千四十六 職場にあった入場券で三十年ぶりに音楽会へ行った
平成二十九丁酉年
十一月四日(土)
職場の掲示板に、アマチュア音楽会の入場券が1枚貼ってあり、ご自由にお取りくださいと書かれてゐる。ブラスオーケストラとあるので金管楽器を増強した管弦楽団だらうと思ひ、その入場券を頂いた。
インターネットで調べると、管弦楽団ではなく吹奏楽団だ。行くのは止めようかと一旦は思った。ここにわたしの音楽観が現れる。琴や三味線など伝統音楽なら聴きたい。タイや中国などアジア各国の伝統音楽も聴きたい。西洋音楽伝統の管弦楽や室内楽も聴きたい。しかし吹奏楽は伝統音楽ではない。切符を元の場所に返還しようとも思ったが、一旦受け取った以上、責任を持って出席すべきだ。さう思ひ直した。
場所は江東公会堂だ。ここで新たな問題が発生した。渋谷から住吉まで往復で474円。あと26円追加すると期間限定の都営地下鉄一日乗車券を購入できる。私の頭の中には交通機関利用内規がある。今までアナログとして持ってゐたので明文化したことは無いが初めて明文化すると
(1)僅かな金額を追加して一日乗車券を購入できるときはそれにする。そしてあちこちに寄る。
(2)公共交通育成のため、経営状態の良い機関はできるだけ避ける。東京メトロ<都営地下鉄<バスの順に優先度が高くなる。
(3)30年前の国鉄民営分割時の現JR総連の裏切りはあまりに悪質なので、JRは青春18きっぷ以外は出来るだけ乗らない。新幹線は同行者のゐる場合を除き乗らない。
(4)以上を実行する前提として40円以上余分に掛かってはいけない。

都営地下鉄は今まで一日乗車券でずいぶん乗ったから、あと寄る場所として本八幡で降りて中山法華経寺くらいしかない。本八幡から京成中山まで2Km。往復で4Km。あと増上寺と築地本願寺にも寄るか。いろいろ考へるうちに、よい方法を思ひついた。一つ手前の清澄白河で降りると往復で390円。交通機関利用内規(1)に抵触しない。
しかも190円の土曜休日券を購入することにした。今回を含めて今月六枚使ふ宛てがある。残り八枚は三ヵ月間で使ひ切るとみた。

十一月五日(日)
三十年前に聴きに行った音楽会は、富士通川崎工場合唱団の演奏会だった。大井町駅前の品川公会堂で行はれた。川崎工場は富士通の登記上の本店所在地で、今は技術開発拠点になってしまったが、当時はまだ半導体などの製造があった。
富士通に社会人バスケットボール部を創部することになり、応援歌の歌詞は既にあるので作曲を募集した。私も応募したが採用されたのは別の人だった。しかしその縁で合唱団の方から演奏会の入場券を頂いた。送ってくださったのは女性で、おそらく半導体製造の技能職だと思ふ。当時、私は独身で、私の所属する富士通マイコンシステムズ株式会社は半導体事業本部の子会社だったので、積極的にアプローチする方法もあったが、当時は私の作曲を気に入ってくださったのかな、程度しか考へなかった。
音楽会が終り幕が閉じた後に、出演者の一部が観客席に来て同じ職場の人たちと談笑する風景があちこちで見られた。常任指揮者ではなく団員指揮者が指揮棒を振りながら自身で歌ひ、それを白髪頭の男性など職場の仲間たちがにこにこ見守る光景が今でも頭に浮かぶ。職場の仲間との雰囲気はこのやうに明るくなくてはいけないと、そのとき思った。
三十年後に戻ると、今回の吹奏楽団は任意団体なので社会人あり学生ありで、音楽が好きな人たちが集まったものだ。しかし富士通合唱団とどこが違ふかを考へながら聴いた。あと舞台上の、少数の年配者と多数の中年、若者の組み合はせを見て、人間関係が演奏のときの仕草から判るのではないかと余計なことも考へながら聴いた。

