九百二十七 駅構内の操車場(7.立川駅と八王子駅)

平成二十九丁酉年
二月二十六日(日) 立川駅
立川駅には八王子客貨車区立川支区があった。場所は南武線ホームから見ると中央線ホームの手前にある貨物線群の奥に、立川客貨車支区と書かれた看板があり、初めてその存在が判る。それほど小さな客貨車支区だった。配線図を見ると、駅の南側から南武一番から三番で、ホームの両側は二番と三番。西側は一番が奥多摩方への短絡線にのみ繋がり、三番の隣の四番、五番までは短絡線に集束し、六番、七番は短絡線とその隣の西入といふ行き止まりの線に繋がる。東側は一番、二番は南武線のみ、それ以外は南武線と中央線上下、その下の行き止まりの東入に繋がる。
南武七番の隣は下七番から一番までで、西側は短絡、西入、中央下りに繋がる。東側は七番から五番までが行き止まりで客貨車区の検修線はここであらう。検修庫はなく屋外。四番から一番は中央線上下と東入に繋がる。
その隣がホームを挟んで下本、上本。上一は中線で上二は青梅線ホーム(両側行き止まり)の対面。ホームの北側は貨1から貨5で貨物扱ひ所だらう。その東京方の上二の北が上十一から十三。その東京方に上三から十。十一・十二と、六・七は屋内に入るが客貨車支区の検修庫ではない。私は当時、窓の外はよく見たが検修庫は無かった。
写真を見ると市場の積み降ろし所みたいな建物がある。これは屋内ではなく、その先のxx1と2(判読不能)で、しかし荷物は無いから撤退したようだ。更にその先に東京xxxx(判読不能、東京青果か)といふ線がある。

三月二日(木) 立川駅の懐かしい光景
立川駅の高尾、松本方面のホームから三線離れた線路に、有蓋車が一両、無蓋車が四両、従来客車が一両連結された写真がある。これは懐かしい写真だ。かつて客車と気動車を一両回送するときは貨物列車に連結した。従来客車は機関車の次か車掌車の前、気動車と新系列の客車は車掌車の前だった。
電車を貨物列車に連結しないのは連結器が違ふためだが、貨物列車と同じブレーキ管は引き通してあり、非常ブレーキのとき、或いは旧型の電車と連結するとき使用した。また国電区間用の101、103系を除き、このブレーキ管の鉄製パイプが連結器の近くに突き出してゐた。つまり連結器の先に中間連結器を付けて機関車に連結し、鉄製パイプの先端のネジ式の栓を外して機関車のブレーキ管と接続が簡単にできる構造になってゐた。そこまで作られてゐたのに一両単位で貨物列車に連結することはしなかった。
一回だけ103系がこのブレーキを使ふのを見たことがある。京浜東北線の赤羽川口間で、運転士がブレーキハンドル素早く常用ブレーキ域を超えて、このブレーキの重なり位置に移動させ、次に少し動かすと運転台から客室まで空気を抜く音が聞こえた。電気ブレーキのランプは点灯しなかった。

三月四日(土) 八王子駅を新宿側から見る
八王子駅の配線図を見ると、中央線の島式ホームの下り側が下本、その左側の下2、3、浜1まで中央線下りから入線できる。
その隣の浜2は横浜線の片側ホームに面する。線名から横浜線の折り返しの他に横浜線貨物列車の入れ替へも行ったと推定できる。横浜線の単線からは中央線下りホームの右の上1まで着線できる。
上1は島式ホームで、反対側は一部欠けた部分が高1、欠けない部分が2でどちらも八高線ホーム、その隣が3、貨4は高床の貨物ホーム。高床の反対側はトラック通路でその反対側にもう一つ貨物ホームと貨5。こちらは写真によると低床のやうで屋根はある。
八高線の単線から左側は中央線下りと同じ線まで、右側は高2まで着線できる。八高線の右側に引き上げ線が現れこれは左側は上1まで、右側は貨5の手前に短く6、その右側に長く7から12。
そのはるか手前に石油タンクと専用線があったが、この配線図はできる前のものなので載ってはゐない。

三月五日(日) 八王子駅を塩尻側から見る
中央上りは右側に渡り線が無く上りホームにしか着線できない。左側は高3まで入線できる。高2と3が分岐する辺りに構内本部、配車、中継と3つに分かれた1つの建物。中央下りの右側塩尻方に入1と2。ここから渡り線で高3まで。上りの左側は北1の引き上げ線とその手前に「一の下に丸」の建物。これは暗転室か。入2の多数に分岐する根元に「逆丁の字」の建物で信号扱い所か。

三月五日(日)その二 八王子客貨車区と八王子機関区
入2の多数に分岐はx(読めないが写真では洗浄線だから洗か?。その先に検修庫があるが機関区側からの分岐)5~7。ここに車掌車と事業用客車が留まった写真がある。今までその先の検修庫は客貨車区だとずっと思ってゐたが今回初めて機関区だと知った。x7の右に1から13。4の右(5の先端)にモルタルの建物があるからこれが客貨車区で、1から4が検修線か。
入1の先は5つに分かれ左端は横浜線ホームの非乗降側。ホームの終端で左端が3つに分岐し、合計7つのうち6つが検修庫へ。検修庫は更に東神奈川方から3つに分岐し1つは手前で終点、残り2つが検修庫へ入る。検修庫の東神奈川方に転車台と引き上げ線。引き上げ線の最先端に救援車の事業用客車がいつも留まってゐた。洗浄線は機関区には無い。
八王子が貨車区ではなく客貨車区なのは、根拠は無いのだがホームにサービス班があったのではないだらうか。新宿駅の1番2番ホーム(中央線急行特急ホーム)には新宿客貨車区と中野電車区新宿支区の看板の建物があったので、八王子も同じではと想像した。
この当時、相模線の気動車は八王子機関区配属だが茅ヶ崎機関区に停泊し、八高線の気動車は高崎第一機関区配属だが八王子機関区に停泊した。あと川越線の気動車は高崎第一機関区配属だが大宮機関区に停泊した。

三月五日(日)その三 八王子駅の貴重な写真
写真で貴重なのは、高床式ホームに木製すのこが積んであり、横には肥料かセメントの袋が積んであるものと、構内本部と思はれる木造の建物の前で布団を日干しするものと、木造建物の裏に引込み線(配線図では高1から6の塩尻方への引き上げ線)に保線用トロッコが数台停車しその先は錆びてゐる。(完)


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