九百二十七 駅構内の操車場(9.湊町駅と竜華操車場)

平成二十九丁酉年
三月十一日(土) はじめに
湊町と云ふ駅名を始めて知ったのは昭和五十三年頃だった。東京駅の寝台特急や伊豆方面の特急が発着するホームの行先表示板に湊町と云ふ駅名が一秒現れる。当時は幕を巻いたものだから行先を変へるとき次々と駅名が一秒だけ現れた。地図で調べると大阪環状線の天王寺から一つ入ったところにある。関西本線の終点なので、かつて東京発湊町行きの夜行列車があった。
私が湊町に降りたのは平成に入ってからだった。丁度富士通の子会社を辞めて、それまで残業が多く仕事人間だったがこのときから旅行人間になった。情報処理専門学校の教師になり私学共済は公立学校共済や文部省共済の宿泊施設に組合員の料金で宿泊でき、更に国家公務員共済連合や地方公務員の施設にも割引は無いか少しあるかで宿泊できた。
湊町でホームと渡り線で繋がる機回り線を見た。既に客車列車は無く焦げ茶色に錆びてはゐたが、機回り線を観るのは初めてだった。

三月十八日(土) 湊町駅の配線図
昭和五十一年の配線図を眺めると、行き止まりの島式ホームの両側に、1番と2番、4番と5番がある。
5番の左に中1から中8。中1は5と中2、3の機回りを兼ねる。中3は貨物ホーム。中8の左の西1も貨物ホーム。その左に12線ある。
1の右に東1。1、2、東1から竜華操車場方面に折り返して客留1~5と6に当たる短い折り返しの対面にxxx線が庫内。客貨車支区の検修庫ではなく保線機械用だと思ふ。検修庫なら折り返さず6の位置にあるはずだ。
西2~9とその左のxxx(最初のxは火?)1~3が竜華操車場側に集束し分岐した先は南1~5.これは客貨車支区か。南1の右(竜華に向かへば左)の分岐先が5線に分岐しそまうち3つは転車台へ。この辺りは機関区としか考へられない。
インターネットで調べると昭和五十年に竜華客貨車区湊町支区廃止とある。

三月十八日(土)その二 竜華操車場
操車場は駅、信号場とともに停車場の一つだが、責任者は場長ではなく駅長のため、竜華操車場駅と呼ばれたりもする。貨車の操車場でその一部に客車の操車場もあった。配線図はほとんど判読不能だが、湊町側から線路が分岐し続けて膨張するところに機関区の扇形庫があり、操車場の上下左右の中央から機関区に向かって9線が行き止まり、客貨車区と書かれる。検修庫はなく屋外だったらしい。(完)


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