百三十三、国内既得権勢力の横暴を許すな

平成二十二年
七月十六日(金) 「IMFの発表」
IMFが昨日、日本は消費税を15%に上げろと発表した。この発表のペテンを明らかにしていこう。
まず日本とIMFの連絡は誰がやっているのかを政府は明らかにすべきだ。次に国内の消費税増税反対派の主張を聞き、それらに十分反論した上での発表なのかも検証する必要がある。
そもそもIMFの発表は財政だけを指標に計算したものである。例えば高い、まずい、遅いと三拍子そろった牛丼屋が赤字だとしよう。黒字にするには牛丼を1500円にする必要がある、と発表したに過ぎない。まったく意味がない。

七月十七日(土) 「高い、まずい、遅いの解決法」
高い、まずい、遅いと三拍子そろったときは、少なくとも一つ、できれば二つを改善すべきだ。民間はそれを繰り返してきた。それなのに「高い」を更に上げようというのが今回の消費税騒ぎである。
もっとも民間でも大企業は感覚がずれている。富士通は1987年頃に五十億円の赤字になった。経理上は黒字にして税金も払った。しかし本当は赤字だ。富士通労組の幹部がそう言っていた。敗戦直後の混乱期を除けば創業以来始めての赤字だったのだろう。不安が全社を駆け巡った。或る事業部長が「富士通は国策会社だ。政府が富士通を倒産させるはずはない」と宴会のときにぽろっと言った。この事業部長は或る雑誌出版社が実施したアンケート予想で将来の社長候補の筆頭であった。倒産するはずはないし、いざというときに政府が助ける。そう思っているのが大企業である。
菅政権は官僚に丸め込まれ、民主党最大の支持団体の連合は大企業と官公労である。赤字のたびにリストラや嫌がらせ退職をさせられる純民間がなぜ官僚や大企業のために消費税を増税しなくてはならないのか。消費税を上げて企業税を下げろというIMFの発表は純民間を馬鹿にした話である。

七月三十日(金) 「民間出向を絶対に許すな」
政府は昨日、審議官級の民間出向を認める決定をした。これで国民の負担が軽くなると思ったら大違いである。出向を受け入れる企業では玉突き降格や玉突き解雇など大変なことになる。純民間企業では政府が人件費を節約した増税回避分の数倍の負担をさせられることになる。大手企業は出向を受け入れて認可や補助金や受注で甘い汁を吸う。その分は純民間が負担することになる。

つまり菅直人のしていることは、公務員と大手は損をせず、純民間が損をするというとんでもない制度である。そもそもわが国の社会が不安定な理由は、勤務した分の労働債権しか補償しない法律上の建前と、終身雇用という崩れやすい現実が混在するからに他ならない。純民間は崩れやすい現実の中で、解雇や嫌がらせ退職や給料差別などに何とか対抗して生きている。一昨日は労働審判が四年で四倍になったという記事も載った。
出向とは、雇用という権利関係のほかに、本籍身分保障者という身分制度を作ることである。絶対に認めてはならない。民間で勤務するなら公務員を退職すべきである。それにしても菅直人は駄目な男である。官僚の言いなりである。官直人と改名したほうがいい。国民を奸計でだました。奸直人でもいい。

七月三十一日(土) 「出向と天下りの弊害」
ここで弊害の実例を見てみよう。私は以前、富士通の半導体本部の子会社に勤務していた。パソコンの電算部門移管にともない子会社が四分割になり従業員が六分の一に激減した。分割後に電算本部から無能な連中が大挙して出向して課長になった。富士通本体では主事または技師で課長になる。ところがいつまでも昇格できない人は主事補または技師補のまま子会社に出向させて課長にする。彼らは威張るかやる気がないかどちらかであった。
私が富士通労組の職場委員会で「こういう人を子会社に出向するのはやめさせるべきだ」と発言したところ、人事勤労の職場委員が反論してきた。出向者は出向者なりに子会社は嫌らしい。それなのに私のような発言は困るのである。
しかし私は富士通の取締役会で発言したのではない。富士通労組で発言したのである。もし会社の意向に沿わない発言がいけないとなると春闘の発言も選挙で社会党を応援する発言もいけないことになる。諸悪の根源は出向と天下りにある。勤務するから雇用関係がある。それ以外の関係を作ってはいけない。

八月一日(日) 「非自由主義対自由主義経済の闘い」
純民間は自由主義経済の波に常にもまれている。個人商店ではここ数年で閉店したところも多いし企業の倒産、人減らしも続いている。それなのに非自由主義経済でぬくぬくと生活している連中のためになぜ消費税を上げなくてはならないのか。
企業は黒字と赤字では社内の雰囲気が一変する。消費税を上げる一方で、黒字企業の税率を下げるというのはいかにも官僚と経団連の発想である。経団連は経営者の団体ではない。企業官僚の集まりである。
今後消費税の話が再び出てきたときは、純民間の国民は江戸時代の百姓一揆を見習い行動しようではないか。


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