九百八十九 稲盛和夫さんと盛和塾
平成二十九丁酉年
五月二十八日(日)
会社の本棚に盛和塾と云ふ雑誌が揃ふ。このうち最新の10冊と、古い4冊を読んだ。古いほうは十一号からなので、十四号までを読んだ。これ以外に四冊の質問集がある。これは盛和塾大会でそれぞれ経営者から父親の代から役員だった人の待遇、新たに投資すべきか、新分野に進出すべきかなど具体的に出された質問に回答したもので、まづこれを読み有益だった。今回は雑誌の第十四号を紹介したい。平成七年(1995)に発行された。
稲盛経営学を一言にまとめると、社員一人一人にやる気を出させると云ふことだ。社員一人一人にやる気を出させるには、まづ経営者に私欲があってはいけない。そのため稲盛さんはフィロソフィーを重視する。次に、経営者は率先して努力しなくてはいけない。
第二電電(DDI)がこの年に創立十一周年を迎へた。稲盛さんは
「心を高める」が社是とされ、副題として「動機善なりや、私心なかりしか」が付けられました。この文言は「DDIフィロソフィ手帳」に記され、社員一人ひとりに配布されます。
これはよいことだ。企業、特に大企業では社是を決めてある会社が多い。しかし評価や人事は別の基準で行ふと云ふのでは、社是はまったく生きない。稲盛さんの別の号、別の書籍では評価や人事について書かれてゐるが、社是と矛盾しないから立派だ。
次に、心について
いちばん外側には、「本能」があります。この本能というのは(中略)自分の都合のいいようにできています。(中略)経営の場合も、すぐに「儲かるか、儲からないか」ということを聞くわけです。これだけで判断すると、自分にだけ都合のいいご都合主義、実に利己的な判断となります。
その次には、「感覚」というものがあります。人間には五感というものがありますから(以下略)
次には「感情」があります。いわゆる好き、嫌いというものです。(中略)この好き嫌いという判断基準は不安定極まりないものといえます。
それらを通り越した次に「理性」というものがあります。理性というのは、物事を分析し、それを論理的に組み立てていくものです。普通、社長室とか企画室とかいうようなスタッフがある問題を調査し、分析してある計画を立てますが、最後は「総合的な判断は、社長が行ってください」ということになります。(中略)判断できないのに判断を迫られますから、儲かるか儲からないかという本能で決めたり、感覚でもって決めようとしたり、好き嫌いの感情で決めようとします。しかし、先ほどから言うように、それらの判断基準というものは、たいへん不安定です。
その理性を超えた中心に、「魂」というものがあります。(中略)「真・善・美」という言葉で表されるような、そういう実体なのです。
理性は決断できないと云ふ部分は稲盛さんの優れた部分だ。私は一番内側に本能を置き、一番外側に感覚を置き、中間に仏性と理性を置いた。大乗仏教の伝統解釈もほぼ同じだし、稲盛さんの同心円も実質は同じだが、理性に決断力がないことは気付かなかった。稲盛さんはこの講演で更に重要なことを話された。
よく人を信用し過ぎて騙された、女子事務員に使い込まれたという話がありますが、人間というのはいくら真面目な人でも魔がさすときもあれば、変わりもします。それが人間なんです。ずっと真面目なままでいる方が奇跡なのです。
私が偉いとすれば、それはもとに戻るからなんです。いい加減なんですけど、自分で反省してもとに戻ろうとします。私自身はそれを「反省のある人生」と言っていますが、いまでも毎朝起きて反省し、「神様ごめん」と誤っています。そうやって毎日反省するものですから、(中略)そういういい加減な方にいってしまうでしょう。