十一月八日(水)
出演者の一覧を見ると、私の勤務する会社の人はゐなかった。この楽団は芸能花伝舎を練習場所とする。会社の近くで藤圭子が飛び降り自殺した四辻の少し先だ。昼休みに花伝舎の敷地に昼食の販売車が来る。会社の人が買ひに行って、入場券を貰ったのかも知れない。

コンサートは第一部、第二部に分かれ、第二部を聴き終った後は、アンケートにも「満足」に丸を付け、「また来たい」に丸を付けた。しかし第一部を聞き終へた時点では、別の感想を持った。それは、オーケストラを名乗りオーケストラを目指しながら、全然目指してゐないではないか。
第一部は五曲で、このうち気に入ったのは「酒とバラの日々」でジャズを名乗るものの編曲が優れるのか、ジャズの要素をまったく感じさせない名曲だった。この書き方で、私はジャズを好きではないことが判ってしまふが。

十一月九日(木)
常任指揮者の経歴を見ると、音楽大学を卒業後、アメリカに留学し吹奏楽指揮法を専攻。大学バンドの副指揮者、ディレクター。日本人として初の同専攻マスター。
こんな立派な経歴なのに第一部の指揮を見ると体の表現が大袈裟だし、指揮棒を用ゐない。指揮法を専攻してこの程度なのかと疑問を感じた。そもそもこのオーケストラは管弦楽を目指す吹奏楽なのに、それを感じなかった。
15分の休憩では一旦外に出て、別の入口から館内に入り小ホール、大会議室、中会議室)、特別会議室、レストランを廊下から眺めた。といっても見えるのは扉だけだったが。再び外に出て、大ホールの入口で半券を提示し再入場した。
第二部はロシア音楽を特集し、バレエ組曲「青銅の騎士」、組曲「ロメオとジュリエット」、スラブ行進曲だった。第二部はよかった。そして常任指揮者は指揮棒を用ゐた。初めて聴く曲が多かったのに、まったく退屈しない。これがコンサートの醍醐味だ。CDやテレビ、ラヂオだと馴染みのない曲は退屈になってしまふ。

すばらしい演奏を聴かせていただいたので、将来への発展のために提案がある。第一部は常任指揮者ではなく団員指揮者が担当したらどうか。
あとプログラムに書かれた常任指揮者の経歴の末尾に、区立中等教育学校吹奏楽部音楽監督とある。一流の音楽家が公立の中等教育学校の部活動を指導することは尊い。しかしそれを経歴に書くと逆効果になる。
経歴をたくさん書くと、読む人は足し算では評価しない。よくて平均、悪くすると最低値を採用してしまふ。中等教育学校の部活動も担当することを書くばあいは具体的な学校名は書かず「公立中等教育学校の部活動にも注力」などとするとよい。
せっかくの演奏会なのに寝てゐる人が多いのは残念だった。出演者の父親であらう。椅子から完全にずり落ちた状態で足が前の椅子に接触するから床に落ちない状態で寝てゐる年配の人が、私の周辺だけでも三人ゐた。あと一部が終ったあと小さな子供を連れた夫婦が「どこにゐるか判らなかったね」と話しながら帰路についた。小さい子は限界かも知れないが、第二部が本番なのに惜しい。

江東公会堂は音がほとんど反響しない。今は取り壊されたかつての文京公会堂は音響では定評がある、と説明文にはあるものの出演した人に訊くと、響き過ぎて駄目だ、とのことだった。時代の変化もある。マイク無しのオペラだと文京公会堂のやうな施設は好ましい。マイクが設置されたから、オペラはもとよりどんな催しでも反響しないほうがよいのかも知れない。
帰りは猿江恩賜公園の旧宮内庁貯木場の側に寄った。元から猿江恩賜公園は存在し、後に道路反対側の貯木場部分も公園になった。海水と淡水が混ざるため、木を沈めると何十年ももつさうだ。(完)

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