九百二十八(その三) 「松井大将の陣中日誌」

平成二十九丁酉年
二月八日(水)
田中正明「松井大将の陣中日誌」といふ書籍がある。昭和六十年に出版され、南京事件を否定する内容ではあるが、書籍自体は良質だ。なぜ事件を否定する本なのに良質に分類したかと云ふと、社会を破壊しようとする意図がない。欧米列強が正しかったとする意図がない。日中関係を悪化させようとする意図もない。そこが「日本死ねの民進党」や「社会破壊拝米英新自由主義戦没者冒涜反日パンフレット」や数年前までの拝米保守との違ひだ。
昭和六十年はまだ米ソ冷戦の時代だ。保守も革新も正常だった。それでは問題の十二月二十一日の松井の日誌を見よう。
朝十時発、挹江門附近及下関を視察す。此附近尚、狼藉の跡のままにて死体など其儘に遺棄せられ、今後の整理を要するも、一般に家屋等の被害は多からず、人民も既に多少宛(ずつ)帰来せるを見る
田中さんの書籍では傍点がふってある部分を太字にした。他の日は南京事件を否定する部分に傍点があるので、この日も否定する目的でふったのだらう。この本だけ読むと、狼藉の跡は蒋介石軍が起こしたと思ってしまふが、角副官は遺稿集に
総司令官は、モノを言わず、ただ泣いておられた。下克上の思想が、このような事態になったと思う
と書いてあるところから、これは一部の日本軍の仕業と見るのが普通だ。もし蒋介石軍の仕業なら日誌に蒋介石を批判する文章を書くはずだ。ここで大切なのは「一部の日本軍」であって「大部分の日本軍」ではない。これを混同すると、南京事件は有った、無かったと永久に論争が続くことになる。

二月九日(木)
途中までこの本を読んだが、そこからはかなりページめくりになった。まづ第一章と第二章は田中さんの自説で、この部分は問題ない。第三章は松井が昭和二十年十二月、つまり十月に戦犯として名前が挙げられ病気のため三月まで入獄を猶予されたときに「支那事変日誌」を抜粋したもので、これは書いた背景が明らかだから問題ない。第四章の「陣中日誌」は臨場感に溢れる内容で、読んだときは疑問は湧かなかった。第五章は東京裁判の取調要旨、起訴状に対する意見などで、これも問題なかった。
第六章は昭和十一年に中国西南地方を旅行したときのもので、これはページめくりになった。第七章大亜細亜主義は創立委員の顔ぶれを見ただけで文章はほとんど読まなかった。前に石原莞爾について悪い印象を持ってゐるときにその著書を読み、そのアジア主義に感動しそれ以来、石原莞爾の真意を世に伝へなくてはいけないと感じたが、そのときの感動が第七章にはまったく無い。石原の場合はアジア各国の国民と対等に接するが、松井の大亜細亜主義は日本の都合を上から押し付けるものだ。第八章は興亜観音について書いてあるが、ページめくりに終はった。

二月十日(金)
感想は二転三転した。まづ都合の悪いことは日誌に書かなかったのではないか。さう思った。松井が逮捕される直前に師団長の谷がGHQに逮捕され八月に南京法廷に送られた。松井は東京裁判で谷の件を述べるべきだったのに、知らぬ存ぜぬで通した。東京裁判自体が帝国主義国が帝国主義国を裁くと云ふ欺瞞だからその態度に出たのかも知れない。二番目にさう思った。松井は隠してゐることがあり、だからすべて否定する陳述をしたのかも知れない。三番目にさう思った。
松井は処刑される前に、戦犯教誨師に次のやうに語った。wikipediaによると
南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、そのことのあとで、みなが笑った。はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。


二月十一日(土)
田中正明さんの「松井大将の陣中日誌」は、今日の南京事件否定論の源とも云へる書籍だから、本来は悪質な書籍だ。しかし「日本死ねの民進党」や「社会破壊拝米英新自由主義戦没者冒涜反日パンフレット」と比べると、社会への有害度はない。資料集として中支那方面軍の別の一面を見ることができる。
その一方で、松井石根が南京事件を知らぬ存ぜぬで通したことが、松井の刑死を招いた。日本人には良い日本人と悪い日本人がゐる。中国人にも良い中国人と悪い中国人がゐる。西洋人にも良い西洋人と悪い西洋人がゐる。悪い日本人を庇って国全体の名誉を傷つけるのではなく、悪い日本人を切り離すことで、日本の名誉を回復すべきだ。(完)


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