九百六十三 「総務部は社会の常識」とは
平成二十九丁酉年
四月二十二日(土)
或る経済誌サイトに「会社全体が非常識になっても、総務部は社会の常識を守るところに総務部の存在価値がある」と総務部の人が言ふ記事が二ヶ月ほど前に載った。
私はずっとこの記事に不同意だった。総務部だけが常識を保っても会社全体の非常識は治らない。しかし一か月ほどして、人事異動があるならこの記事は正しいことに気付いた。そして中小企業の定着率が低い原因は、人事異動が行はれないためだ。
四月二十九日(土)
大企業は仕事が合わはなければ人事異動する。中小企業は、仕事が合はないと自分から辞めたり会社から嫌がらせ退職に追ひ込まれることが多い。実際には、大企業と中小企業は同じ法律に従ふのだから、成績不良のの場合は中小企業も人事異動をしなくてはいけない。
その一方で大企業には、今までは好成績だったのに人事異動で悪い成績になったと云ふことは起きる。起きるが人事異動で各職種の難易度が均等化されてゐるから、そのやうなことは起こりにくいとは云へる。
五月三日(水)
職種で就職すべきか、会社で就職すべきかは、前者がよいに決まってゐる。さう云ふ社会になれば、ある職種で雇用されて成績が悪ければ別の会社に転職すればよい。前に、配置転換しないといけないことは雇用側に厳しいから、法律を改正すべきだと云ふ経済界の主張に対して、私は反対だった。それは雇用が流動化してゐないのに、規制だけ緩和すれば解雇される側が不利になるからだ。
社内で配置転換する義務は、法律に書かれたものではない。労働側が長年の闘争で勝ち取ったものだ。だから法律で改正するとなるとこれは改悪だ。大企業と公務員の雇用を流動することにより社会全体の流動平均値を高めた上で、配置転換が不要となり消滅するやうにすべきだ。
間違っても配置転換を不要にして中小企業の流動性を更に高くすることにより、社会全体の流動平均値を高めてはいけない。それでは大企業と中小企業の差が大きくなり、即ち社会が非平衡になる。
五月六日(土)
世界では従業員の流動が高いことで、企業間の平衡が取られる。日本では大企業と公務員の流動が低いから、とんでもない企業が出現する。電通と東芝はその典型だ。NHKの駄番組しか作れなくなったのもアナウンサー崩れのペコちゃん人形みたいな連中が出現したのもその典型だ。公務員組合が護憲しか叫ばないのもその典型だ。
社内の人事異動を行はずに解雇できるなら、総務部は存在意義がなくなる。派遣化するか総務部だけは流動性を高くすれば、或いは会社全体の非常識を防げるかも知れない。総務部を伝はって噂が社外にも伝はるからだ。(完)
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