九百二十七 駅構内の操車場(8.塩尻駅、松本駅とその近隣)

平成二十九丁酉年
三月五日(日) 塩尻駅
塩尻駅は、配線図を見ると、中央線の八王子方から単線で塩尻の島式ホームの中下本と中上本、その左の下1~3まで場内信号機の管轄、名古屋、松本方のどちらにも出発信号機の管轄。その左の4は名古屋への出発信号機のみ。
八王子方から塩尻手前で左側に東入と云ふ引き上げ線が現れ、左は下15まで展開ののち(14のみは東側が行き止まり)集約し名古屋方の左の西入へ。16は先が四つに分岐し塩尻客貨車区の洗浄2線と検修庫2線。17から20は西側が行き止まり、その左が昭和電工の専用線。
専用線は専1~5に分岐。東側に戻ると引き上げ線。3が6~8に分岐で8が戻ると9。
島式ホームの右は中2、その右が島式ホームで中1と篠本。その右に行き止まりの上1~4と材料線。東入からはここまで入れる。名古屋方左側の西入からは上1までしか行けない。松本方と名古屋方が八の字に広がる中央に塩尻機関区と転車台。
松本方から名古屋方がスヰッチバックだった時代に機関車を付け換へるのを見たことがある。駅が移転しスヰッチバックが廃止されたのが昭和57年(1982)だからその二年ほど前だと思ふ。中2を機回線として使用した。
写真で注目すべきは、長野鉄郵局と書かれた鉄製押し車が横倒しでホーム上に。これは移動しないためだらう。あと頭上のリフトの写真でこれは大宮駅で昭和55年頃 見たことがある。カラー写真では赤い鉄製押し車が縦隊でそのままホームに。縦隊だから横転させなくても移動しないのだらう。赤は郵便の意味か。

三月五日(日)その二 南松本駅
南松本駅は昭和43年(1968)松本駅の貨物取扱業務を移管とある。一般駅なのは旅客ホームがあるだけではない。私が隅田川駅で小荷物の年末アルバイトをしたとき、南松本、北長野、上沼垂へ貨車で小荷物を運んだことを覚えてゐる。三つの駅は小荷物と貨物を扱ふためそれだけで一般駅なのだった。
南松本は下本、上本が旅客ホーム。下1~7と上1~22。このうち上10の先が貨1、11の先が貨1への渡りと2、3。17~19の先が両渡りで貨4~6。上21は自動車卸し(降ろしの間違ひか)、上22が台秤。塩尻方への上り引き上げ線の先は住友セメント、電化セメントの専用線。
下1の塩尻方は松本市総合専用団地と云ふ別の停車場にしてもよい(高島駅と表高島駅みたいに)くらいで、1から5に展開の後に上り引き上げ線。5のみからシェル石油、日本配合飼料、中令倉庫、花村産業、石油1~4、秩父セメント、松本倉庫、明星セメント、下り引き上げ線がある。ウィキペディアによると
松本市保有の公共線がある。全長1キロメートルほどのこの専用線の末端付近からはジャパンオイルネットワーク松本油槽所へ至る専用線が、その北側からは日本オイルターミナル松本営業所へ至る路線が分岐している。前者は塩浜駅発送の石油輸送で、後者は北袖駅・浜五井駅・末広町駅・浮島町駅・根岸駅・四日市駅発送の石油輸送で使用されている。かつては公共線から太平洋セメント(旧・日本セメント)松本サービスステーションや、秩父セメント松本サービスステーション、岡谷酸素松本営業所へ至る専用線も分岐していた。太平洋セメント線は2004年ごろまで青海駅発送のセメント輸送で、岡谷酸素線は2005年ごろまでLPG輸送で使用されていた。

とある。左側松本方には三菱石油とゼネラル石油。その線から折り返して日穀団地に入り、1と2のタケヤみそ、1の赤羽商店、2の日穀、3が途中で2線に分かれて再び統合し磯田、4が鍋林。ウィキペディアによると
日穀製粉松本工場や㈱タケヤ松本工場へ至る専用線もあった。

とある。前述の住友セメント、電化セメントについては
、電気化学工業松本サービスステーションや住友大阪セメント南松本サービスステーションへ至る専用線もかつては分岐していた。両者共に、青海駅(電気化学工業青海工場)や本巣駅(住友大阪セメント岐阜工場)発送のセメント輸送で使用されていたが、前者は2006年3月に、後者は2005年3月に廃止された。

とある。

三月五日(日)その三 松本駅
松本機関区と松本客貨車区を統合して松本運転所としたのが昭和40年(1965)。島式ホーム2つと本屋の片側ホームの計5線。右側から上本、島式が中と下x(判読不明)、左側の島式が下1、2。その左の下3、4まで塩尻側から行ける。篠ノ井側からは下x、大糸線からは中まで行ける。
下4から塩尻方(南側)にキ1~8。ここに機関区があったのだらう。そして線名の付け方からその後も松本運転所の構内のやうだ。下4から塩尻方左側(南西)に下5~10が留置線、11~13が洗浄線、14は不明、15と16が長い検修庫、17と18が短い検修庫、19が不明。
上本を除く以上すべての線は八の字を閉じる形で篠ノ井線、大糸線の間の北引上線に集束する。
上本の右は本屋ホーム反対側に上1でここはかつての貨物ホーム跡だらう。その右側に上2~5。上り本線を少し塩尻方に行った右下側(南東)に南引上げ線と上7、8。その上(北)側が6.
以上、貨物を扱ってゐた時代からほとんど線路は変はってゐないやうだ。今から二十年くらい前だらうか、上2~5のうちの一線に特急あづさが停泊してゐるのと、キ1~8(この時代は気動車が無いから別の線名になったかも知れない)と下5~10に電車のみが停泊するもののDLが1台だけ停泊するので客車操車場の名残を感じたことがあった。

三月十日(金) 北松本駅
北松本駅は北松本運転支所の線が集約する辺りで更にその外側に1線だけある貨物線が集約された。私は昭和49年にこれを見た。運転支所の入れ替へは駅に一旦出ないとできないから、ちょうど踏み切りのところに居た駅の助役に話しかけると、駅と運転支所で連携して行ふとのことだった。
こんな小さな駅でも貨物を扱った時代の話だ。(完)


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