九百八十 JR東社長の発言を批判
平成二十九丁酉年
五月十三日(土)
産経ニュースにJR東日本社長のインタビューが載った。これを批判したい。批判する理由は次の質問への回答だ。
--分割民営化は成功したか
 「成功したと言っていいと思う。自分自身振り返ってみると、よくここまでこられたなあ、という実感がある。特に分割が大事だった。鉄道は地域の足。地域の実態を踏まえて経営を考える。分割した以上は自力できちっと経営できるのは不可欠。民営化で経営の自主性を担保してもらい、その代わり、経営責任は事業体が負うことになった」
国鉄を荷物、貨物から撤退分離させればそれだけで黒字になる。当時、そのやうな試算結果が新聞に報道された。つまり当たり前の結果になっただけだ。
しかし地域別に分けると本州の場合、首都圏を抱へる東日本、関西を抱へる西日本に分ければ黒字になる。だから最初は本州を二社に分ける案も出た。しかしこれでは三島と比べて大き過ぎるから東海道新幹線を東海に割り当てて帳尻を合はせた。つまり本州の三社は黒字になって当たり前だった。 それなのに「成功したと言っていいと思う。自分自身振り返ってみると、よくここまでこられたなあ、という実感がある。」とはいったい何だ。

五月十四日(日)
本州のJR三社の業績がよかったのは、たまたま経済状況が三社に追ひ風だったからだ。それはこの社長も認めてゐる。
--膨大な借金を背負ってのスタートだった
 「収入の4倍以上の債務を抱えていた。(中略)金利が低く推移したのは、わが社には幸運だった。平均金利で7%を超えていたが、5%も下がり、大変な効果。負担が実質的に減っていったのは会社の揺籃(ようらん)期に基盤を固めるうえでは非常に大切だった」
--民営化当初はバブル時代だった
 「会社ができて最初の5年くらいはちょうどバブルだったので、運賃改定なしに収入が毎年5%増えたのは、経営を安定させるという意味で大きかった。会社ができたときに立てた5年間の収支計画では、運賃改定することを前提に毎年2%しか収入が増えない前提だった。あまり収入が増えるのは考えておらず、非常に厳しい見方をしていた。国鉄時代にずっとお客さまが減っていたから、増えるいうことを想定できなかった。非常にありがたかった」
金利が下がった分、三島基金に支へられた三社は大変なことになった。JR九州については別の理由で借金を返したのでこれは例外として、一番大変なのは北海道だ。いくら民間企業になったとはいへ、国策で三島基金を設けて、本州については地割りや新幹線の配分で経営が成り立つやうにしたのだから、金利が下がったらトクをする本州三社から調整金を取り、利息が減る三島三社に配分すべきだ。
人口動態についても、国策の失敗(本来は人口は移動しないのが普通で、移動することは国策の失敗と云ってよい)により人口が首都圏などに集まったのだから、首都圏などから調整金を取り、減った地域の鉄道会社に配分すべきだ。JR東の場合、東北地方から首都圏に移動した人の分は相殺されるが、三島や東海、北陸、山陰から移動した人の分は支出すべきだ。

五月十六日(火)
今から十年ほど前に加藤寛さんの講演を聞いて国鉄民営分割はまやかしだった、と確信した。加藤寛さんの講演をわざわざ聞きにいったりはしないから、たまたま何かの講演に加藤さんも出演したのだらう。加藤さんは次のやうに発言した。
国鉄民営分割は必要だった。北海道の或る駅は列車が一日に二本しか来ないのに、発車合図をするため駅長がゐた。
まづそんな駅は例外だ。全体の駅の中の何%なのか。次にそれが原因で赤字になった訳ではない。更に駅長を配置したのは国鉄の官僚機構が原因だ。既に国鉄民営分割から二十年を経過したが、これで欺瞞がはっきりしたと思った。そして国鉄官僚機構にゐたのが、今回のJR東日本の社長だ。(完)

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