28、話せば判る

平成十六年三月廿一日

4年前にホームページで日産自動車を話題にしたことがある。あの当時日本では、カルロスゴーン氏は失敗するという意見が有力だった。正月の一般新聞の今年の予想に、「ゴーン氏、日産自動車の再建に失敗し帰国」という記事が載ったくらいであった。 私はゴーン氏の講演と鼎談を聞きにいった。話の内容から95%成功すると確信し、事実そのとおりになった。話を聞けば95%は判るものである。

1 試験社会
今の日本は試験社会である。ずいぶん昔の話だが、職場の同僚で性格がひねくれた男がいて、全国の自治体の試験を受けまくり、ついに近畿地方の市役所だか町役場に就職した。その男は近畿地方とは全然違う地方の出身であった。自治体の採用担当者は自分の金ではなく税金だからあのような者を採用するのだろう。 地方自治体は同郷の職員を採用すべきである。ペーパー試験こそ公平だという脅迫概念に戦後日本は取り付かれている。

2 話せば判る
人物を評価するには、1日中いっしょに仕事をすればいい。話の内容、話し方、態度で、能力も性格も判る。 入学試験や就職試験の面接はまったく役にたっていない。儀式だからである。江戸時代に将軍にお目見えした大名が「御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じまする」と挨拶するのを横で大目付が採点するようなものである。

3 議論
日本人に欠けるものは議論の能力である。論争に勝つだけなら簡単である。その簡単なことさえ出来ない日本人が多いがそれは論外で、相手に納得させる、気まずい雰囲気にならず議論できる、自分も譲歩するという能力こそ重要である。学校では、議論の訓練をすべきである。

4 名文を読む
読み書き算盤が大切なことは古来から知られている。読みについて言えば何を読んでもいいという訳ではない。日本古来の名文を読むべきである。書くときは、論理的なもの、読む人に好感を与えるもの、古来の名文を擬したものを、各々の目的に応じて書くべきである。 国語が嫌いな児童生徒は多いが、第一の理由は漢字だけを切り離して教えるからである。漢字を教える必要はない。名文を読むためそこに出てきた漢字をいっしょに読めばよい。漢字を書く必要もない。論理的な文章や名文を書くために漢字もついでに使えばよい。 国語が嫌いな第2の理由は、駄文で教えるからである。名文で教えれば国語は昼休みの給食に次いで、学校で2番目に人気のある時間となろう。

5 試験社会の問題点1(ねずみ人間)
小室直樹氏がねずみ人間を養成すると述べたように、試験は能力を反映しない。試験は安易に人間を選別できる上に一見公平そうに見える。明治維新の人材がいなくなった後の日本が東亜戦争敗戦の坂を転げ落ちたと同じ事が、終戦後の復興に携わった人材が引退した平成元年あたりから始まった。(先の戦争を太平洋戦争と呼ぶのは適切ではない。アメリカ側の呼称だからである。だからといって敗戦責任を取らなかった無責任軍部政権が命名した大東亜戦争と呼ぶほど偉大だった訳でもない。従ってこのページでは大の字を省き東亜戦争と仮称した。)

6 試験社会の問題点2(日々の努力)
日本仏教の問題点は、一度僧侶の資格を取ってしまうと修行を忘れることである。 日本社会の問題点もここにある。一度試験に合格するとあとの努力が忘れられる。卒業証書は5年限り有効にしたらどうか。日本には、博士、修士、学士という資格も合っていない。明治維新以前に戻り一度廃止してみたらどうか。

7 試験社会の問題点3(受験勉強)
教え方の上手な教師と下手な教師では10倍は効率に差がある。上手に書かれた書籍とそうではない書籍でも10倍は差がある。一流大学合格者は高所得者の子供が多いというのもうなずける。本人の知能ではなく私立小学校、私立中学、家庭教師の威力である。 受験勉強をせずに試験を受ければ公正な結果に今よりは近づく。冒頭に紹介した「話せば判る」というのは、実は受験勉強による誤差を封じる対策なのである。すると今度は、話し方対策予備校が現れるかも知れない。俳優養成所顔負けの演技力を教える予備校である。そのときはまた次の試験を考えればいい。新製品の開発に似ている。受験対策をされないよう常に努力が必要である。




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