千四十五(その三) 渋谷区本町の高台
平成二十九丁酉年
十一月二十三日(木)
中野坂上から新宿中央公園の方角に向かひ菖蒲橋を渡ると、前方に懐かしい雰囲気の台地が見えてくる。懐かしく感じるのは石垣に昭和40年代の特徴を残すためだらう。かつて組合事務所に行くときも、そして今また少し遠回りして会社に行くときも、この台地のふもとを歩いてきた。
そして今週の昼休みはこの台地に上ってみることにした。まづ菖蒲橋に近い坂を上がると四角形の三宝をぐるっと回って坂を下りてしまった。暫く歩いて最初の坂の先の階段を上がると100m先で台地の反対側に下り坂で降りてしまふ。だから坂を下りずに引き返した。その次の坂は下の道と平行に高台を縦に走る。ここから二本横に分かれるが、先ほどの横断道と同じで100m先で反対側に下る。縦断道は山手通りの近くで少し下がり下の道に合流する。
これだけだと狭く閉じた台地みたいだが、山手通りはその手前から少し上り坂となる。つまり閉じた台地ではなく山手通りの先から続く台地が張り出したものだ。

十一月二十四日(金)
次の昼休みは高台を右回りで探索した。しかし台地の左側は境界が曖昧だ。右側は石垣の崖がある。左側はだらだらと下る。しかも下って平坦になった更に先に道がある。だから一つ目の道に入ると上らずに行き止まりだった。二つ目の道も上らずに行き止まりだった。3つ目からは上り坂になった。この方法で台地を一周した。
山手通りに降りる坂は高低差が僅かだ。山手通りの上昇分も僅かだ。つまり高台の根元部分は低く先が高い。高い部分は菖蒲橋の近くで10mはある。

十一月二十六日(日)
その次の昼休みは、高台を右回りに歩いたものの坂は上がらず、しかし山手通りの緩やかな坂を頂上まで往復した。合流部分で既に3mほど上がってゐる。その先を2mほど上がる。しかしその先は方南町通りに向かって下降する。
この日は帰りに、シティタワー新宿新都心と云ふマンションの前まで行った。一回目の高台巡りのときに、高層マンションなのに各階のベランダに青い帯の入った建物を見つけた。白色の高層マンションは、それ自体の美醜はともかく周囲と調和しない。シティタワー新宿新都心は各階に青い帯があるので周囲と調和する。寄ってみて驚いた。私が二年前まで所属した労組の移転と分裂前の事務所のすぐ傍だ。平成十七年(2005)の36階建てだ。
それに対して私が周囲と調和しないと感じたマンションは、平成二十年(2008)の44階建てと、つい先日の60階建て。後になるほど階数が増えるのも気になる。それだけ周囲との調和を考へないと云ふことなのだらうか。

地元しか知らない商店街は、昔からの商店街から閉店が相次ぎ、今の形態になったのだらう。そこが区画整理で一斉に姿を消したけやき橋商店街との違ひだ。信用金庫がけやき橋商店街跡の淀橋会館に移転した。19日に看板が架けられたので移転したのかと思ったが、20日から営業で、旧支店の看板は白い覆ひが掛けられた。(完)

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