五月二十九日(月)
梅原猛さんとの対談「原・資本主義」も載ってゐる。梅原さんが
ベルリンの壁が崩壊し、社会主義社会が崩壊してすでに五年たち、資本主義は勝利しその繁栄は疑いないと思われたのに、ここへきて資本主義の裏側に潜んでいたものが表に出はじめたように思います。だからといって、ふたたび社会主義化することはありませんが、いまの資本主義の暗黒の面を救う新しい資本主義のあり方を考えざるをえない時期にきているのではないでしょうか。
の質問に、稲盛さんは利益を追求することはよいがこれからはいかに利益を散財するかだと答へる。私は稲盛さんの考へとは異なるが、それは地球温暖化が顕在化した以降なので、その差だ。そのあと稲盛さんは
新しい資本主義とは、新しいものでも何でもなく、「もとに返れ」ということではないでしょうか。
これは同感だ。当ホームページでは今の資本主義は資本主義の堕落したものだと主張したことがあるが、これと稲盛さんの云はれることは同義だ。
梅原さんが「ふたたび社会主義化することはありませんが」と述べたが、これは疑問だ。まづ化石燃料の使用を停止すれば一部を社会主義化せざるを得ないのではないか。あと戦後の農地改革は社会主義化だ。これらとは別に、労働組合は社会主義を目的にしないと堕落する。ここが梅原さんとの意見の相違だ。

五月三十一日(水)
雑誌には稲盛さんの講演と、経営体験発表が載る。このうち十九号には家庭用品卸売業を経営される方が登壇する。明治四十五年創業、昭和二十七年創業だ。
稲盛塾長は「私はこれまで、人間の本質について経験に頼ることなく『人間としていかにあるべきか』という基準で判断することにしてきた。人間の本質とは、我々誰もが本来持っている魂(良心)である。(以下略)
次に京セラ会計学の十原則を話され、更に
(1)「相矛盾する両極端の考え方をあわせ持ち、それを正常に機能し続けられる能力を再興の知性という」
塾長はそれをたとえて、騒音の激しい工場の中で針一本落ちる音まで聞こえる(以下略)
(2)「やりたいと思うなら、やれると思うことが重要である」
単なる願望ではなく、そのことについて四六時中考え続け、テレビで画像を見るように鮮明に見えるという状態にまでならなければいけない(以下略)
(3)「京セラ成長の秘訣はアメーバ経営にある」
塾長は、人間はその器量に応じたものしかうまく治められないから、小さな組織をいくつも作るのがよい。(以下略)
を発表された。

六月一日(木)
この方は十七号にも登場した。そこでは家業を継いだ時とその後の急成長の話のあと塾長に学んだ三つのこととして
一つは、「企業経営はマラソンであり、自分はその距離を百メートルダッシュのように走りたい」ということです。(以下略)
二つ目は、「心のなかにしっかりした座標軸を持て」ということです。世の中で一流だとか、すばらしいといわれている人でも、座標軸を持っている人は少ない、(中略)塾長は、本に書いてあるとか、人がこう言っているとか、常識と蚊で判断してはいけない、自分自身の良心に恥じない、人間としての心で判断しなさいとおっしゃいました。(以下略)
三つめは、「自分の才能を私物化しない」ということです。(中略)それを実践していくというのは、たいへんです。逆に、そういう言葉があると、自分は判断を間違わないだろうとも思います。
十七号には、中国から来日した三人の幹部(故・胡耀邦共産党書記の長男で全国工商業連合会副主席、国家科学技術委員会元副主任、北京大学元副学長)の発言も載ってゐる(まだ読んではゐないが)。盛和塾はアメリカ、中南米、台湾、韓国、中国にも広がったが、なるほどと、うなづける。

