九百九十六 1.行かう観ようと思って行かなかった観なかったこと、2.西部邁ゼミナール
平成二十九丁酉年
六月十九日(月)
私の手帳には、6月3日土曜日の欄に佐倉10時28分発、4日日曜日の欄に佐倉16時着とある。これは総武本線開業120 周年記念号で、ディーゼル機関車が客車5両を牽引して運転された。どちらかの日に見に行く予定だったが、行かなかった。
国内全体に客車列車が走ってゐるなら臨時列車を見たい。走ってゐないから見に行くのは止めよう。そんな思ひが急に出た。

六月二十日(火)
住宅建築リフォームの展示会が東京ビッグサイトであった。競売の一般社団法人から招待状が来た。私が申し込んだのか、向かうから勝手に送られてきたのか記憶にない。この社団法人は実質民間企業なのだが、二年前にセミナーを聴きに行ったことがある。二年前に同じ展示会に行って、この法人のセミナーを聴いたこともある。
二年前の展示会はそれほど役立つものではなかった。これから新築しようと云ふ人向けがほとんどで、しかしリフォームもあるから役立たない訳ではなかった。
今年は二年ぶりに見ようと思ったが行かなかったのは、現金つかみ取り大会をやったからだ。予め申し込み先着何十名かが参加できる。参加した人が得する分、一般来場者が損をするのだらう。そんな気持ちがふと湧いた。

六月二十一日(水)
東京MXテレビの西部邁ゼミナールは、始まる直前まで観るかどうか迷ったが、結局は観なかった。出演者が先週、先々週と同じだからだ。西部さんでさへ、残りの二人の発言について「よく判らないから」と前置きして話し始めたが、二人の発言は西洋の学者の誰かが言った内容を日本の現状に当てはめるもので、面白くない。
日本に完全に当てはまる訳ではないし、そもそも一般に知られてゐない学説を紹介しても聴く者にとっては退屈だし、何より日本の現状改善に何の役にも立たない。あと、これは東京MXテレビが悪いのかも知れないが、ときどき聴講者の顔を次々と映す。あの人たちの顔つきから、納得して聴いてゐるのか心配になった。

六月二十四日(土)
今週は聖徳太子の特集なので二週間ぶりに観た。私のメモ書きに加筆すると
聖徳太子の時代と明治維新の時代は似てゐる。日本と云ふ国号、中央集権、戸籍。任那が敗れ唐が強大に。明治時代は清国が敗れ西洋が強大。
十七条の憲法に、和を以って尊しとせよと嫉妬してはいけない。福沢諭吉も「学問のすゝめ」で嫉妬はいけないとある。
日本は感情が優勢だが緊急時は合理に。明治維新後と終戦後。戦後は竹槍では駄目だで合理に。
十七条の憲法の第十条の、怒りは仏教。第四条の礼は儒教。hybrid、雑種性。
日本人とユダヤ人の進歩性、進取性。ユダヤ人は欧州各地で金貸し業をするから各地の文化を取り入れた。日本人も同じ。しかし三代目でハイブリッドコーン(新種のトウモロコシが繁殖力を失ふ)
合理主義の中に非合理の天皇がある理由。合理でこぼれ落ちた人たちを文学が救ふ。
政教分離でも、根本で政と教は繋がる。
以上のお話があった。観たときはなるほどと思ったが、かうしてホームページにまとめると幾つか疑問点が出て来る。
まづ聖徳太子の時代と明治維新の時代が似るのは、軍事強国が現れたからで、それ以外の嫉妬するなだとかは偶然の一致で、本筋とは無関係。
次に、怒りと礼で仏教と儒教のハイブリッドは、正しく無いと思ふ。仏教や儒教の語が入ってゐた。だから用ゐられただけではないのか。
日本人とユダヤ人は、西洋文化の範疇ではないが、影響は過大に受け、特にユダヤ人は西洋文化の一部として生活してきた。それだけのことではないのか。
天皇は江戸時代までは権力を持たなかったが、明治維新後に変化した。西洋も第一次世界大戦の前までは君主制が普通だったから、天皇を君主にすることは合理だった。
合理でこぼれ落ちた人たちを文学が救ふのではなく、もともと合理に合はない人たちは文学が合ふのではないか。だから明治維新以降の天皇とは無関係だし、間違って結びつけると226事件の青年将校たちのやうになってしまふ。
ハイブリッドコーンはたまたま生物現象が社会現象と類似しただけだ。欧州が西洋一本でやるところに、日本が東西混合でやれば、日本では弱者の権利が阻害されるから一時は軍事や経済で有利になる。しかし西洋が東西混合への対策を立てると、途端に日本は弱者になる。ここまで見なくては駄目だ。

最初は番組の内容を紹介するに留めるはずだったが、いざ批評を書くと西部さんたち三人とはかなり立場が異なってしまった。(完)

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