56、日本文明という言葉は国を亡ぼす
平成十八年
三月十ニ日
日本文明という奇妙な単語がある。このような言葉を使っていると国を亡ぼす。昔から使われてきた日本文化という言葉が控えめで日本に合っている。最も有害なのはハンチントンの物真似で使用することである。
三月十五日
文化と文明の違いは、上山春平氏の「日本文明史1」(平成2年)に詳しい。
- 「文化」は精神的、「文明」は物質的という見方が広く通用している。六十代(平成2年当時、現代では七十代後半以降)以上の旧制の高校や大学で育った人はこのような考え方を身につけている。
- こうした常識的な考え方を大きく突き崩す動きが戦後にアメリカから押し寄せて来た。敗戦と占領の歴史が知的世界に明瞭に刻印を残したケースといえるかも知れない。アフリカやアメリカなどにヨーロッパ先進諸国の植民地がつくられ、原住民の統治のために、ヨーロッパ人の側に、原住民の生活を理解する必要が生じた。英・米人類学風の場合は、発達のおくれた未開社会における人間の活動と所産を「文化」とよんではどうかという提案がなされた。
その結果、文化はある水準以下の社会の文化とある水準以上の社会の文化に分けられ、後者を文明と称することになった。
三月十七日
トインビーは現存するものと過去のものを合せて十九の文明を考えた。西欧文明、西欧文明の親文明としてのギリシア・ローマ文明、西欧文明と並んで現存する四つの文明(正教XX教文明、イスラム文明、ヒンズー文明、極東文明)、それらの親文明、等々。
「比較文明」誌の創刊号(1985年)で、伊藤俊太郎氏は地球上に存在した21の基本文明圏として、日本、朝鮮、チベット、東南アジア、西欧などを挙げている。そして地球上は基本文明だけではなく、バグゼーが指摘した周辺文明が多く存在する。基本文明に同化されてしまったものは周辺文明ではない。
三月二十一日
ハンチントンは、現代世界には西欧文明、東欧文明、アラブ文明、アフリカ文明、中南米文明、中国文明、インド文明、日本文明の八つの文明があるのだという。ハンチントンのこのようなトンチンカンな主張にはトインビーや伊藤俊太郎氏の説とは異なり、ある意図が隠されている。それは日本を他のアジア諸国から切り離そうとするものである。伊藤俊太郎氏の場合は日本以外に朝鮮なども挙げているから、文明を文化の意味で用いていてまったく問題はない。
三月二十五日
日本は古来、朝鮮半島や中国大陸から文化を取り入れてきた。しかし日本古来のものや日本で発展させたものも多い。どれが取り入れたものでどれが独自のものと区別する必要もない。
日本は朝鮮や中国、天竺と古来密接な関係を保ってきた。そして日本は独立国であった。それで十分である。独立文明なぞと大上段に構える必要はない。
最近、日本はアジアではないと主張する人がいる。これらの人が先の戦争を美化する主張をしていることは実に不可思議である。なぜなら日本がアジアではないとすると大東亜戦争はまったくの虚偽となる。
なぜこのような矛盾を生じるかは、アメリカの属国を続けたいが露骨にいう訳にはいかないため、世界の都合のいい主張を集め接木をしたからである。まずくて渋くて毒のある柿の実を作ってもらっては困る。
三月二十六日
高森明勅氏は「歴史から見た日本文明」で日本はまぎれもなく東アジアに位置する。歴史的にもおもにシナを中心とする東アジアの文化圏の圧倒的な影響のもとに、ながくあゆんできた。そもそも日本の「文明化」そのものがシナのインパクトなしには考へにくい。と述べている。これが良識ある見解である。さすが高森氏である。
三月二十八日
文明は対立なぞしていない。西欧文明が世界に拡散してしまったため摩擦が発生しただけである。それのみではない。イスラムとヒンズーの対立も、イスラムとユダヤの対立も、すべて西欧文明がインドやアラブ地域の統治機構を破壊したために発生したものである。
西欧文明は今、多くの生物種を巻き添えに人類を滅亡させようとしている。西欧文明を元の地域に押し戻し、非西欧地域の力で地球を滅亡させない文明を築くべきである。
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