59、田中角栄事件の後遺症
平成十八年
五月二十日
田中角栄元首相が逮捕されたのは、アメリカの陰謀だったという説がある。
本当に陰謀だったのかどうかに関わらず、あの事件は日本に重大な後遺症を残した。
政治家が自己保身のためにアメリカのご機嫌を取るようになってしまったのである。
五月二十二日
田中元首相裁判の弁護士を務めた木村喜助氏は「田中角栄の真実」で次のように述べている。
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チャーチ委員会やSEC(証券取引委員会)がコーチャンらを喚問するに至った経緯は全く明らかではないが、一説ではロッキード社の秘密資料が、誤ってこれらの機関に配達され、それをこれらの機関が開けて事件が発覚したとされる。郵便物の誤配自体もあり得ないが、誤配先がそれを開けてみるというのも、なお考えられない事実である。
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コーチャンらのSECやチャーチ委員会での証言及びその際収集された資料を入手した諸外国が、謀略ではないかと疑う慎重な姿勢で操作や裁判を開始しなかったのとは逆に、(以下略)
五月二十三日
第一次佐藤内閣から第三次まで、佐藤首相の私的アドバイザであった川内康範氏は、田中元首相の裁判について当時の雑誌に次のように書いている。
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ロッキード事件はアメリカ政府の仕掛けた罠である。民族派のあなたを犠牲にすることで日本を混乱に陥れることが目的であった。
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なぜあなたは、ロッキード事件がアメリカ政府によって取り沙汰されたときに、これは裏に何かがある、いまごろになって奇妙だ、とどうして疑問を抱かなかったのだ?
三木武夫は、そのあなたのうかつさを何もかも承知、計算ずくめで、ロッキード事件を戦後最大の汚職事件としてクローズアップさせるため、フォード大統領と交渉、かくて世界史上まれともいえる贈賄側のロッキード社の免責を餌にあなたを刑事被告人の席に縛した。
五月二十四日
川内康範氏は、陰謀の背景について次のように書いている。
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裁かれるべきは、贈収賄両者であり、したがってコーチャン元副会長をはじめ、アメリカ側の各関係者の嘱託尋問調書を検察側がなんの疑念も抱かずに採用し、悪の一切は収賄側である日本のみにあるとの断罪によってわが国の司法の権威ばかりか、サンフランシスコ条約によって獲得し、三十年もかかって築き上げてきたわが日本の主権はあいまい模糊とした霧に閉じこめられてしまった。
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あやまりもなくわが国は裁判によって、アメリカの間接的治外法権下に置かれたといっても過言ではない。
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遠因はあなたがアメリカの頭越しに成就させた日中国交回復という快挙にあった。がアメリカ側から見れば、それはあなたのアメリカに対する下克上であった。
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タナカは危険な宰相だ。彼は民族派だ、放っておけば何をしでかすかわからない。
五月二十五日
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私は、あなたが逮捕された直後、これらの疑問を、ワシントンポスト紙に一頁の公開質問状を出そうとしたことがある。はじめワシントン・ポスト広報部は掲載の許可をした。が、なぜか七日経っても十日経っても、検討中であるとの理由で延び延びになっていた。米国の友人から「この問題はあまり突っ込むとやばいからやめろ」と忠告を受けた。
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天皇の戦争責任免除。これがアメリカの高等詐術であった。この作戦は見事に成功した。かくして、日本の戦争責任は侵略一辺倒であり、アメリカは正義であるとの誤びょうが、これまた軽薄便乗をもって生きることにおいて、この上もなく巧みな新聞ジャーナリストたちの戦争責任に免罪符を与える好餌となった。
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日本が悪い、と酷評すれば、すべてこれアメリカの正義を認知したことになり、かくてマスコミは戦死者すらも「犬死」と罵ることによって、いつかアメリカに従属するペンのメカケと化した。
川内氏はまた次のようにも述べている。
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(アメリカにとって)日本が思想的にも情緒的にも、不動の一枚岩になることは絶対に好ましいことではない。だからこそ、ロッキード事件という石火矢を投げ込んだ。
現在の日本を振り返ると、社会党や総評が消滅してしまったにも関わらず、さかんに反左翼を煽る人たちがいる。日本は異常流入したアメリカ退廃文化により崩壊寸前なのに、これらの人たちはさかんに拝米をわめき立てている。日本が思想的にも情緒的にも、不動の一枚岩になることを妨害しているのである。
一方で旧社会党総評ブロックも、アメリカが押し付けた戦後体制を有り難がり、日本の先人たちが築き上げた伝統文化を無視し、日本が思想的にも情緒的にも不動の一枚岩になることを妨害してきたことは誤りであった。
五月二十八日
昭和47年、日中国交正常化をめぐり、当時、ニクソン米政権の大統領補佐官だったキッシンジャーが次のように発言していた(産経新聞)。
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あらゆる信頼できない者のなかでも、ジャップ(日本人の卑称)が他に抜きんでている。
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彼らは中国との国交正常化を急ぐだけではなく、国慶節を選んだ。
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日本政府の外務審議官が会いたいと言ってきたが、会わないと伝えた。
キッシンジャーの怒りは相当なものである。キッシンジャーは昭和46年に訪中し周恩来と会談したが、日本政府には事前に連絡せず頭越しであった。同じように日本も田中下首相の訪中を米国政府に事前に連絡する必要はなかった。
田中元首相の逮捕以来、日本の政治家は米国のご機嫌を取るようになってしまった。
日本国民が今すべきことは、平衡を取るために拝米政治家に反対し選挙で落選させことである。
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