67、日本復活大作戦3(仏教復活)

平成十八年


十二月四日(月)(禅定)
お釈迦様の修行は戒定慧の三つに大別される。このうちの戒は戒律のことで、婚姻しない、午後は食事をしない、お金を持ってはならないなど出家しない限り無理である。
ここでは信者用の戒律を守りつつ、定すなわち禅定を修行しよう。禅定とは瞑想である。

十二月九日(土)(上座部仏教)
日本の禅宗も上座部仏教も、坐禅とともに経行(きんひん、歩く瞑想)を行う。二千年前に大乗仏教が分かれたのに今でも同じ修行を行っていることに感激した。日本では、上座部仏教のことを小乗仏教と呼ぶ。これは正しくない。当時のインドではサルバースチバーディン(漢字で書くと説一切有部)が有力だったが、大乗はサルバースチバーディンを小乗と呼んで軽蔑した。タイ、スリランカ、カンボジア、ミャンマーはサルバースチバーディンではなくテーラワーダ(漢字では上座部)である。テーラワーダは南方の国民の心の支えであり、教育、福祉にも取り組んでいる。スリランカでは僧侶が貧しい子供たちにパソコンを教えている。決して自分だけが修行している訳ではない。

十二月十五日(金)(タイの仏教)
東洋で仏教が一番盛んな国はタイである。男子は一生に一度は出家する習慣がある。短期で還俗する人が多いが、そのまま長期、なかには生涯を僧侶で過ごす人も多い。戒律を守れる人は僧侶、無理な人は還俗。実によくできた伝統である。
タイにも怪しげな僧侶はいる。バンコクのワットマハタートという総本山で、ある僧侶がお経を唱えてくれた。小銭(タイ人と同じ程度)を喜捨すると、じゃんけんのグーで親指を上に立てて、にこにこしながら「グー」と言った。本当に怪しげな僧侶である。世間で食べていけないから僧侶をやっているのだろう。こういう僧侶がいたっていい。日本だったらホームレスや自殺をするところだ。タイでは僧侶として社会に貢献している。

十二月十六日(土)(日本に上座部仏教を)
自殺者やニートの多い日本に、タイの仕組みを広められないだろうか。南方は上座部、北方は大乗というのは、気候に合った方法なのだろうか。来週、タイ仏教の僧侶にお会いする。その辺をお聞きしたいと思っている。

十二月十七日(日)(世襲仏教批判)
日本の仏教はよくない。世襲制だからである。ここで戒律が重要となる。僧侶が妻帯しているのは日本だけである。大乗仏教でも他の国の僧侶は妻帯しない。日本でも、最澄、空海、道元、法然、日蓮等々いずれの聖人方も妻帯していない。唯一親鸞は妻帯したがこれは半俗半僧の例外である。戒律を守らず寺という生活手段があるとなれば、世襲制になるのは目に見えている。
自殺者やニートが多いのも、経団連が国民のことを考えず派遣やら偽装請負やら非正規雇用を促進するのも、世襲制坊主が原因で日本人の仏教心が喪失したためと言っても過言ではない。

十二月二十三日(土)(やる気のない僧侶)
世襲僧侶はやる気がない。話のうまいへたの問題ではない。話がへたでも熱意があればそれが伝わって来るものである。僧侶が真剣に修行し、真剣に説法する。その姿を見ればフリータもニートだろうとやる気を出す。経団連も不正規雇用をやめようと考えるはずである。

十二月二十四日(日)(タイ仏教僧侶)
昨日は日本人のタイ上座部仏教僧による瞑想会に参加した。日本の曹洞宗、臨済宗は形にうるさい。部屋に入るときはどちらの足から、座る位置に着いたらしなくてはならないことや、右足と左足と手はどこに置く等々。
上座部仏教ではすべて自由である。座り方も自由である。目は開けても閉じてもいい。
まず僧侶によるパーリ語によるお経の後、瞑想に入った。最後に慈悲の瞑想も行った。

十二月二十九日(金)(慈悲の瞑想)
慈悲の瞑想は、まず自分のことを念じる。
「私が幸せでありますように」
「私の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の願い事がかないますように」
「私に悟りの光があらわれますように」

次に自分の親しい人々のことを念じる。
「私の親しい人々が幸せでありますように」
「私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の親しい人々の願い事がかないますように」
「私の親しい人々にも悟りの光があらわれますように」

次に生きとし生きるもののことを念じる。
「生きとし生きるものが幸せでありますように」
「生きとし生きるものの悩み苦しみがなくなりますように」
「生きとし生きるものの願い事がかないますように」
「生きとし生きるものにも悟りの光があらわれますように」

続いて嫌いな人々のことを念じる。
「私の嫌いな人々が幸せでありますように」
「私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の嫌いな人々の願い事がかないますように」
「私の嫌いな人々にも悟りの光があらわれますように」

最後に自分を嫌っている人々のことを念じる。
「私を嫌っている人々が幸せでありますように」
「私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように」
「私を嫌っている人々の願い事がかないますように」
「私を嫌っている人々にも悟りの光があらわれますように」

十二月三十一日(日)(おじいさんの仏教)
日本の仏教は完全に活力を失っている。日本以外の大乗仏教国では、僧侶は妻帯していない。日本にとってはお父さんの仏教である。そして上座部仏教国では国民の心の支えとなっている。日本にとってはおじいさんの仏教である。

一月一日(月)(日本の伝統)
日本にお父さんの仏教やおじいさんの仏教が広まれば、素晴らしいことである。しかし日本人は日本の仏教に長く馴染んできた。お父さんやおじいさんの仏教とともに、それらに刺激を受けた日本の仏教も国民の心の支えとなるように、今こそ生まれ変わってほしいものである。


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