九百二十七 駅構内の操車場(終点.弘前駅)
平成二十九丁酉年
四月二十二日(土)
はじめに
いよいよ最終回を迎へた。弘前駅は記憶がまったくない。しかし車内で弘前弁で話す二人の老婦人の会話が日本語だと判らなかったことははっきり覚えてゐる。だから奥羽本線に乗車したことは確かだ。おそらく妻が仙台の実家に里帰りしたとき、私が秋田経由で仙台に行ったときだらう。
かつて貨車は国内全ての貨物駅に配送することができた。それが廃止になってから鉄道はつまらなくなった。しかしそのことに気付いたのは或いは今回の特集を開始してから、つまり今年の一月かも知れない。今まで気付かなかった理由は客車が存続したため、それに気を取られたからだった。かつて秋田の男鹿線を気動車に混ざって、一日に一往復だったか客車列車があった。秋田まで寝台特急で行き、男鹿線の客車列車に乗り、青森から客車列車で当時は盛岡までだったか一ノ関までだったか乗り、その後は電車で仙台に行った。
客車以外は興味が無かったから、弘前駅の配線も気にしなかったのだらう。
四月二十二日(土)その二
昭和四十六年の配線図
配線図を見ると、本屋の片面ホ-ムが下本。中線が下副、島式ホームの両側が中と上本。その隣が上1~6。6は島式ホ-ムに面するものの乗降はできず反対側は弘南1が青森方に行き止まり。その隣の2、3が合流ののち国鉄扇形庫からの南機回が合流し、そののち弘南は分岐、残った線は上入と機待へ。
ホームの青森方に検1~6、客留、気1と2、機1~7。このうち機2~5が扇形庫ののち南機回を除くと、すべて秋田方に行き止まり。検5と6で検修庫、気1と2で別の検修庫。
本屋とホームの青森方には下1~13。
配線図には一ノ関駅と同じく線路使用方がある。
線路名称 | 収容車数/貨車 | 収容車数/客車 | 使用方 |
下り本線 | 59 | 13 | 下り列車着発 |
下副本線 | 53 | 21 | 下り貨物列車着発 |
中線 | 53 | 13 | 上下五黒列車着発 |
上り本線 | 52 | 13 | 上り列車着発 |
上り1番線 | 52 | 21 | 上り貨物列車着発 |
2 | 45 | 18 | 上り発送及び客車 |
3 | 40 | 15 | 上り発送整備車 |
4 | 30 | 12 | 上り下り解放車授受 |
5 | 20 | 6 | 検修車一時留置上発整車 |
6 | 18 | 7 | 機回転線 |
下1番線 | 10 | 4 | 緩急車、検修車一時収容 |
2 | 45 | 18 | 下り発送 |
3 | 24 | 9 | 〃 |
4 | 19 | 7 | 小口積一時収容 |
5 | 19 | 7 | 小口積卸 |
6 | 6 | 2 | 回転客車収容 |
7 | 10 | | 小口積卸 |
8 | 11 | | 〃 |
9 | 5 | | 車扱、小口一時収容 |
10 | 23 | | 車扱、小口積卸 |
11 | 19 | | 重量物積卸 |
12 | 15 | | 車扱積卸 |
13 | 10 | | 〃 |
倉庫線 | 16 | | 事業用品積卸 |
ガス専用線 | 16 | | LPガス卸 |
収容線 | 10 | 4 | 客留 |
下1はホームの終った先で下本と平行。2は本屋の終った先ホーム反対側の切り欠き部分、3から5は中線、7と9は貨物ホームの突き出した両側。6は5と7の間を貨物ホーム手前で行き止まり、9は中線、10と11の間に島式ホーム、12と13はホーム無し。
貨物ホームは車扱、小口、重量物のためにあったのかと判った。当時は貨物扱所の横に丸通(日本通運のほかに、その協力会社などで何々通運と名乗るが丸の中に「通」の字が入った日通の記号を用ゐた)の建物があったことを思ひ出した。あと、小口混載は運送会社が貨車を借り切ったもので国鉄直営ではないやうだ。ここに小口混載の記述が無い。
上りについては、4を解放車に固定の他は、2、3、5を発送と整備、検修の一時収容、客留と汎用に使ってゐる。弘前回転客車が2両、客留が4両は首都圏の感覚だと少ないが、これが普通なのだらう。緩急車と検修車を同じ線に留めるのはなつかしい光景だった。
緩急車が廃止になって鉄道の魅力が5%減り、貨車の仕訳が無くなって魅力が60%減り、客貨分離で30%減り、客車の電車化気動車化で5%減り、合計100%になった。つまり今の鉄道には魅力がまったく無い。(完)
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