34、靖国神社

平成十六年九月廿五日



私はこれまでに靖国神社に2回しか参拝したことがない。それも仏教式に合掌し、お賽銭はあげなかった。
まず仏教式の件だが、私は靖国神社に限らずどの神社に参詣するときも合掌する。だから近くで柏手を打つ人がいると正直なところ、うるさいなあ、と感じることがある。柏手を打たないと解るが合掌しているときに耳元で手をたたかれると本当にうるさく感じる。もっとも神社で柏手を打つ人が普通なので文句を言う訳にもいかないが。
賽銭を出さなかったのは門をくぐると警備員がいて前へ進みにくい雰囲気なので一番後方で参詣したからである。あの位置から賽銭箱までは届かない。ヤクルトの古田捕手なら二塁に投げるつもりで届くかも知れない。
私が今までに2回しか行かないのは韓国と中国に配慮してのことである。民間人でもこれだけ気を遣っているのである。まあ、一生のうちにあと1回は行きたいものである。


1 石を飛ばす老人
2回目に靖国神社に行ったとき、門の外で俳句会だか骨董市だかの行事を行っていた。少し離れた位置からパチンコで小石を樹木の鳩に向けて飛ばしている老人がいた。へたをすれば行事に参加している人たちのほうに飛んでいってしまうだろうに、酷いことをするものだ、と思うが近くにいる警備員も参加者も何も言わない。 この老人は、たぶん戦争で嫌な思いをしたのであろう。それで鳩に八つ当たりしていたのである。靖国神社について語るときには、いろいろな立場の人がいることをまず考慮しなくてはならない。

2 東条英機批判は日本人の手で
ヒトラーと異なり東条英機は官僚である。陸軍という全体では悪い方向に向う組織にあって、組織に忠実だったに過ぎない。西城秀樹という歌手がいるが、だれも東条英機と語感が似ているとは思わない。もしドルフヒトラーという歌手がドイツに現れたら起こるであろう騒動とは大違いである。 しかし日本人はもっと東条英機を憎んでもよい。あの男が無能だったおかげで多くの国民が迷惑を被ったのである。東条英機を非難もしない日本人は、世界から不可解な民族だと思われても仕方がない。

3 普通の戦争と極悪の戦争
戦争には聖戦と普通の戦争があると思っている人が世界、特にアメリカ人には多い。 実際は、戦争には普通の戦争と極悪な戦争の2つしかない。日本は所謂大東亜戦争は普通の戦争だったと思っているから東条英機はたまたま開戦時の首相だった程度の感覚しかないが、そこは情報戦が得意な欧米である。日本はヒトラー、ムソリーニと同等で極悪な戦争をしたことになっているのである。ヒトラー、ムソリーニと同盟を結んでしまった日本の大落ち度である。 今後の日本について言えば、アメリカを支持するときは極悪戦争に加担したと後世言われることがないように気をつけたほうがいい。ドイツ、フランスを見習いたいものである。

4 死者の意志
他の宗教は靖国神社をどう扱ったらよいか。本来は覚王山日泰寺のように超宗派が望ましい。日泰寺を管理する19宗派に加えて神道、XX教で管理するのである。しかしこの議論は戦前に為すべきものである。
鎌倉時代、安房小松原で僧Xの一行が念仏者多数に襲われ、教忍房と工藤吉隆は殺害され僧Xも大怪我をした。もし2人の遺族が、僧Xとかいう悪僧に騙されたため殺された、僧Xの被害者だ、といって念仏僧に供養を頼んだら2人は喜ぶだろうか。 遺族が僧Xの信者ではないとしても僧Xに供養を頼んでこそ2人は喜ぶのである。 靖国神社に奉られた神々に対しては故人の意志を尊重すべきである。残った人たちが軍国主義の犠牲者だとかいろいろ解釈を加える事は適切ではない。 これまでの死者については靖国神社に祭り国民は敬意を表するべきである。 今後戦死者が世界からなくなるように日本は努力をすべきだが、万一日本に出た場合は、靖国神社以外に祭るべきである。徳川家康や乃木希典が過去の人物であるのと同様、靖国神社もあと20年すれば東照宮や乃木神社と同様普通の神社になる。韓国、中国も東条英機を拝む馬鹿な日本人どもに大笑いしていれば済む年月である。

5 他宗教に敬意を払うとは
神が世界を作った。では神は誰が創ったのか。仮に大神と名づけよう。大神は誰が創ったのか。仮に祖神と名づけよう。それでは祖神は・・・。
25年前に放射線取扱主任の試験を受けた当時は、陽子、中性子、電子、あとは質量がないニュートリノを知っていれば十分合格できた。その後、アップクォークやらタウ粒子やら私の頭の能力を超えるものが次々に現れた。このような粒子を研究してもまったく人類には役立たない。大神や祖神を考えるのも同じである。
神が世界を作った、別の神が作った、仏が作った。人類はそれぞれが先祖代々信じてきたものを信じればよい。また、各宗教は世界会議だとかで連合しないほうがいい。各派の責任者どうしの自己満足に終わるからである。その代わり他宗教に敬意を払うべきである。敬意を払うとは信徒が他宗教を同時に信じることを許容することである。大神や祖神が同じなのだからできるはずである。十字架、大仏、鳥居がクォークとレプトンでできているのと同じように。

6 他宗教と靖国神社
靖国神社に反対する僧X系の団体は多い。僧X系は国民の1割以下だからこの際無視しよう勝手に反対なり賛成するだろう、という方法もある。しかし同胞として納得できる方法をいっしょに考えるべきである。これから述べる内容は僧X系のこれまでの靖国神社の考え方が正しいとか間違っていると言うのではなく、何とか相互理解の道がないかを考えた一つの案である。無視してもかまわないものである。
僧Xが他宗を攻撃したのは、X経以外の経典が国内の飢饉や疫病の原因だと考えたからである。神社参拝を禁じたのも、他宗の僧が管理したり国全体にX経以外の経典が多いから神は国を去り代わりに悪鬼が住みついたと考えるからである。 明治維新後に神社は僧の手を離れ仏教も国教の地位を失った。その代わりに現れた国家神道も戦後は宗教の1つになった。何より靖国神社は戦死者を祭る施設である。死者にお参りするのは何の問題もない。
XX教も僧X系も浄土真宗も無宗教という礼拝方式は絶対に避けるべきである。 まだ神道のほうがましである。

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