあり、『政治的、経済的又は社会的関係において差別されない』と規定し、憲法95条は、地方公共団体のみに適用される特別法は、当該地方公共団体の住民投票で過半数の同意を得なければ、国会は制定できない――とある。しかし、国家戦略特区は住民の意思など全く関係なく、特定の地域に恩恵をもたらす仕組み。つまり条文の趣旨を明らかに逸脱しています」

安倍は悪質な男だ。

十一月二十日(月)
維新の会所属の或る議員(名前を出すことすら汚らわしいので出さない)が衆議院の質問で、自民、立憲民主、希望の三党所属の議員を犯罪者呼ばはりした。各党から批判されたばかりか、立憲民主は懲罰動議を衆議院に提出した。マスコミなどからも批判が相次ぎ、某議員は発言を撤回した。
この男は経産省脱落者で、これ以外に「朝日新聞、死ね」とTwitterに書き込んだ。この発言はよくない。山尾さんが国会で「保育園落ちた、日本死ね」を取り上げた件もあのときはよくなかったが、山尾さんはその後、弁護士との写真を週刊誌に報道され離党し、絶体絶命のなかで当選した。だから山尾さんの発言は済んだ話で、それを蒸し返すことはしない。
経産省脱落議員の「朝日新聞、死ね」が悪い理由は、「死ね」なんて言っては駄目だ。私も山尾さんの発言が出たときは「「山尾が落ちた、民進党死ね」と批判したが、あれは「死ね」発言を批判するためだ。そして既にあの発言は過去のものとなった。
一方で経産省脱落某議員は、「朝日新聞、死ね」と発言することで「死ね」発言を今でも正当だと主張してしまった。橋下徹さんも「死ねはダメ。僕もボケ、アンポンタンもあるけど、死ねは使ったことがない。」と批判した。

十一月二十一日(火)
普通の人は以上の説明で理解するのだが、「犯罪者」「朝日新聞、死ね」だのと発言する男の頭では理解できないに相違ない。だから再度解説すると、まづ山尾さんの国会での発言があった。それを朝日新聞が賞賛したとする。そのときに「死ね」なんて発言はよくないと主張する目的で「朝日新聞、死ね」と云ったのなら問題ない。
ところが今頃になってこの表現を用ゐると、「死ね」と云ふ表現を推奨したことになる。

十一月二十三日(木)
加計学園の事件で安倍をそそのかしたのは誰だらうか。もちろん加計学園の理事長なる男は安倍ゴルフに何回も出席するからこの男が悪いのは当然だ。三人の大臣に次々に面会するなんて、普通の人ではできないことだ。安倍は三人の大臣を監督する立場にある。だから安倍が今年の一月に知ったかどうかはどうでもよい問題だ。三人の大臣に会った時点で安倍の責任になる。
さて、安倍をそそのかした人物として、文部科学省前事務次官の前川さんは、或る経済産業省出身の男を挙げた。おそらくそれが正解だ。この男も、名を出すに値しないので出さない。

十一月二十四日(金)
経済産業省出身者が悪い理由は、まづ名称にある。かつての通商産業省なら、産業全体をよくしようとする。経済産業省だと、利益だ経常利益だと民間が数字だけを追ふ手伝ひをすることになる。
自分たちが産業の当事者ではないくせに、経済を口にする。結局はゼロサムの原理で誰かを犠牲に誰かが利益を上げる。それの繰り返しになる。タクシーの自由化にしろ、プロパンガス業者の自由化にしろ、法科大学院にしろ、古くはバス路線許可制にしろ、規制を撤廃してうまくいったためしがない。それは本当に必要な規制改革をやらずに、弱い者いじめの規制改革をやるからだ。
法科大学院とバス路線許可制は経産省の管轄ではないが、発想は同じだ。法科大学院は完全な失敗だし、バス路線許可制の場合は逆に骨抜きで市内路線はまったく参入業者がない。高速路線は参入があったが、これも待合室だバス停だと規制が復活した。
経産省のすべきは強者への規制撤廃だ。そんなことは国民の視線に立ち返ればすぐわかることなのに、彼らには判らない。ここでよい方法がある。経産省は民間の離職率と同等の退職者を出す仕組みにするとよい。これだと国民の視線に復帰できる。ただし退職者が天下ったり、発言撤回懲戒対象議員だったり、「お友達濡れ手に粟商売推進大臣」政務秘書官では駄目だ。(完)

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