千二十八(その四) 1.新宿三井ビル、2.旧淀橋浄水場との境界線を探る
平成二十九丁酉年
十月十三日(金)
一昨日の昼休みは新宿副都心の譜代(都庁移転前に建設されたビル)部分に行ったが、小田急第一生命ビルと新宿住友ビルは何回か来た。そこで新宿三井ビルに入った。ここは二回来たことがある。一階、地下一階を廻ったあと、住友ビルへの連絡通路とあるので行ったところ、道路下の自転車置き場の横で、これが連絡通路と呼べるか不明の代物だった。
昨日は、旧淀橋浄水場と市街との境界を探りながら新宿三井ビルに行くことにした。一番近距離で行くには、新宿警察署の角を曲がればよい。旧淀橋浄水場と青梅街道は斜めに位置するからだ。しかしこれだと新宿三井ビルの横幅分を遠回りすることになる。ビルの手前に着きながら青梅街道のできるだけ先を曲がる。東京医科大病院裏の二又を歩くことにした。この二又は由緒がある。毎日新聞のホームページに昭和三十年と現代の東京地図がある。これで見ると、かつては淀橋浄水場の境界まで斜めに小道が一本ある。それが二又の片方だ。淀橋浄水場が廃止になって別の方角に小道が出来て二又になった。だから二又の分かれる部分が境界なのだ。
往路は一本手前の小道を間違へた。前回の新宿国際ビルの横に出て失敗した。少し遠回りになったが新宿三井ビルに行った。地下一階のレストラン街にタイ料理店を見つけた。ここへは動く歩道のある道(中央通り)側から来たことがある。杉並の特別支援学校でコンピュータを教へてゐたとき、新宿に出て昼食を食べる時代があった。新宿三井ビル内の少し先の吉野家に行ったところ混んでゐたので別の場所を探した記憶がある。消費税増税以降、吉野屋では一回も食べたことがない。
ビル内を歩いたあと帰路は二又のある小道を歩いた。この二又の合流部が淀橋浄水場の境界で、ここから先は昔からある道だ。

十月二十七日(金)
タイ料理訪問もさうだが、一つのテーマを決めて何回か訪問することが多い。三井ビルの最後として十八日に訪問した。このときは医療機関のある階と食堂のある階を見た。食堂のある階は、今回のシリーズの前だから数か月前に来たことがある。医療機関のある階から非常階段を歩いたが壁に絵があるのも数か月前を思ひ出す。食堂のあるビルは良いものだ。一階や地下階の飲食店とは異なり、上層階のレストランとも異なる。
二十四日にランチタイムコンサートを聴きにきたが、これは三井ビルに来た訳ではない。これで三井ビル特集を終了したい。

十月二十七日(金)その二
昨日は旧淀橋浄水場の境界を示す、もう一本の道を探索した。かつて淀橋浄水場は現在の都庁より西側に張り出してゐた。その境界は新宿中央公園の南側を東西に走る道だ。てっきり園内だと思ひまづ北側の中央を歩いた。小西写真発祥の地の標識を見つけた。昭和三十年の地図では六桜社の工場があった。
陸橋を渡り南半分に入った。公園を突き抜けたが道は判らなかった。街路図を見て、自動車の通行する道路がかつての境界だと判った。北半分に戻り淀橋浄水場にあった六角堂を見た。かつて浄水場の見学者が休憩したさうだ。(完)

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