百三十四、菅直人を首相から引きずり下ろそう(売国官僚と売国学者と売国新聞を許すな、を改称)

平成二十二年
七月二十三日(金) 「うごめく売国奴」
売国奴が動き始めた。小学校の学力テストに英語を加えようとする連中である。売国奴というのは不愉快な連中である。楠木正成ではないが七度生まれかわっても退治しなくてはならない。
まず小学校に国際理解という授業ができた。けっして英語の授業ではないと文部科学省は強調した。しかし誰もが予想するとおり英語あそびの授業になった。文部科学省は先見の明のない役所である。
次に小学校で英語の授業を始めることになった。ほとんどの小学校が国際理解の授業で英語の授業を行っているという理由であった。しかし成績には反映させないことになった。
そして本日突然、学力テストに理科、社会、英語の三教科を加えると文部科学省は発表した。これで文部科学省は売国奴だということがわかった。売国奴に寛容なのは世界でも日本だけだ。

七月二十四日(土) 「七生報国」
昨日の発表は各新聞社がWebページに載せた。しかし本日Webページを見ると驚いたことに英語は中学のみとトーンダウンしている。新聞社が一斉に誤報を載せるのは怪しい。特に昨日の読売新聞はこれで確定という書き方であった。

楠木正成の七生報国は七たび生まれかわっても南朝に忠義を尽くすというものだが、昨日述べた七生報国は売国奴は七世代に亙って反撃しなくてはならないということである。
明治維新の後に薩長政府はすぐに西洋猿真似路線に舵を切った。そして七十年後に敗戦を迎え外国軍に占領された。これは建国以来始めての出来事である。そしてその五十年後からはついに英語公用語だの日米安保条約を文化面にまで深化させるだのと、日本は亡国状態になった。自殺率の高さ、引きこもり率の高さ、一昨年の派遣切り騒動を見よ。既に日本は完全に亡国状態である。世代を超えて存続できないからである。明治維新から百四十二年。一世代を二十年として七代目である。売国行為は七代続く。

七月二十五日(日) 「小学生の英語の悪い理由」
角田忠信氏の研究により、日本語やポリネシア語などを母国語とする人は母音や社会音を左脳で聞くことがわかった。欧州の言語は右脳で聞いている。そればかりではない。文法が日本語と似ている韓国語や漢字が共通の中国語も、発音が日本語と異なるため右脳で聞くことがわかった。
だから昔の日本人は漢字だけを取り入れて発音は取り入れなかった。音読みから声調をなくし子音+母音の繰り返しに変えたのはそのためだ。訓読みという方法を発明したのもそのためだ。
小さいときから外国語を習うのはよくない。右脳と左脳の使い方が周りの人と異なったらどうするのか。小学生に英語とかを叫ぶ人は日本変人育成協会を結成したほうがいい。
先祖から受けついだ文化をそのまま子孫に伝える。この姿勢が大切である。

八月二日(月) 「英語の学習の方法」
英語が出来ると言えるには単語と熟語で一万以上は必要である。しかしこれは楽である。読み書きを何年も繰り返せばできるようになる。それより難しいのはヒアリングである。これには膨大な時間を必要とする。なぜそんなことに小学生や中学生の貴重な時間を使うのか。
漢文が日本に入ってきたのは魏志倭人伝のころだろうか。そのとき以来、日本の先人たちは声調や子音のみの発音や二重母音は切り捨てた。この知恵に学ぶべきである。英語は単語力と熟語力が勝負である。しかし一万以上が必要なのは仕事で使う人だけである。ヒアリングが必要なのも仕事で使う人だけである。
英語、英語と騒ぐ人たちは官僚、三流学者、新聞記者である。CIAの工作がこの分野に集中したのであろう。

八月七日(土) 「官僚と学者と新聞記者は優秀か」
官僚が優秀なのかどうか一時話題になった。しかし結論は出ている。もし優秀なら転職しようとしても再就職は引き手数多となろう。そうならないから出向や天下りが問題になる。最初に就職したときは優秀だったのだろうが、倒産や失業の心配がなく刺激の少ないことを繰り返すからああなる。
それにしても今新聞を賑わしている高齢者の行方不明問題はひどすぎる。民間であれば、本人が行方不明なら保険金の支払いは中止します、となるところだ。ところが厚生労働省と総務省と地方自治体は担当者は気が付いていたはずだが何もせず放置してきた。
刺激のないのは学者と新聞記者も同じである。

八月十一日(水) 「CIA工作、官房機密費、主流からの圧力」
普天間基地移設問題で、徳之島の推進派が今年5月に平野前官房長官と会談した際に活動資金100万円を要求していた。平野氏はこれを断った。推進派はつい自民党時代のつもりで要求したのであろう。
昭和二十年代にはアメリカCIAから工作資金が日本に流れた。経済が復興するにつれて、日本の官房機密費が肩代わりするようになった。新聞記者にも相当流れたのであろう。一ヶ月ほど前に、外国では記者は一円でも貰ったら解雇だという記事を見た。ということは日本の記者は相当貰っていたのであろう。

