九百四十九 聖徳太子と日華事変の名称変更を許すな
平成二十九丁酉年
三月十三日(月)
中学校、高校の教科書は、聖徳太子を厩戸王、日華事変を日中戦争と呼び方を変へるさうだ。こんな変更を許してはいけない。その理由は前者の変更は原理主義、後者は西洋猿真似だからだ。前者は長い歴史を無視して、大昔の一時期が正しかったととする。これではイスラム原理主義と同じだ。後者は人類の歴史から見れば極めて短い時間(少なくとも昭和50年以降)で西洋を崇拝し地球を滅亡させる。どちらも人類が本来持つ年代感覚とは異なる。
三月十四日(火)
明治維新は、千三百年間に亘る智恵の結晶とも云ふべき神仏習合を破壊した。仏教伝来前の大昔に戻さうとするのは原理主義だ。聖徳太子も千年に亘ってさう呼ばれてきたのに、原理主義者どもが厩戸王と云ふ名称を押しつけようとする。実に悪質だ。
三月十六日(木)
日華事変を日中戦争とすることについては、西洋でさう呼ぶから日本の歴史学者が真似をしただけではないのか。日華とは日本と国府を指し、日中とは日本と中共を指す。西洋はそんな区別をしないが、日本はきちんと分けるべきだ。
日華事変は完全な戦争だったが日華の両方が事変として扱った。それをなぜここ20年くらいになって日中戦争と云ひ始めるのか。似た例に西南戦争がある。西南の役と呼ぶのが正しい日本語だ。ところが西南戦争と呼ぶ連中が現れた。それでは西郷隆盛の功績に傷をつけてしまふ。
三月十九日(日)
日本の政経法文学者は西洋猿真似が多い。おそらく猿真似ではないと大学教員に就職できないのだらう。日本の戦後は米ソ冷戦下で機能した。だから冷戦終結後はまともに機能せず、西洋猿真似学者ばかりになった。それでは日本国内の問題解決に役立たない。(完)
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