六月二日(金)
盛和塾62号には、組織ごとの損益計算書の話が載る。製造業の場合だと、関東製造課、関西製造課、関東営業課、関西営業課、品証課、管理課等々。営業は製造から仕入れて販売する方法と、10%のマージンを取る方法があり、前者は製造と営業で価格を巡ってよくもめるから、京セラは後者を採用した。
私には一つ疑問がある。損益計算書だけで見ると、無理をして帳尻を合はせることになりやすい。
判り易い例を挙げると、運送業で定時までに指定場所に届けなくてはいけないとする。正しくは余裕を見て出発時刻を決め、経由も決める。この時刻だと外環より首都高のほうが早いなどと考へるところは工夫の余地だ。ところが遅刻回数だけで判断すると途中で速度違反をするやうになる。ここは取り締まりをやらない、ここには自動取締機があるなどと考へてはいけない。速度違反は確実に事故率を高める。
工夫をすることは必要だ。しかし帳尻を合せるため長時間残業やサービス残業や無理があってはいけない。本来は長時間残業に伴ふ有症率の上昇、離職率の上昇、更には65歳に至るまでの健保組合の財政影響まで見なくてはいけない。健保組合は自社健保ではない場合もあるし65歳まで見ることは難しいとしても、残りの二つは見るべきだ。
無理をさせないために、フィロソフィーがあると信じたい。しかし最近の盛和塾ではフィロソフィーの話がほとんどで、損益計算書の話は出て来ないので、やはり時代の変化かと云ふ気はする。盛和塾62号は平成16年に発行された。

六月七日(水)
盛和塾22号(平成九年)には京セラ会計学が載る。前年の全国大会で体験発表された方が昔、京セラ会計学を勉強したと話し、事務局にたくさん問ひ合はせがあったさうだ。それによると
有税でも損金で、未経過分は資産に計上しない、機械は中古品を工夫して使ふ、予算制度は無駄遣ひのもと、金型は有税でも経費で落とす、その日の必要なものを買ふ、不動産投資は工場増設飲みに(浮利は追わず、額に汗して利益を得る)
と堅実経営そのものだ。
この時点で、最近の盛和塾誌はフィロソフィー重視なので、このころとの相違は第二電電や日本航空の経営で、公共企業の感覚が入ったためかと想像した。実際の理由はすぐ後の号に載ることになる。

六月六日(火)
24号の塾長講話は「”魂を磨く”という人生の目的を忘れないのが真のリーダーであり、トップである」と云ふ題だった。臨済宗で得度する予定だったのに、胃がんが見つかり手術で2/3を取り除き、術後が悪く苦しい思ひをしたが完治した。そんな内容だった。
稲盛さんがフィロソフィー重視路線になったのは第二電電創業、或いは日本航空再建の後かと思ったが、どうやらこのときみたいだ。読んだときはさう思った。数日後に古い号を読み直して、胃がん手術の前から提唱してゐたことを知った。

六月九日(金)
29号から塾長講話で京セラフィロソフィーについて連載が始まる。
当初、京セラは「稲盛和夫の技術を世に問うために」つくった会社であると位置づけていました。(中略)会社をつくって三年目になると、高卒の十名の社員たちが、私のところへ団交を申し入れてきました。(中略)そこで私は(中略)「全従業員の物心両面の幸福を追求すると同時に、人類、社会の進歩発展に貢献すること」ということに変えました。つまり、稲盛和夫が技術者として、また、大株主として成功するのが目的ではなく、「全従業員の物心両面の幸福を追求する」ことを目的としてこの会社を運営するのだとしたわけです。しかし、それだけでは従業員の幸せだけを追求するようにもとられかねないので、「人類、社会の進歩発展に貢献すること」とも謳ったのです。
ここまで稲盛さんの思想に大賛成だ。しかしこの時点では少し反対の部分もある。それは
『京セラフィロソフィー』に同調できない人に対しては、「君の考えと私の考えは合わない。(中略)他の会社に行ってもらっても結構だ」と言って辞めてもらうこともありました。


六月十九日(月)
稲盛さんは私欲が無く、会社は公共物と云ふ思想を持つ。しかも稲盛さんが先頭に立って努力する。これなら『京セラフィロソフィー』に同調するのが当然で、それに同調できない人に稲盛さんがこのやうに云ふのも当然だと思ふ。私が京セラの社員だったらおそらく同調しただらう。しかし世間一般の会社はさうではない。稲盛さんのやうな経営者は千人に一人だらう。
雑誌「盛和塾」は全体の五分の一を読んだだけで、単行本も全体の半分を読んだだけだ。この先、全部を読みたい気持ちもあるが、ここで一旦終了したい。(完)

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