大学で主流以外は教授になれない、と或る大学非常勤講師が語っていた。主流になるには、日本文学や日本宗教学などを除いて欧米かぶれになることである。これまでに兵頭裕己、井手英策、中島岳志、山根知子といった教授、助(准)教授を批判してきたが、いずれも根底に欧米崇拝がある。

八月二十一日(土) 「元社会保険庁長官をスウェーデン大使に閣議決定」
菅直人は駄目な男である。どこまで堕ちるのだろうか。昨年社会保険庁が国民の冷たい視線の中で解体された。元社会保険庁長官は日本年金機構の副理事長に天下りが予定されていた。しかし懲戒処分歴を理由に長妻厚労相が見送らせた。ところが昨日の閣議でスウェーデン大使就任が決まった。菅直人は首相の器ではない。国会内の良識派は与野党を問わず菅直人を引きずり下ろすべきだ。この事件だけでも首相辞任に値する。この事件を放置すれば大使の任命権は第二の官房機密費となる。大使のポストをエサに都合のいい人間を釣ろうという訳である。野党と与党反菅派はこの際徹底的に攻めるべきだ。

この事件が起きたため題名を「菅直人を首相から引きずり下ろそう」に変更した。

八月二十二日(日) 「政党政治を否定する菅直人」
菅直人は十六日に大略次のように発言した。 戦前の軍部は、官僚主義で上昇志向の強い連中が多いから信用できない。しかし陸軍中将の石原莞爾は無欲な男で信用もできる。だから石原の作った東亜連盟には市川房枝や戦後に社会党委員長になる浅沼稲次郎も関係していた。石原は二つの自由政党は国民に見放され次は社会主義政党が出てこなくてはならないのにそうならないので軍部が政治に関与せざるをえなくなった、と述べている。これが正解であろう。

二つの政党が同じ主張をしては駄目である。菅のやろうとしたことは、まさに戦前の二つの自由政党である。二つの政党が談合をすれば首相は楽である。しかし国民はそのようなことは絶対に許さない。戦後初めて本格的な政権交代が実現した。鳩山氏や小沢氏や長妻氏などが今までの悪習を次々に改めた。ところが菅直人は官僚のいいなりになって自民党時代にかなり逆戻りした。官僚と国民はシーソーの関係である。片方にすり寄ればもう一方と不仲になる。

八月二十四日(火) 「国民に嫌われていた戦前の二大政党」
戦前の二大政党がどれだけ国民に嫌われていたかは、五・一五事件の後に関係者たちへの助命運嘆願動が起こったことでもわかる。五・一五事件と連動している血盟団事件でも首謀者の井上日召は出所後に近衛文麿の側近になり、団琢磨を暗殺した菱沼五郎は戦後に茨城県議会議長を務めた。二大政党は国民や県民に嫌われていた。

八月二十五日(水) 「民主主義と自由」
韓国の大統領が電話会談で「民主主義、自由、市場経済といった価値観」と述べたことを、菅直人は得意になって話した。しかしこれは間違っている。
韓国の大統領がいうのは当然である。北朝鮮と軍事的に対立しているのだから。日本は拉致問題があり北朝鮮とはぎくしゃくしているが、軍事的には対立はしていない。
日本国内に江戸幕府が残っているのならば「民主主義、自由、市場経済」という必要もあろう。そうではないのにこういうことを言うのは下心のある連中である。これまではアメリカへの売国奴のような連中が叫んでいた。
自由と市場経済は相対的なものである。貧困者が多くなれば社会主義的な運営をするし、規制が多く業界が停滞すれば市場主義を進める。菅直人は経済がどうなろうと自由と市場主義を進めるのか。それではアメリカの新自由主義である。

八月二十六日(木) 「鳩山政権と菅政権の違い」
鳩山政権が誕生したときは、二酸化炭素削減、官僚記者会見の中止、事務次官会議の廃止、企業への補助金から国民への補助金に切り替え、天下りの廃止、と次々に改革を行った。幹事長の小沢氏も美しい海を埋め立ててはいけない、と正論を述べた。
菅政権のやったことと言えば、消費税を上げる議論を始めたい、自民党案を参考にする、官僚の出向天下りを解禁する、社会保険庁の元長官をスウェーデン大使にする、ということくらいである。そこまでして首相の椅子にしがみつきたいのか。国民は怒っている。いっそうのこと名前を菅琢磨と変えたらどうか。団直人でもよい。


メニューへ戻る 前へ 次へ