千三十(その二) 立正佼成会のお会式を拝観
平成二十九丁酉年
十月十五日(日)
私の宗教思想はすべての宗教は同一と云ふものであり、しかし日本は仏教に縁があるから仏教を中心とするだけだ。決して世界中で仏教が一番優れてゐると主張する訳ではない。そして仏教の或る宗派を特別扱ひすることもない。これまで日蓮系を取り上げることが多いのは、佼成図書館をよく訪問するためだった。佼成図書館は日蓮系に偏る訳ではないが、日蓮系は読むのが楽なのでつひ多く読んでしまふ。丁度囲碁のアマチュア二段と三段の中間の人が、二段で対戦したほうが楽だ、と言ふやうなものだ。
佼成図書館は立正佼成会の会員以外でも利用ができて、その社会貢献度たるや絶賛に値する。と云ふことで、立正佼成会のお会式を紹介し、ささやかではあるが報恩になればと思ふ。

ホームページを調べると、立正佼成会がお会式に参加したのは、昭和二十四年に堀之内妙法寺のお会式に万灯10基、纏3基、笛、鉦、太鼓とある。翌年は鎌倉龍口寺のお会式にも参加。昭和二十六年から、纏の振り方や太鼓、鉦の打ち方、お囃子など独自の様式によるお会式が行はれるやうになった。最初は新宿、渋谷、中野など8ヵ所から本部に向かって行進したが、その後、交通事情などで行進の中止や変更を繰り返し今日のやうな形態になったとある。

十月十五日(日)その二
あいにくの雨だったが、参加者の熱意はそれをはるかに上回り、出発点で題目一唱ののち笛、鉦、太鼓、掛け声とともに行進はかなりの間隔を空けて出発した。バス通りを通行止めにして、お会式をするのは良いことだ。地上は人間を含むすべての生物のものだ。車の走行を半日でも止めるのは、昭和二十年代からの伝統の力だ。
私が見たのは、2.大田子供から14時14分発の19.渋谷/朝霞・京都・ウランバートルまでだった。ポロシャツの上に何も羽織らなかったためこれ以上ゐると体が冷えてしまふ。その間に大聖堂までの往復と、物産展、模擬店を見た。物産展では野菜を一つ買った。私は立正佼成会の会員では無いが、各地の教会の出店には親しみを感じるから不思議だ。模擬店はほとんどが業者なので素通りした。

十月十九日(木)
数年前、築地本願寺に参拝したとき、弟子が継ぐのと、子が継ぐのと、組織が継ぐのと、どれが一番伝統を残せるかを考へたことがあった。そのときの結論は一番駄目なのが弟子、二番目が子、一番良いのが組織だった。
今回立正佼成会のお会式を拝観して同じことを考へた。世の中の変化に合はせて変へたほうがよいものがある。弊害があり変へたほうがいいものがある。しかし組織の長に権力が集まると、不必要な変更が多発する。私かかう考へるのは、創価学会とその所属した日蓮正宗の昭和三十八(1968)年辺りから昭和六十(1985)年辺りまでの経緯を見てのことだった。その後の創価学会の破門は変化と見てゐない。これはかなり創価学会側を支持した立場だが、もはや双方がこれ以上変化しないところまで行ったと考へることもできる。

お会式として七百年続いた儀式を、お会式一乗祭と変更してよいのか、更にお会式一乗まつりと再変更し現在に至る。とはいへ、参加者の生き生きとした表情で雨の中を参加する姿を見て、そのエネルギーに感嘆するばかりだった。
私自身は一回観たので来年また観たいとは思はない。それは雨の中で歩道が見物者と通交者の傘がぶつかり合ふ場所に長時間ゐて疲れたためだった。しかし阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」が頭を過った。お会式は参加しないとその歓喜は判らないのだらう。来年か再来年か、晴れた日に再び観たいものだと考へなおした。(完)

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